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春場所中日の愚痴か

2021年03月21日 | 雑記帳
 一相撲ファンとして、今書き残しておきたい。三月場所の二日目を横綱土俵入りから結びの一番まで見ていて、白鵬が変だと感じて家人に「ちょっとおかしいよ」とは口にしていた。翌日休場が発表され、「またか」という落胆やあきらめの感情がわいた。ここ2,3年はずっと繰り返されていて腹立たしくも思える。


 その三日目。帰宅が5時過ぎだったので、直接は視聴しなかったが、NHKで解説していた舞の海が、白鵬を痛烈に批判したとネット記事にあったので検索した。自分の中にあるもやもやした思いを代弁してくれたかのように感じた。確かに大相撲は「格闘技」の面を持つが、それだけで成立しているわけではない。

 記事を長く引用する。

「横綱でもない私が、袋だたきを承知で言わせてもらうとですね」と前置きした上で、「過去にはおそらく1年くらい休ませてもらえたらもっとやれるのになと思いながら去って行っていった横綱もいると思うんですよね。でもなぜやめたかという所ですよね」と、引き際について言及した。
続けて「それは自分の事情とか感情よりもこの横綱の地位とか名誉とか、というものを守ってきたからこそ、大切に思ってきたからこそだと思うんですよね。見てるファンは横綱になってしまったがために辞めざるを得なくなってしまったと。そこに、その無念さ、悲劇にファンは共感すると思うんですよね」と思いを語った。



 その歴史について深く知っているわけではない。しかし「横綱」が、最高位とされた大関の上に位置する存在であること。歴代横綱は成績や活躍に限らず、その辞め方や以降の進退によって、大きく印象が異なると把握している。まして、白鵬の実績とは相撲史上トップレベルにあることは衆目の一致するところだ。


 五年前、初めての国技館観戦を、「白鵬連れて国技館」と題づけて記した。その時読んだ「白鵬のメンタル」という新書も興味深かった。しかしその強いメンタルの方向性が、多くの大相撲ファンとは相容れなくなっているのではないか。強い力士の不在は嘆かわしい。しかし、解説者北の富士の次のコメントは真っ当だ。

 「功成り名を遂げる」。まるで白鵬のためにあるような言葉です。優勝44回をはじめ、あらゆる記録を塗り替え多くの偉業を達成して、後は何を望むのだろうか。彼に残されたことはただひとつ。いかに見事な引き際を見せることにあると思うのです。