ソラ画像より
・2014年8月14日 綾部資料館1
私市丸山古墳の頂上の石室の内部にあった遺物と配列。
・2014年8月14日 綾部資料館2
私市丸山古墳から出てきた遺物。
これまでのソラの情報では物部氏とホシノベの子供が葬られたと伝えられています。
ベルトの金具もあります。
・2014年8月14日 私市丸山古墳の発掘時1
敷石の下のは筒状の埴輪の残骸?
*)「2022年9月3日 羽アリ、三ツ星、綾部の謎の穴、など」より
土坑であったが、その後お墓として利用された?
と書くと、「違います」と。
私市丸山のイシカミはその姿(物部氏とホシノベの子供)で生まれさせようとしたが、イシカミのエネルギーが足りずに人間として具現化できなかったようで、骨だけ残ったようです。
・2014年8月14日 私市丸山古墳の発掘時2
全景写真。
*)「史跡 私市円山古墳(綾部市)」(2017年9月6日記事)
・2014年8月14日 手あぶり型土器?
岩手の縄文土器でも同じ形が出ていて、小さなイシジンの家と知らされました。
綾部地方では小さなイシジンの土器は全く出ていないのは、ヤマトに徹底して壊された?
私市丸山古墳んも高速道路ができなければ、永遠にただの小山としか見られなかったでしょう。
それくらい徹底してヤマトは言い伝えをさせなかった=倭の国が謎のままなのです。
・2014年8月19日 私市丸山古墳の山崩れ、物部氏の墳墓
*)「国史跡の私市丸山古墳の一部崩れる 京都・綾部、府北部豪雨被害」(2014年8月18日ニュース)
山の古墳がある場合は、隣の山も関係があるのでないかと以前質問されていましたが、わかりませんでした。
けれども今回これを見て、隣の山も知らせたいことがあるのでないかと思っていましたが、今朝、物部氏に関することを知らせてきました。
【2014年8月21日追記】
「(私市丸山古墳が崩れたのは)石になったモノが知らんふりをされるので知らせたのです。
殺された物部のモノが来ていたのです。
(春日富士の麓の神社の巨石が物部氏の亡きがらと伝えられたが)その一部の原子がストーンサークルで人間となったのです。
その人間が(私市丸山古墳の)お墓に入っていたのです。
そのストーンサークルの岩が、(自ら動いて)積み重なって石くど古墳となったのです。
そしてその古墳で馬が創られたのです。
そこでたくさんの馬(イシジン?)が創られました。
武具の塚は物部の若者が使うつもりでしたが、(蘇我に)敗れたので使われることがなかったのです。
蘇我に負けたので全ての宝物がヤマトに持ち去られたのです。
それらの宝物は舘の屋敷にあったのです」
「(埋葬された物部の分身は)柔らかな人間の肉体でした。
春日富士の麓のイシジンの一部が、ストーンサークルで人間となったのです。
山彦が仕事をしていた所から出てきたイシジンが物部でした」
*)「2008年9月5日 石くど古墳(篠山市)」
*)「2009年11月29日 雲部の車塚(篠山市)」
山彦が仕事をしていた所に今は三柱神社の跡がありますが、その横の谷から出たイシジンが物部氏と言うことです。
*)「2002年9月8日 三柱神社など」
*)「2004年3月12日 蘇我氏、八咫烏の意味」
*)「2011年2月28日 物部氏の岩(春日町阿陀岡(あたか)神社)」
【8月30日追記】
*)「2014年8月30日 私市丸山古墳のがけ崩れ」
*)「2014年8月30日 三柱神社の谷」
・2014年8月30日 私市丸山古墳のがけ崩れ
↓と同じく福知山の大洪水のあった時、私市丸山古墳も山崩れ(ブルーシートはその一部)がしました。
古墳の裏側です。
高速道路壁の茶色の部分は崩れて治された部分です。
私市丸山古墳に、イシジンの物部氏の分身の肉体が葬られていると知らされています。
ソラ仲間以外にいつまで経っても認められないことへの怒り?
