
友人が「ベスト・エッセイ」集を読んでいるのを知り、面白そうだと寝床読書の友とした。字数が程よいこと、作家ばかりでなく様々なジャンルの方の執筆、そして2022年の文章という同時代感もあり、読みやすかった。ただ容易く読み流していいものかと、ページを閉じて想う。例えば冒頭の一編の結びはこうだ。
どっちにしても、自死した者との「あの素晴らしい愛」の再生は絶対にない。
精神科医のきたやまおさむが、盟友である今は亡き加藤和彦について語っている。「横並びの愛」を歌った名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」は、加藤と一緒に作られた。結局「心と心」を通い合わせられなかった自責の念が漏らされる。しかしそれはある意味で、個々の通じ合いの限界を語っていて、複雑だった。
小説家の田中慎弥が寄せた映画監督青山真治への文章は、人との出会いが刺激となり、いかに自分の創造力を推進させるものなのか、典型的に述べられていた。心が共振できる存在とは、離れた時にいかに自己を内省させてくれるか示してくれる人たちと思える。様々な方々が逝ってしまう昨今、田中の言葉は重い。
生きるということは、生き残っているということだ。持ち時間が、音を立てて少なくなっていく。
稲垣栄洋「雨が降るって…」や阿川佐和子「松岡享子…」も興味深く読んだ。神林長平の「『フィクション』の力」は、先達が語ってきたことと重なるが、改めてその声に耳を傾けさせられた。創造力を駆使できる者は、「現実を映す鏡」を私たちへ差し出す。それは読者や視聴者の想像力を鍛え、生きる力を育む。
飢えて死にそうな子どもたちに必要なのは、パンと希望という『フィクション』だ
読んで身体感覚が呼び起こされたことに驚いたのは、アントニオ猪木について記された2編だった。川添愛は、数々のセンスあふれる言葉のこと、夢枕獏は、その鍛えられた肉体のことを書いていた。最盛期の70年代、仙台Fデパートで聴衆の群れの中から手を伸ばし、会場から去る猪木の胸に触った感触が確かに甦った。
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