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「味を追う」とはいったい何か

2022年06月08日 | 読書
 リサイクル本コーナーにあったので何気なく取った一冊。少しだけ小説は読んでいるが、食に関するエッセイも面白そうだ。するっと読みつつもどこか物足りなく、内容も繰り返しが多い昭和期の身辺雑記だなあと残念に思っていたとき、ある箇所を読み、全体像が俯瞰して見えてきた。こういう体験も貴重な一つだ。


『味を追う旅』(吉村 昭  新潮文庫)


 それは「食べる?」と題された一文。古くからの知り合いで後輩のK君と一緒に飲んでいる時、彼が前夜帰宅して妻から「あなた、夕ごはん、食べる?」と訊かれたことに対して腹立ち、その感情に深く同意したという内容だった。取るに足らない些細な会話に垣間見える、人間の本性の根深さを感ぜずにいられない。


 著者とK君には「終戦前後の食うものも食えない頃」の共通体験がある。K君の妻とは年齢の差があり、そこに齟齬が生じたと済ませてしまうことも出来よう。しかし、食べることが当たり前で様々な選択できる状況において、「当たり前」でなかった時を過ごした者が身に染みている感覚に価値がないと言いきれない。



 まして「食」という最も人間の欲求に基づくものであれば、なおさらだろう。このエッセイはおそらく昭和後期の頃。今、飽食の時代にはそういう機微が通用するとは思えない。しかし自分がここ一週間ほどやむを得ない事情で少し違った食生活を送った経験から湧き上がった感情と、無縁とは言えない気がしている。


 つまり、食は人と切り離せない。「何を食べるかでなく、誰と食べるかが肝心だ」と賢人は語ったとか語らないとか…。また、食とはその環境によって成立する。食材や調理法とは別個に、味を左右する要素が必ずある。書名の「味」とは、食物そのものではなく、人間や土地といったものを追い続けていることだったのだ。


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