福知山市の広範囲の大洪水と高速道路をふさぐほどの大規模な山崩れでした。
この前の2枚の画像には、ぼやけた黒い縦棒(エネルギー体)が入っていて削除しました。
・2014年8月30日 三柱神社の谷
今回は、先日の大雨でがけ崩れがしているようでした。
私はこの谷から大きなイシジンが出てきたと思っていたのですが、そうではなくここの横穴から物部氏が出てきたと言葉になりました。
ブルーシートのがけ崩れはそれを知らせたと言葉になりますが、、、。
カーブの所が三柱神社ですが、約10年前、初めて来られた方が
「このあたりで豪華な神社の建物があった夢を見た」
と言われてびっくりして振り返ると鳥居があり、さらに驚きました。
・2016年9月19日 舞鶴高速トンネル
綾部市と福知山を通る舞鶴高速道路の3つのトンネルの内部は、このように赤線になっています。
福知山大洪水で私市丸山古墳は1000年以上も崩れなかったのに、崩れたとニュースになりましたが、古墳や山も意識を持っていることを知らせたと伝えられています。
福知山大洪水後にこのような色が塗られました。
熊本県山鹿市のチプサン古墳の内部も赤い模様です。台風16号はそれを知らせたい?
*)「チプサン古墳」
チプサンとは乳房のことをあらわすようです。
篠山市の雲部の車塚内部も真っ赤です。
*)「2009年11月29日 兵庫県立考古博物館(雲部の車塚)」
赤は血流をあらわし、地球も生きていると、これまでから世界各国で川や湖が赤くなって知らせています。
最近では、
*)「地球の記録:ロシア・ノリリスクで川が突然「真っ赤な血の色」に染まる。当局は「原因不明の物質によるもの」と発表」(2016年9月8日記事)
*)「地球の記録:イスラム教「犠牲際」での大量屠殺の日と大雨が重なり、バングラデシュのダッカの近くの道路が動物の血液で「赤い川」と化す」(2016年9月14日記事)
【追記】
TVで南極の赤い滝をしていました。
*)「南極の氷河を流れる「血の滝」」(2009年9月8日記事)
・2017年12月30日 ヤギの目の意味
物部氏の最後と伝えられた、春日富士の麓の神社の裏の巨石を見て、その後、篠山の車塚古墳へ向かう道中に見えたビジョンです。
薄赤いのはいて座、長方形はシリウスで、ヤギの目をあらわします。
真ん中の白い丸は、太陽をあらわし、左側へ移動し出て行く。
その後の言葉で、物部氏もモーゼと同じくやぎ座でもあったようです。
12月30日朝
「ナラに行った者が降りています。
甲冑をつけた男性です。
物部の守屋です。
いらぬことです?
(見に行くことが)いらぬことなのです。
今に悪者のことを知らせることになるからです。
(倭の国の)宝物をナラに渡すことで、争いをすることはないということでした。
それで倭の国が守れると思いました。
けれどもそれは間違いでした。
聖徳太子はさらに要求してきたことは、倭の国をナラ(ヤマト)の支配下にするということでした。
そのことを反対すると、”飛んで火にいる・・・”と“千早赤坂村”において刀で攻めてきました。
けれども倭の国には刀がなかったので、車塚(古墳)で創るように指示をしましたが、刀になるまでに間に合いませんでした」
*)「2008年8月10日 【雲部車塚古墳】篠山市」
(奈良の正倉院の宝物は、倭の国にあったモノと、以前から伝えられています)
「(イシカミの原子が)刀になるには、焼くことをしなければなりません。
それには太陽と火星と水星の応援がいりました。
そのことを車塚古墳と両側の陪塚古墳で知らせています。
陪塚は太陽と水星のミナノコたちで、火星は雷となって物質化を応援しました。
けれども刀になるには、長い時間が必要でしたので、間に合いませんでした」
(それでそのまま塚の中に残った)
*)「2017年1月30日 兵庫県立考古博物館 雲部車塚古墳内部」
「それで悪者は“飛んで火にいる・・”と言いました。
それをやらせたのが聖徳太子でした。
(聖徳太子の)刀はオオクニヌシの鎌を悪者の火星の力で創り直したのです」
*)「2009年10月17日 オオクニヌシの刀(クサナギノツルギ)」
「その悪者の火星が世界中で火事を起こさせて知らせているのです。
物部の守屋の無念の思いが、硬い岩となっているのです。
その姿を見なくても伝えることができたので(わざわざ)行かなくても良いと言ったのです」
*)「2011年2月28日 物部氏の岩」
「物部の守屋の岩になった、一部の原子たちが、人間の姿となって(綾部の(私市丸山古墳の)甲冑の姿となったのです。
子供はホシノベの者でした。
“和をもって尊し”と言ったのは、物部の守屋でした。
それを聖徳太子の言葉として(後世に伝えられて)いるのは、間違いだと知らせたかったのです」
・2017年12月31日 富田林 龍泉寺
*)「2017年12月24日 大阪河南町 8:06」
の河南町ワールド牧場から見える小山が気になって行ってきました。
富田林(トンダバヤシ)とは、聖徳太子が物部の守屋を誘ってだまし討ちした時、
「飛んでい火にいる・・」と言ったことをあらわし、近くに千早赤坂があります。
推古天皇の時代、蘇我馬子が建てたと書かれていますが、馬の居宅だった?
