すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

その「波」に流されぬよう

2020年05月03日 | 読書
 『「隣組」マインドにご注意を』と題して、小田嶋隆が日経Bコラムに載せた文章が興味深かった。

 初めの「テレビがつまらなくなっている」という分析が非常に面白い。
 「三密」が人間の文化にとっていかに切り離せないものなのか、TVという最も日常的な切り口から、こんなふうに語っている。

 コンテンツは、「人間」の「血」と「汗」と「涙」の中からしか生まれないという、なんだか猛烈に泥臭い話でもある。(略)「他人」の「息遣い」だの「体温」だのといった生身の身体性を放射し続けなければならないわけだ。実にうっとうしいことに。


 実際、画面を通してしか伝えることができない媒体にあっても、表現者たちが距離をとったり、空間を別にしたりして、語ることは、やはり熱が感じられず、厚みも感じにくくなっている。そんな繰り返しに私達はもう飽き始めている。このまま衰退していくのか。


 見上げれば心吸い上げ雲光る 2020.5.3

 さて、それ以上に表題に掲げている点について記していることに深く納得した。
 特にこの卓見には心したい。

 追い詰められた日本人は、なぜなのか相互監視モードに突入する。これは、民族的な伝統と申し上げてもよい。

 多くの人が感じ始めている国全体の不機嫌さ、苛立ち…それについて、この個性的なコラムニストは、「お前はどうだ」とちくちく胸を突いてくれる。
 告発することで、自らの感情を収めようとしているのだろうか。

 映画や小説のなかでしか知らないが、戦時下のこの国の国民統制がねらったような相互監視の波が寄せてくるのだろうか。
 沈殿していた悪意のような泥が、コロナによって波立たせられているのかもしれない。「自粛警察」などと銘打った行動は、まさにそれに尽きるだろう。