白雲去来

蜷川正大の日々是口実

高所恐怖症ですから。

2021-10-25 13:46:05 | 日記

10月13日(水)雨。

寒い朝だった。久しぶりに布団から出るのに勇気を必要とした。朝食は、納豆に寿雀卵入り、マルちゃんのワンタンスープ。昼は、お友達からの差し入れのモスバーガー。青唐辛子入りのバーガーがめちゃ辛かった。夜は、鶏のつみれ鍋にキャベツのおしんこ。休肝日とした。

珍しく愚妻と子供たちが皆、テレワーク。しかし家に居ても皆さんそされぞれ自室で仕事をしているので、家に居るのかいないのか分からん。私も午後から事務所に行き、ちょっびり仕事。そういえば、近所のスーパーに好物の松茸が並んでいた。愚妻が、「ああもうそんな時期なの。たまには贅沢をしたいね」。良さげな形の物が5本で6千円。「清水の舞台から飛び降りたつもりで買ったら」。私が、「高所恐怖症だから、清水の舞台から飛び降りられないよ」とスルーした。考えてみれば飲み屋に行けば、そのくらいのお金など何の気にもせずに払うのに、松茸の6千円にビビっている。我ながら情けない秋の空。


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マロニエの思い出。

2021-10-19 14:25:18 | 日記

10月12日(火)曇り。

ちょっと体調が良いと飲みすぎてしまう。てなわけで目が覚めたのは10時近く。寝室の天井に、また「反省」の二文字を貼らなければ。好きなコオヒイをアイスから暖かいものに変えた。二日酔いの時は、どうしても午前中は何もする気がなくて、ただボーっとしている。のんびりとコオヒイを飲みながら新聞を読む。古希を過ぎて、小さい字が読みづらくなった。そろそろ老眼鏡でもこしらえるか。

最近、マロングラッセというケーキが流行っているという。栗を砂糖漬けしたものでフランスが発祥とのこと。ちょっと調べたらマロンは栗ではなくマロニエのことらしい。パリのシャンゼリゼ通りと言えばマロニエの並木。私が、そこを歩いたのは今から29年も前の事。野村先生のお供をしてローマ、シチリアを旅した折に、私がリクエストしてパリに寄った。ガイドの女性の方が、マロニエの木の下に落ちていた実を私にくれて「日本に持ち帰って、うまく行けば芽が出るかもしれません」。そう言われて3つほど持って帰ったが、残念ながら全滅だった。ナイトクラブ「リド」の帰りに、凱旋門の近くでアコーディオンとクラリネットのパリの「流し」つかまえて、「パリの空の下セーヌは流れる」を演奏してもらったことを思い出す。※平成4年(1992)パリにて。


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今は亡き悲願の人の悲願を継ぐ。

2021-10-18 14:56:46 | 日記

10月11日(月)晴れ。

昨夜はまじめに早く寝たので、6時前に起きた。朝食は、志村馨君が届けてくれた伊勢原の寿雀卵でTKG、アジの干物、金沢八景のわかめの味噌汁。昼は、テレワークの下の子供と一緒に、チキンライス、ポーク・ソーセージ、朝の残りのわかめの味噌汁。夜はサンマの塩焼き、サンマの天ぷら、トントロ、焼うどん。酔狂亭にて独酌。

今日は、「群青忌」の命名者である、元楯の会の阿部勉さんの御命日。平成11年に53歳と言う若さで亡くなられた。早いもので22年が過ぎた。確か亡くなられた翌年だったと思うが阿部さんの故郷の秋田県は角館にある墓所へ行った。昔ながらの武家屋敷が残っていて、そこを歩いていると着物姿の阿部さんがフラっと現れてくるような錯覚がした。また角館にお墓参りに行ってみたいと思っている。

10月は、今日の阿部さん、14日の松本効三先生、20日の野村先生、25日は三上卓先生と私たちとゆかりの深い方の御命日が続く。今は亡き悲願の人の悲願を継ぐ。という野村先生の句が浮かんだ。


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家呑みもまた楽しい。

2021-10-18 14:20:18 | 日記

10月10日(日)晴れのち曇り。

緊急事態宣言が解除されたとはいえ、これまで外に飲みに行くことがほとんどなかったので、「飲みに行かない」と言うことが普通になった。また、そうしているうちに「飲みに行きたい」という欲求もほとんどなくなった。体が老いに支配されていることもあるが、おとなしくしている方が家族も安心するからだ。と言っても酒を飲んでいなくはない。週二回の休肝日をなるべく守って、酔狂亭と命名している我が家で映画と読書を肴に、それなりに楽しく飲んでいる。

そんな調子だから、たまに友人からお座敷がかかると、嬉しくなってつい飲みすぎてしまう。まあ、今は、何処のお店でも(お上に従っているお店)閉店が九時と早く、「さあもう一軒」がなく、一軒で解散するから、懐にも、体にも良い。

日曜日の夜。家族そろっての夕食。「焼きまる君」のコンロで、ロピアと言うスーパーで買った肉を焼いて、焼肉屋気分。低予算ビックな企画で、「黒霧島」に酔う。


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初めての旅は香港。

2021-10-14 13:34:13 | 日記

10月9日(土)晴れ。

遅めの朝食は、スーパーで買った「アジの干物」(失格だった)、TKGに豆腐の味噌汁。昼はなし。夜は、鶏肉の鍋に稲庭うどん。お供は、「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

今月は群青忌である。早いもので(いつもそういう感慨がある)今年は28年祭。2年後まで元気でいられたならば、最後のご奉公で実行委員長をやらして頂く。頑張らなくては。野村先生と初めて海外に行ったのは香港で、平成3年(1991)の暮れも押し迫った12月21日のこと。先生と私たちは同じ飛行機がとれずに、キャセイパシフィック航空で行った。3泊4日でホテルは海岸沿いのリージェント(現インターコンチネンタル)。当時はまだアナログの時代で、カメラはフィルムでビデオの操作すら知らなかった。いやこの時だけではなく、先生のお供をして行った旅の最後の平成5年当時もまだアナログで携帯電話がやっと普及した時代だった。

今のように、スマホで写真も動画も撮れたならば、もっと沢山の先生の姿や言葉を残せたのにと思うと残念である。先生との旅のすべての写真を整理してCDに保存している。※リージェントホテルの部屋で。

 


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