*)「2017年12月19日 月の地下道、ノス・トラ・ダムス、兵器、微生物、千早赤阪、オオクマ座と北極星、松果体、太陽」から
以前見たTVで千早赤阪村の風景がとても気になっていました。
それは、男性の肩に乗った5、6歳の男の子が七支刀を掲げているワンシーンですが、その後“千早赤阪村”が気になり、出かけていっても謎が解けませんでした。
チ・ハヤとは、血が早く流れる、アカ・サカ=赤い坂と言う意味で、やはりそこで物部氏が刺されたということをしらせているようでした。
ソラからの情報では、物部氏は聖徳太子に戦争をしないでと、交渉に出かけたが、そこで切り付けられて、僧侶の服装をして逃げ帰ったが、春日村で倒れて、その後その男子と一緒に、私市丸山古墳に葬られたと知らされていました。
聖徳太子が使った刀は、大国主がアトランティスから持ってきた草刈り鎌を焼き直して日本刀にしたのが、熱田神宮に奉納されている大刀で、タケルノミコトが猿投山へ行く道中、熱田神宮に置いて、熱田姫に守らせたと。
タケルノミコトはイシジンの巨人で、相撲取りの部下が猿投山の近くの能見神社(相撲神社)に祭られた。
能見神社とは後からノミを連想させ嫌がらせでつけられた名前。
以前に物部の守屋が聖徳太子にだまし討ちされて、ここで倒れたと伝えられたところで巨石があります。
この一部がイシジンの甲冑をつけた武士となって、私市丸山古墳に葬られたと。
・2017年12月31日 篠山市 石くど古墳
とても大きな巨石で、長方形はシリウスが指導したようです。
物部氏は馬を大切にしていましたが、聖徳太子は仏教の関係で、馬を全滅させ、牛を使うようになったと伝えられています。
・2018年1月1日 私市丸山古墳
説明板
・2018年5月24日 綾部市 私市(キサイチ)丸山古墳 頂上部
これまで何度か行っていますが、頂上の画像を紹介していませんでした。
かってはこの一帯は、倭の国として大きな平野の国であったが、その後ヤマトから攻められないようにと、騙されて降りてきたミナノコのイシカミたちで、平野は無くなり、山国となり、完全に歴史から消され、高速道路で初めて遺物が出てきて、古墳とわかったそうです。
キサイチとは、聖徳太子の母のスイコ天皇が、物部氏を嫌ったために、その名前をつけられたと伝えられています。
この地方はこれまで何鹿(イカルガ)郡と呼ばれながら、それすら消されイカルガの名前は大和の奈良へ持っていかれたそうで、かっての倭の国の物語として、ソラから詳しく知らせてきた、証拠でもあります。
日本の歴史の最初であり、平等であったために、大きな古墳などは残されず、小さな古墳が周りには1000個以上あったそうですが、山彦海彦の物語(これも後年の権力者により争いの物語にされています)のように、自然の恵みだけの生活だったようで遺物も少なく無視されています。
大人と子供の鎧などが残っていたそうですが、物部氏とホシノベと関係していると伝えられ、これまで思いもかけないストーリーは全てつながって行っています。
ただ、現在の人間を当てはめるとつじつまが合わないと言われますが、年代はイシジンは分身ができたり、生まれ変わりがあったりで定かでありません。
弊社出版「ソラからの真実の歴史」ご参照ください。
*)【ヤマタイコク物語】
・2018年5月24日 綾部市 私市(キサイチ)丸山古墳 葺石
葺石はイシカミが降りてきた時は、ドロドロで流れ出るために、周りのアトたちが固まって石になったそうです。
この石はとても主張しているように見えたので、撮ってましたが、その夜に見えた
《ビジョン》
“このような石が積み上げてあり、この白い石の左横から、線だけの人間の形が出てきて、中央部まで歩いてきて、再び左側の後ろへ入っていく”
という、とてもはっきりとしたマンガのビジョンでした。
この古墳では、以前は見た覚えがなかったピンクの小さな花が出迎えてくれ、裾の方にキイチゴの小さなのがたくさん増えていました。
・2019年1月25日 星の宮神社の前
2008年9月7日の画像です。
何年か前の夢で、小さな星原川の橋に下にたくさんの魚、それも大きな海の魚のようなのがいっぱいいる夢を見て、今でもはっきり覚えています。
知らされたことは、この上流でいて座の原子たちが魚となるように、大元が計画をしたという思ってもいないことでした。
