2月24日(月)晴れ。
所要があって千葉行き。バックには『作家と酒』(平凡社)を一冊。市川までは一時間余の車中である。旅というようなのんびりしたものではなく、かといって仕事でもない。所要という都合の良い言葉があって助かる。電車の旅が好きだ、と言っても、いわゆる「撮り鉄」や「乗り鉄」そして六角精児さんのような「呑み鉄」でもない。「電車の旅」といっても、せいぜい3時間程度が限界である。
横浜から下田あたりまでが我慢の限度。車窓を楽しむのには、それくらいが丁度よい。下田方面に行くときは、座席は左側。小田原を過ぎるあたりから海が見えてくる。天気の良い日などは、石坂洋次郎の小説ではないが「光る海」が目に眩しい。小田原の西湘バイパスの近くには、若くして亡くなった盟友の渡邊康司さんが眠っているお寺があり、いつも目で追う。
横浜駅で、簡単な肴とビールを3本仕入れて車中の人となる。新幹線だと、早すぎて車窓を楽しめない。下田までは、せいぜい「踊り子」か東海道線のグリーン車を使う。窓から入る日差しでついウトウトしてしまい、あーあもったいないと、慌ててビールを飲む。いや、下田行きの話ではなかった。
千葉方面に行くときは、なぜか時間が逆戻りするような気がしてならない。過去に向かって走っているような、不思議な感情に包まれる。市川まで一時間、記憶は中学生のころまで戻った。駅前で盟友が待っていてくれて、とりあえずホテルにチェックイン。彼の会社で二時間ほど、こまごましたことを済ませてから、いつもの蕎麦屋へ。頑固な、それでいて人の好いご夫婦が営んでいる。蕎麦はもちろん、酒の肴も美味しい。盟友の友人10名ほどでお店を貸し切り。県議、元政治家の秘書、計理士、司法書士、ハゼの釣り師夫妻、背広の仕立て屋さん。そこに新進気鋭の保守の論客の岩田温先生とお弟子さんが乱入。談論風発、喧々諤々の酒。その後、一軒転戦してホテルに戻った。何から何までお世話になりました。盟友に感謝。