このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。
この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp
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20210107 幸手 碑
埼玉県幸手市内国府間
権現堂 行幸提の碑
幸手市高須賀~内国府間から600m上流、行幸橋(国道4号線、中川)の右岸橋詰。権現堂堤は明治9年(1876)に、明治天皇が巡幸のさいに立ち寄ったことから、御幸堤や行幸堤(みゆき)とも呼ばれる。権現堂堤の西端にある、行幸堤之碑(明治10年建立、題字は岩倉具視、撰文は近藤芳樹)。当時の石碑にしては珍しく、碑文は漢字かな混じりである。碑文によれば、権現堂堤の修堤工事(島川の水除堤)は明治8年6月に起工し、同年10月に竣工している。総工費の約85%は民費だった。
明治9年6月に、明治天皇が東北巡幸の際に立ち寄られてその労に感じ入り、この仕事に携わった者の名前を石に刻んで残すように言われ、費用の一部が下賜されました。お言葉により建てられたのが写真の碑で、脇には幸手市教育委員会が建てた「行幸堤之碑」の説明板があります。
埼玉県幸手市内国府間
権現堂 行幸提の碑
幸手市高須賀~内国府間から600m上流、行幸橋(国道4号線、中川)の右岸橋詰。権現堂堤は明治9年(1876)に、明治天皇が巡幸のさいに立ち寄ったことから、御幸堤や行幸堤(みゆき)とも呼ばれる。権現堂堤の西端にある、行幸堤之碑(明治10年建立、題字は岩倉具視、撰文は近藤芳樹)。当時の石碑にしては珍しく、碑文は漢字かな混じりである。碑文によれば、権現堂堤の修堤工事(島川の水除堤)は明治8年6月に起工し、同年10月に竣工している。総工費の約85%は民費だった。
明治9年6月に、明治天皇が東北巡幸の際に立ち寄られてその労に感じ入り、この仕事に携わった者の名前を石に刻んで残すように言われ、費用の一部が下賜されました。お言葉により建てられたのが写真の碑で、脇には幸手市教育委員会が建てた「行幸堤之碑」の説明板があります。
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