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「情報が欲しい」を見つめて

2011年04月03日 | 雑記帳
 「情報が欲しい」

 被災地の避難所で多くの人がこういう表現をする。
 この「情報」がどういう内容か、それは多岐に渡ることと思う。
 私たちも30時間の停電、その後の物資、燃料不足のとき、確かにそう思った。

 「情報が欲しい」

 大切な人の安否を知りたい、被害の状況はどうなっているのか、いつまで経てば物資が届くのか、今後どういう対応、措置がとられるのか・・・・・・ 

 何のために欲しいのか。

 情報によって自分を安心させたいのだ。自分の行動の予測をつけたいのだ。
 ちろんそれを、情報に寄りかかっていることだ、と責めることはできない。
 依然として制限された避難生活をおくっている方々に対して、そんな失礼なことは言えない。

 しかし、そこから距離をおく自分たちは、その情報を知りたいと思ってしまう心を見つめてみよう。

 情報によって行動したら便利になった、情報によって励まされて元気になった…そう確かにそうは言える。
 では、情報が閉ざされた世界では、便利になれないか、元気になれないか…そうではないだろう。

 まずその努力。
 そういう思考をしてみること。

 情報は知識ではないと、誰かが書いていた。
 考えることによって身につけられる知識があることを忘れそうになってはいないか。きっと、そこで生まれるものの方がより力強い。

 自分で考えろ。

 情報まみれになって、思考の筋肉をやせ衰えさせてはいけない。