そしてやはり夢で、この上流の土管のあるところがスタートだったと。
実際行ってみたら土管があり、驚きました。
この変わった形は古墳に見えると思っていたら、思わぬ言葉が出てきました。
ここは古墳で遺物が出てきたけど、ホシノベが伝えたことの全てを封印するために、この左側にいわゆる危険物の廃棄場としたと。
実際、昔は瓶や陶器が割れるくらいしか、不燃物はなかったのですが、そこに捨てに行っていましたし、子猫が生まれたらそこに捨てる風習だったようです。
今でこそ植林がなされて山になっていますが、この丘?の向こう側に、道があり遠くの畑に行く時に通っていました。
そこから見ると、子供心に変わった形の畑だったと思っていました。
この山に、プレアの王であり、木星の極悪王のイシキが降りてきて、支配してきたと。
ちなみに右側の上にお寺があり、子供の頃はここが遊び場でもあり、お経も教えられていました。
又、手前に公民館がありますが、小学校6年の時、雨宿りをしていたら、この向いの山の方に、10本以上もの稲妻が落ちたのをはっきりと覚えています。
そしてそのことが後年はっきりと事実だったことが、思わぬことでわかりました。
それは小学校の同窓会で、それも偶然見た同級生の文で、
「一番記憶に残っているのは、有岡のお寺に雷が落ちて燃えたのに遭遇したこと」
と書かれていたことです。
その有岡のお寺とは隣村の日蓮宗のお寺で、98年にプレアの女王がそこに行くように言って来たお寺でした。
ちなみに手前の田は白木家のもので、母が生前、タエコには何もしてやれんかったので、この一枚をやってほしいと、何度も言っていましたが、、。
2009年4月4日に左側の空き地に、三田の羽束川の白い石でストーンサークルを作ってほしいと言葉になり、地元の同級生の許可をもらって作りましたが、お寺の下の家の人から抗議をうけて、2009年4月11日にストーンサークルは君山の身代わりになった君の尾山に移動しました。
その後はイシカミの怒りをとても感じていましたが、2011年(平成23年)3月11日東日本大地震が起きました。
その後、綾部福知山地方でも、大洪水や大雨による山崩れがしているようで、1200年崩れなかったのに、という私市丸山古墳も何度か崩れています。
星原をソラの検索で調べるとたくさん出てきますが、情報は一貫してつながっています。
*)「2009年4月24日 パレスチナ子供劇場、日暈と横虹の警告=壊されたストーンサークル、リリス、クリオネ、仙骨」
サインが続くのは、言うべきことを知らせないからということで、これまで思っていたことを紹介しておきます。
(”1”はスタートをあらわすそうで、気になっています)
・2019年8月11日 綾部市 私市丸山古墳の崩れ
綾部や星原のイシカミは、役目は終わったと崩れようとしているようで、一番のお知らせ役の私市丸山古墳はこのように、崩れるのが止まりません。
この並びの山はあちこちで崩れていました。
画像で見るとあまりはっきりわかりませんが、大雨も降っていないのに、行くたびに赤く崩れている個所が増えています。
・2020年1月3日 兵庫県春日町多利 阿陀岡神社
社の裏の巨石で、物部氏がここでヤマトに殺され、この巨石となり、その分身?がホシノベの子孫と共に、綾部市物部町の館まで逃れて、その近くの私市丸山古墳の頂上に葬られたと伝えられました。
そして今回、物部氏の妻が火星の女王のイシキであり、行ってほしいと言葉になり出かけてきました。
社裏に巨石がゴロゴロしているのは、半イシジン?だった物部の身体が、バラバラにされ、それらの原子が増殖して巨石群になったようです。
*)「2011年2月28日 物部氏の岩」
・2020年2月2日 私市丸山古墳の山崩れ
1300年崩れなかった古墳が、繰り返し崩れようとしています。
こちらだけでなく、向こう側も崩れています。
ソラからの情報を星原の村は勿論、綾部市も邪魔をしてきたことに対してのイシカミのささやかな抗議のようです。
星原も小さな村で、人口はどんどん減っているようで空き家が目立ち、あちこちの山崩れもしていますが、何として邪魔をしたいようです。
・2020年2月2日 私市丸山古墳の下のトンネル
日本国中の遺跡を廻っていますが、トンネルがこのようなイシカミの色になっているのは、このトンネルとその前のトンネルだけ?
