那須太社 錦輔 の日記

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ヨーロッパ覇権史 玉木俊明

2020-03-09 18:57:00 | 政治経済
図書館で借りた。
途中だが、中々面白い。
P63
16世紀後半から17世紀前半にかけ、ヨーロッパでは食糧不足が発生していた。例えば、それ以前にには食糧が自給自足できていた地中海沿岸諸国では、16世紀末から北ヨーロッパからの穀物輸入を余儀なくされた。
このような時代に食糧をヨーロッパ諸国に供給したのは、バルト海地方、とくにポーランドであった。そのポーランドの穀物を輸送していたのがオランダ船であった。
ポーランドからオランダのアムステルダムに穀物が送られ、さらにそこからヨーロッパ各地にオランダ船によって輸送された。
バルト海貿易はオランダの「母なる貿易」と呼ばれ、長くオランダ経済の根幹を支えることになった。
東インド会社の貿易は、もし儲かれば高い利益を獲得することができたが、損失も大きかった。
それに対してバルト海貿易は、オランダに安定的に利益をもたらしたのである。

なぜ、あんな小さなオランダが、一時的にせよイギリスと張り合うような貿易大国になりえたのか、という疑問が解けるかもしれない。

この間読んだ、銀の歴史、という本でも、ヨーロッパは早くに国際分業体制ができて、中欧、東欧が食糧供給国になった、と書いてあった。
それを突き詰めたのがイギリスで、インドやアメリカから綿を仕入れ、本国の工場で綿布を織り、それを中南米で売り、中南米からは佐藤、コーヒーを仕入れてヨーロッパで売る、アフリカからは奴隷を仕入れて中南米に売る、壮大な三角貿易によって世界帝国を築き上げた。
ただし清(シナ)に対しては文化的優位性があまりないため売るものがなく輸入超過となり、そこからインドの阿片を清(シナ)に売りつける事を考え出した、という。

P65
近代世界システムにおいては、工業、商業、金融業の三部門で他を圧倒するような経済力をもつ「ヘゲモニー(覇権)国家」が生まれる。
それは「中核国」となり、強大な権力をもち、周辺諸国を収奪する。
さらに「中核」と「周辺」のあいだに、一種の緩衝地帯である「半周辺」が位置する。
このようなシステムが、16世紀中葉のヨーロッパで誕生し、やがて世界を覆いつくした。
ウォーラーステインによれば、世界史上、ヘゲモニー国家は三つしかなかった。
17世紀中葉のオランダ
19世紀終わり頃から第一次世界大戦勃発頃までのイギリス
第二次世界大戦後からベトナム戦争勃発の頃までのアメリカ合衆国
である。
なおここでいう「ヘゲモニー」とは、経済上のそれであり、政治的なヘゲモニーを意味するものではないことに注意されたい。

P66
最初の近代経済であったオランダは、こんにちのドイツ東部からバルト三国に当たる大農場制度地帯=グーツヘルシャフト地帯を、オランダ経済に従属させた。
この地域から西欧に輸出される穀物の80%近くが、オランダ船で輸送されていた。そうしてオランダは、海運業を発展させる事で圧倒的な経済力を獲得した、ヘゲモニー国家になった。
グーツヘルシャフト地帯は、オランダの船がなければ、穀物を輸出できなかった。
そのような意味で、グーツヘルシャフト地帯はオランダに従属していたといえよう。

あと、バルト海の出口の狭い海峡で通行税取って儲けてる勢力もいたらしい。
スエーデンはそれを嫌って湖をつなぎ、国土を東西に横断する運河を掘ったらしい。
鉄道が発達したため輸送路としてはあまり活用されなくなったようたが。

追記

エースレンド海峡、あるいは略してエーレ海峡などというらしい。デンマークが通行税を取っていた。
あと国境ではなくデンマーク側に大ベルト海峡と小ベルト海峡
そもそも昔はデンマークがエースレンド海峡東岸の今はスウェーデン領の土地も領有していたので、デンマークが通行税取っていたようである。

あと、スウェーデンの運河については以下のWikipediaに詳しい。





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