この間、すごく久しぶりに図書館にいったら、色々面白そうな本があって、芦原英幸正伝と、AK47についてのドキュメンタリーを2冊借りた。
AK47については、ラリー・カハナーという外人の書いた本をまず読んだのだが、失敗国家という言葉が何度か出てきた。
ネットで検索するとメキシコの犯罪被害者のひどい写真がたくさん出てきた。
国家を細かく分割していくと、家族になると思う。
失敗国家が現出してしまうのは、家族が失敗しているからではないのだろうか?
我が国を中心にして考えると、そういう結論に達する。
俺の親家族は失敗家族だったと思う。
おそらく、俺の世代あたりからたくさんそういう失敗家族が発生して、今どきはもううんざりするほど失敗家族があふれてるんじゃなおだろうか。
家族のない者は根無し草だ。
家族と国家が補完しあうのが、本来の形なのではないだろうか?
国家とか体制とかを一方的に敵視する日本的左翼思想がこのような失敗家族を生じさせているのだと思う。