私市丸山古墳が崩れだしてからこのような赤い線が引かれたようですが、少なくとも国の一部の方はイシカミの存在を認めて頂いたと思っています。
かすかに映っている大きくて丸いオーブは、意識を持った原子たちが集合して見ています。
オテントさんが見ているということは、このようなオーブが人間のすることを見ていて、ソラで相談をして見守りもしたり、その反対にしたりするようです。
イシカミ巡りは、ほとんど暑くなし、寒くなしと思えるお天気に恵まれるのも、これら見えない原子に感謝をしているので、応援してくれていると思っています。
・2020年2月4日 八尾市 鏑矢塚
物部の守屋を矢で射ったのは、トミノ・イチイという名前の漢字は、後年の権力者が嫌がらせの当て字を当てています。
名前の通り、“富(トミ)を得るために、血(チ)に祈る(イ)”反逆者のようです。
鏑矢をカブラヤと読ませるの、イシカミの作品であるおいしい蕪の名前を取っているようでしたが、このようにかわいいお花で囲まれていてよかったです。
守屋は近くの寺で矢を射られて亡くなったと伝えられているようですが、傷を負っただけで、倭の国の春日富士(丹波富士)の麓まで逃れて、その分身が、私市古墳まで行ったとソラからの情報では知らされました。
*)「2018年8月29日 八尾市 太子堂の岩=物部氏の中指」
ソラに報告が行ったような雲です。
*)「2020年2月3日 八尾市 14:11」
・2018年8月29日 八尾市 太子堂の岩=物部氏の中指
物部氏のお墓の近くの太子堂の入ってすぐにあり、ここで物部氏は討たれたと伝説になっていますが、中指を切られただけと。
2014年9月3日に紹介していましたが、先回行った時に、この石を紹介してほしいと言葉になり、物部氏の体の一部、ということで頭かと思っていました。
井戸の横に石組の上には大きなリューの頭があり、そこから水が出ているようでしたが、聖徳太子の正体が青龍であったようで切り刻みました。
ここで物部氏は討たれたように伝えられていますが、、倭の国の物部の舘に帰ろうとして、途中で春日富士の麓で追っ手にやられて、そこで物部氏は巨岩になったと伝えられています。
*)「2011年3月2日 物部氏、陀岡神社、地球の磁力線、如意棒、飛騨の連続地震、両面宿儺、玉造、悪の三ツ輪」
*)「2011年2月28日 物部氏の岩」
夜中に目が覚めて、左中指にしっかりとしたサインで、
「(太子町の)物部氏のお墓は、物部の中指なのです。
その中指は近くの聖徳太子のお墓にあります。
以前に見たことがあります?」
と言葉になったのですが、完全に忘れていました。
この太子堂にあった石を紹介してと言ってきていたのが、その時は物部の頭と言っていたが、中指でした。
・2014年9月3日 八尾市太子堂 物部氏の中指?
