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春眠覚めて深淵覗く

2021年03月18日 | 読書
 人の死は小説の大きなモチーフとなるが、昨日メモした本とはうって違う内容だ。
 朝の目覚めに、なんともつらい物語を読んだ。


『JR上野駅公園口』(柳 美里  河出書房新社)


 昨年「全米図書賞受賞」で注目を浴びた作品。この書名を見たときに思い出したのは、遠い昔に地元紙に載ったある投稿詩だった。新幹線がまだ停まらない時代の上野駅構内プラットホームで、耳に入ってきた「ナエデガ」という方言をテーマにした内容である。出稼ぎ者の心情の象徴だろう。共通する辛さを覚えた。


 どんな状況か知らないが、「ナエデガ」という声は明らかに地方出身者が発している。「なんと言ったのか」「なんという事だ」「一体何を言っているのだ」という複層的な意味を持つ。当時(いや現在もか)の上京者が、都会に抱く感覚として象徴的だ。結果、ほとんどの者は何も出来ず、あきらめや敗北感を胸に刻む。


 昭和八年福島生まれの男の目や耳がとらえた「昭和」そして「平成」が背景になり、前景になり、立ちはだかっている。一家と離れ、そして家族を亡くし、一人でホームレス生活をする主人公の「どんな仕事にだって慣れることはできたが、人生にだけは慣れることができなかった」という生き様は、あまりに哀しい。


 好きなタイプの作家ではないが、取材力の深さや主人公に同化していくような表現力には舌を巻いた。それにしても、この作品を訳したアメリカの翻訳家は、頻出している方言をどんなふうに表したのか。考えてみると翻訳小説とは、そうした課題をクリアしているのだ。なにか文学の深い淵をまた知らされた気になった。