すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

役立ち感の幻想をはらう

2008年11月13日 | 読書
 給食時間に隣の1年生の子が、こう尋ねてくる。

 「なんで、長い針はカチッと動くのかな」

 最初は意味がわからなかったが、1分ごとに時計の長針がひと目盛り動くことに疑問を覚えたらしい。
 機械の仕組みについてどう説明したらいいか言葉も浮かばず、思わず焼きそばを食べようとした箸も止まってしまった。
 
 このようにおよそ低学年の子たちは、「どうして」「なぜ」と疑問を発するものだが、最近少しその頻度が落ちているのかもしれない。科学離れなどという言葉も思い浮かぶ。

 家に帰ってから、岩波書店のPR誌『図書』11月号をめくっていたら、冒頭の座談会が実に興味深かった。

 「役に立たない科学」の愉しみ方

 宇宙物理学、分子生物学を専門とする二人の男性科学者と科学技術コミュニケ-ターという肩書きを持つ女性による鼎談である。
 最初は、新書で発行されているという「疑似科学」についてのあれこれが話される。自称健康オタクである私にとっても耳が痛い話ばかりだ。
 子どもの「なぜ?」を育てる、という点についても話題になる。結局、子どもの理科系離れの理由は大人の理科系離れであるということに意見の一致をみているようだ。
 それは確かに思い当たる節がある。

 そういう危惧は持っているが、では具体的にどうすればというところで止まっている、以前、日食があった日に、全国のいくつの学校がそのことを取り上げ実際に見ようとしただろうか、などと書いたことがあったが、その一点だけを取り上げても学校の疲弊が読み取れるのではないか。

 この座談会の中での印象深い言葉

 科学に対する役立ち感の幻想
 
 これは、実は科学だけの問題とは言えない気がする。社会的な事象であっても言語に関わることでも、確かに役立つことは大切に違いないが、そればかりが強調されては結局何かに取り込まれるだけ…という未来が待っているのではないか。

 子どもの「なぜ」につきあうことの意味は、リテラシーがどうのこうのというより大きい気がする。

 それにしても「長い針がカチッと動く」ことは考え始めると、結構哲学的なことなんだね。