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副題を心に仕舞い込む

2021年03月04日 | 雑記帳
 「陥穽から風穴をさがす」という副題はブログ開始時から付けていた。テーマというほど大層なものではない。そうありたいという願いか。私(たち)は今、落とし穴に入っているが、その中で風穴をさがなければならない。それは何故か。取りあえずは「息」をして生きなければならないから。それだけか。


 その風穴から異なる風景を覗き込み、新たな知見を得ながら、あわよくば、風穴を大きくし陥穽から脱したいという気持ちは抱えている。脱したそこがどんな世界になるのか。陥穽にいる以上は部分的にしか見えないわけで、不安要素は絶えずある。出てみた場所は、単にワンランク大きい陥穽だったりして…。


 そう考えると、これは心の持ち方そのものであることは自明だ。従ってこんな副題をつけて、駄文を書き連ねてきたのは、精神のコントロールのためと言っていいかもしれない。昭和後期10年間と平成のほぼ四半世紀は、学校教育と共にあったが、一言括るとで「ダブルバインド」であったと振り返られる。


 自由と規律、個性と秩序、集中と拡散…様々な仕事の範疇で意味づけがなされ、バランスという名で徐々に縮こまってしまった歴史だ。教室でのルール一つを決めるにも膨大な背景を意識しなければ通用しなくなっていった。そんな中でさがす風穴は、自分が呼吸するだけの大きさでしか有り得なかった。


 それはそうだ。それでも風穴をさがし続ける。例えば五輪開催へ向けて様々な立場で物申す人がいるが、結局自分の呼吸をラクにしたいだけだ。閉じ込められた空間の中で奪い合うように動くのは止めてほしい。この陥穽から脱け出すのは容易ではない。しかし、風穴はできるだけ多くあれば過ごしやすい。