白雲去来

蜷川正大の日々是口実

承詔必謹。

2016-08-09 13:21:44 | 日記
八月八日(月)晴れ。

朝から何か落ち着かず、時計ばかりが気になる。オリンピックも上の空である。恐らく多くの日本人が私と同じような気持であったに違いあるまい。何をしても集中できないので、昼過ぎから郵便局に行ったり、十日の支払いの手当てを済ませてから、自宅に戻り、日本間のテレビの前に正座する。

三時、天皇陛下がテレビで国民に語り掛ける。私は、戦後生まれなので、ニュース映画の中でしか知らないが、きっと戦前にテレビがあったなら、当時の国民も、今日の私のように先帝陛下の玉音放送に釘付けとなっただろう。その先人の気持ちが、一瞬だが感じられるような気がした。

陛下が、お言葉を発する前は、新聞やテレビで、「生前退位」などと言う不敬な言葉が独り歩きし、その言葉が、一体どこの誰がリークしたのかも、マスコミは言わぬままに、垂れ流していることに、憤りを感じていた。陛下がどんなにご高齢であっても、国事行為に支障をきたしても、そのご存在の継続こそが、日本と日本人にとって尊いことであると思っていた。

しかしながら、陛下の御覚悟や国民に対するお言葉を聞いた時に、何たる自分勝手な考えで物を言っていたのかと、反省した。私は、学者ではないので、陛下のお気持ちに沿うようにするのにはどうしたら良いのか、どういう法改正が良いのかと言うことには無知である。ただ市井に生きる民として言えることは、天皇のお言葉を承れば必ず謹め。すなわち承詔必謹。これ以外に臣民の道はないと思う。皇尊弥栄。

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劇「横浜グラフティ」。

2016-08-09 12:05:39 | 日記
八月七日(日)晴れ。

ヨコハマの戦後、所謂60年代の青春群像を題材にした劇「横浜グラフティ」は、東京の俳優座劇場と横浜の県民共済みらいホールの二ヵ所で上演され、今日は、その千秋楽である。

四時に桜木町駅で友人らと待ち合わせて、会場へ。入口には「横浜グラフティ」のモデルとなった小金丸峰夫さんやサリー、サリーパパの「クン坊」やキクさんと言った旧ナポレオン党の人たちがいた。挨拶をしていると、企画をしたキャシー中島さんが近寄ってきて「おお、その筋の人たちが大勢」。これには一同爆笑。中学、高校の同級生であるSさん夫妻や、古屋喜久男さんやナリポン。ルー大柴のお姉さんや、地元の先輩後輩など知り合いが多く、私の友人氏いわく「同窓会みたいですね」。

舞台は、本牧のゴールデンカップを模したシルバーカップのオーナーに扮した勝野洋さんが、このお店が賑やかだった昔の本牧の思い出を取材記者に語る、と言う所から劇は始まる。知っている人達がモデルとなっているので、見ていても何やら気恥ずかしい。途中で、このストーリー、何か見たことがある、と考えていたら、そうか「ウエストサイド物語」だ。「ジェット団」と「シャーク団」の縄張り争い、本牧の「ナポレオン党」と六本木の「キラー党」との争い。それに「アメリカン・グラフティー」が重なって・・・。マッいいか。若い人たちが一生懸命演じている。それはそれで楽しかった。楽日とあって最後には、エディ潘さんが登場して「横浜ホンキートンク・ブルース」を歌ったのが嬉しかった。

久しぶりに若かったころのことなどを思い出すと、目に映る横浜の景色もセピア色に。生まれて初めて焼肉を食べたのは十代の後半で、お店は福富町の京城苑。そんなことを思い出して行ってみた。お店に来るのは三十年ぶりくらいだ。スタッフも若い人ばかりで、昔の面影など当然ないが、相変わらず美味しかった。友人に感謝して解散。

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