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「始末」の始末記

2013年11月18日 | 雑記帳
 NHKの朝ドラ『ごちそうさん』の先週の見出しは「たいした始末」だった。話の筋は,嫁ぎ先で嫌がらせに合う主人公が大量の鯛をどう始末するか。様々な調理法で鯛の料理を作りだしていくのだが,主人公に言わせた「見方一つというか,扱い方一つというか」はなかなか含蓄のある「始末」の定義である。


 つまり,食べ物の話ではなく「人もそうだ」と語らせている。要はどの部分に目をつけ,何を生かすかという思考である。ドラマでの「始末」とは「浪費せず,つつましいこと。倹約」という意味で用いられている。そのための工夫は一つの人生訓だということだろう。上方的な発想といっていいかもしれない。


 幼い頃「シマツできだが」という言葉は多く飛び交っていた。家庭でも学校でも繰り返し耳にしていた。この場合のシマツは「準備」という意味であったはずだ。広辞苑をひくと,該当するのは「整理をすること,処理」なのかなと思うが,若干ニュアンスが違う。いずれにしても「始末」には準備が必須である。


 「始末」は物騒な言葉でもよく出る。「あいつを始末しろ」というセリフもよくあるパターンだ。さらに使い方として「あの始末だ」「始末が悪い」と,どちらかと言えば悪い結果に対しての頻度が多くないか。だからこそというべきか「良い始末」といったときに,その労力へのねぎらいが少し増すような気がする。


 偶然なことに,今開いている文庫の題名が「始末に困る人」(藤原正彦 新潮文庫)。週刊誌連載の集約でタイトルは「管見妄語」であるそうだ。一話の題名をつけたようだが,第二章にその「始末に困る人」が載っている。結びは「出でよ,『始末に困る人』」。同感した。えっと思われるだろうが,果して対象は?

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