【2018年8月29日追記】
夜中に目が覚めて、左中指にしっかりとしたサインで、
「(太子町の)物部氏のお墓は、物部の中指なのです。
その中指は近くの聖徳太子のお墓にあります。
以前に見たことがあります?」
と言葉になったのですが、完全に忘れていました。
この太子堂にあった石を紹介してと言ってきていたのが、その時は物部の頭と言っていたが、中指でした。
・・・・・・・・・・・・・
物部の首をあらったという池は、空池になっていましたが、その横の石が大切なので紹介してほしいと、その時は物部の分身の頭と言葉になっています。
はっきりとは分からないのですが、物部はイシジンで、その分身が肉体になっていたが、亡くなると原子たちは石に戻って大きく増殖した?シリウス関係のようです。
・2011年2月28日 物部氏の岩
春日富士で聖徳太子にやられた物部氏はどこにいるのかと思っていたら、ここ春日町の阿陀岡(あたか)神社に来てくださいと言葉になり行ってきました。
ミナシゴたちが物部氏のそばに行きたいと言ったのを、意地悪な悪いオリオンが石として引っ付けさせ、閉じ込めさせたために、このような大きなごつごつの岩になったと、言葉になりました。
岩に取り付いていたミナシゴやオリオンを切り刻むことでイシキはソラにあがったそうです。
この後、聖徳太子が思ってもいなかった法隆寺の屋根の醜いリュージンがその姿だと伝えてきました。
*)「2008年8月21日 法隆寺 竜」
今残っているリュージンは江戸時代に創られた?そうですが、その前は見えない姿のあの形で、倭の国から盗んできた宝物を取りに来ないように見張っていたと、これまでの情報とつながりました。
・2020年9月14日 篠山市 雲部車塚古墳の陪塚その2と物部とデカンショ節
*)「2008年8月10日 【雲部車塚古墳】篠山市」
左側が雲部車塚古墳で、遠くてわかりにくいですが、堀の外の右側のかすかに盛り上がったのが、陪塚その2で、そのアップが下段です。
御覧のように山に囲まれた静かな兵庫県篠山市の田舎町に、円墳の外観からは想像もつかない内部の品々は、埋め戻されていて、内部の様子は遠く離れた姫路市の兵庫県立歴史博物館にあるだけで、決してこの古墳のある篠山市には、塚の内部の豪華さなどはなんら紹介がしてありません。
*)「2017年1月30日 兵庫県立考古博物館 雲部車塚古墳」
今回ここへ来る道中に、右目にきついサインと共に、物部の守屋が降りてきました。
丁度デカンショ通りと呼ばれている道路あたりで、デカンショとは、「でっかいでしょ」という意味でない?と、同行者がつぶやきました。
まさにその通り、物部の守屋はとても大きなイシジンだったようです。
ちなみに隣の春日町で物部は亡くなったが、その分身が倭の国に逃げ延びて、私市丸山古墳になったと伝えてきています。
若い頃から、なぜ高い山に囲まれているわけではないのに、丹波と言うと田舎者とバカにされるのか?気になっていたことを以下のようにメモしていました。
*)デカンショ節「丹波篠山山家の猿が・・・」は旧制一高で歌われていたと聞いていますが、丹波=山国で田舎として侮辱されてきたけど、もっと山奥の村が多いのに、なぜか不思議でした。
雲部車塚古墳が出たことと関係あるのでないかと、それ以来浮かんできていますが、物部の関係が多く残されているので、何としても知られたくないのだと国を挙げて嫌がらせをしてきたのだと。
沢山の立派な武具が出てきたこの古墳は、今では皇室の管理になっていますが、付近に家も無い外観は全く小さな小山を皇室関係とするのは、どうみても無理と思えていました。
篠山市には古墳の外観しか?写真の紹介がないも不思議でした。
そして読者から知らせてくださったたくさんの古墳のサイトを見て驚きましたが、綾部も1000からの古墳があるそうですが、小さな古墳は興味が示されず名前すらないようです。
*)「丹波篠山市界隈の遺跡」
♪丹波篠山山家の猿が(ヨイヨイ)
花のお江戸で芝居する(ヨオーイ ヨオーイ デカンショ)
兵庫県は日本一古墳が多く遺跡も2番目に多いそうで、溜め池も一番多いそうです。
地震雲などの画像より
・2023年6月20日 札幌市 10:15
・2023年6月20日 札幌市 10:24
・2023年6月20日 札幌市 10:28
・2023年6月20日 三田市 15:43
・2023年6月20日 三田市 18:10
・2023年6月20日 札幌市 18:14
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19-JUN-2023 12:16:46 46.19 153.10 4.4 10 KURIL ISLANDS
19-JUN-2023 11:36:51 15.49 96.23 4.8 10 NEAR SOUTH COAST OF MYANMAR
ソラ辞典より
・イシカミ
大昔、射手座から降りてきたいわば宇宙人、お腹に人間を入れて降りてきた。
射手座にいた頃は、三次元の生物ではなく所謂‘意識体’だったが、人間を作った時に自分達も三次元の形になって一緒に下りて来た。
大きさは様々だが山のように大きいイシカミもいた。
とろとろのお餅のような身体で、引力によって身体からぽたぽた落ちた物が落とし物と呼ばれている。
落とし物から分身の子供達を作り、人間の為に食べ物や川、山を作った。
またピラミッドで宇宙のエネルギーを得たり引力を放散したりしようとしたり、いろいろな奇岩を作りサインとして残した。
当事の人間はイシカミの存在を知っておりテレパシーでコミュニケーションをしていたが、今では人間の意識が薄くなりごく一部の人にしかその能力が残っていない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、地球の謎解きより。
写真は6月20日のソラ。