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意識して意味ない時間をつくる

2021年03月14日 | 雑記帳
 養老師の「ぼーっと自然を見る」ことと、共通点のある内容を脳科学者の篠原氏も述べている。コロナ禍のストレスに対するアドバイスとして、「皆さんには、日常に”ぼんやり時間”をぜひ取り入れてほしいですね」と語っている。今まで毎日繰り返してきたバス待ちや通勤、退屈な会議等…にあったはずの時間である。


 そうした状態を脳科学用語では「デフォルト・モード・ネットワーク」と呼ぶそうで、実はこの時の脳が「読書するときの十数倍のエネルギーを消費していることがわかってきました」と続ける。このモードのときに「記憶とか、自我に関わる部分」が活性化しているデータがあり、その時間の貴重さを教えてくれる。


 かなり前にも似たような内容を何かで読んだ。そして、かつてあの古館伊知郎が、小学生の頃はいつもぼやーっとしている無口な子だったというエピソードも強烈に覚えている。それらを知った頃から、学校における子どもの見方も少し広がったことを思い出した。一日を「意味」で埋めすぎる傾向が、昨今強すぎる。


 それも明瞭で可視的な意味づけを欲しがる。効率性、時間の無駄チェックで縛りすぎる生活は、今求められているはずの新しい発想やひらめきにとってむしろ邪魔と考えた方がよい。ごく自然体でそんな日常を送れればいいが、慣らされた心身には困難だ。ここは「意識して意味ない時間をつくる」…これしかないか。