白雲去来

蜷川正大の日々是口実

福田和也氏の新刊。

2023-06-09 16:01:16 | 日記

6月4日(日)晴れ。

朝食は抜いた。昼は、揚げパン一個。夜は、チヂミ、小エビのフリッター、ナポリタン、新玉ねぎのサラダ・イタリアンドレッシング。お供は、「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

過日、産経新聞の書評欄で、久しぶりに福田和也氏の名前を見た。一時期は、保守の論壇の寵児として、様々な媒体で活躍しており、決して大げさではなく福田氏の文章や名前の見ないことはなかった。それが、いつの日からか、全く、名前を見なくなった。(私の勉強不足だったら許してください)どうしているのだろうかと、心配していた。

福田氏は、平成10年に開催した野村先生の追悼集会「群青忌」の第五回横浜集会で追悼講演をして頂いた。それ以降は個人的なお付き合いはなかったが、最後に本を読んだのは『日本綺人伝』(廣済堂新書)か。またもう13年も前だが福田氏が『週刊新潮』で「世間の値打ち」というコラムを連載していた。その第四百九回(8・26号)が「忘れられた横浜の怪人・田中平八の足跡を訪ねた」というものがあり、野村先生のご両親の眠るお墓のある横浜市西区にある東福寺、通称「赤門の寺」を訪れたことが書いてあり、ちょっと感慨深かった。その福田氏の新刊本と言うのが、『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることであるーコロナ禍「名店再訪』から保守再起動へ』(河出書房新社・1870円)。

明治大准教授の酒井信氏の書評を一部紹介させて頂く。

福田和也が本作でいう「日常を大切にし、それを文化とする心」は、彼の旺盛な執筆活動=生き方と深く関係する。冒頭の東京・大井町、丸八のページには、2度揚げされたとんかつへの「等身大の愛」が綴(つづ)られ、神保町の名店ランチョンやキッチン南海のページには「取り替えのきかない郷愁」があふれる。馴染みの店でのひと時を、読者の食欲をそそる「臨場感あふれる言葉」で綴る福田の日常に根差した文芸は、福田恆存の言う「文化」の域に達している。

表紙の痩せた福田和也の姿を見て、読者は驚くだろうか。コロナ禍の飲食店を訪ねるこの連載中に3度倒れ、3度救急搬送されたという。ただ本書でも、「批評の目玉」の鋭さは健在で、福田という「とんかつの衣」から「中の人=真打ち」が出てきた印象さえ受ける。読んでいて何度も涙がこぼれた。「日常の精神の安寧」を尊ぶ福田らしい「生きた文学」で、彼の弟子であることを誇らしく思う。

 

 

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 文庫本にも獄舎の印 | トップ | 文豪が愛でた鰻。 »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事