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「いまのいま」の豊かさを

2024年06月17日 | 読書
 Re52『数学の贈り物』(森田真生 ミシマ社)は、実にいい本だった。もちろん専門書ではなくエッセイ集である。数学的な記述は確かに多いが、どちらかと言えば「ことば」全般について色々と考えさせられた。メモしたい想いが多くあり、身辺雑記を交えながら何度か続けて書いてみたい。まず冒頭の一文に惹かれた。

 先日、もうすぐ三歳になる息子が、「おとーさん、だれかのおとしものをさがしにいこうよ!」と誘ってきた。

 「――偶然の贈り物」と題された前書きにあるこの件だけで、豊かさが迫ってくる感覚を受けた。暗い夜道を懐中電灯を手にして歩く親子は「だれかのおとしもの」を探している。そして場所は京都の、あの「哲学の道」である。子どもが見つけた「小石」を、私達はどのように受け止め評価できるか、全てがそこに通じる。





 午後のTV再放送枠で「フラジャイル」という病理医を主人公としたドラマをやっていた。今は引退したTOKIO長瀬智也が主演している。内容はともかく意味も考えず観ていたタイトル「Fragile」という単語を、かの本に見つけたのだ。フランシスコ・ヴァレラという生物学・認知科学者の言葉が引用されていた。

 Life is so fragile, and the present is so rich

 著者は、若くして逝った学者の考えをこう解釈する。「生の儚さをあきらめきることが、即ち「いま」の豊かさに目覚めることだ」そういえば、TVドラマは治癒した患者も当然いたが、そうでない結末を迎える者も多くいて、そこにどう救いを見出すかが一つのテーマのようだった。「身体と心の関係」が常に問われる。


 数学者岡潔、澤木興道禅師の言葉を引用し、著者が示しているのは「実感」の大切さであり、それは数学という「見えない研究対象」を扱っているゆえだろう。そこで戒められる「自我と根拠への執着」…こうキーボードを打ちながら「いまのいま」の豊かさを感じるため、心底の奔放さをどう発揮するか、考えている。


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