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白雲去来

蜷川正大の日々是口実

『ご笑納ください』は金言の宝庫。

2025-03-24 14:25:31 | 日記

3月23日(日)晴れ。

自宅の近くに図書館があるので、最近は、あまり本を買わなくなった。冗談では無く読み終えた本の置き場所が事務所になくなってしまったのだ。貧乏性なのでどうしても本を捨てられない。まあ、取っておいても、今時本の価値などほとんど無いのに等しいから、私にもしものことがあったら、一門の後輩たちに「好きなものを、好きなだけ持って行った良い」と言ってある。そんな訳で、図書館のお世話になっているのである。

何の書評で知ったのかは失念したが、今読んでいるのが高田文夫さんの『ご笑納下さい』(新潮文庫)。高田さんが「密かに尊敬している」というホリプロの創業者の堀威夫氏の言葉があり、ナルホドと思った。「月に一度くらい、顔を見て一杯呑みてぇなぁと思う奴と、よっぽどの用事がない限り顔も見たくない奴がいる。これが年をとってくると男の差となって出てくる」。

私も、「一杯やりてぇなぁ」と思われる男になりたいものだ。更に、高田さんが大病をして仕事を休んだ時に、ファンだという伊豆のお寺のご住職から来た手紙に「勝ちすぎない。負けすぎない。引き分けは勝ち一点だということを忘れないで下さい」とあったそうだ。これを読んだときに思い出したのが、生前の野村先生が大切にしていた柳生流の極意「所詮、勝負は相打ちにて候」という言葉。

高田さんは、私よりも三歳年上の方。お会いしたことはないが、その文庫を持って様々な「待ち時間」に読むのが楽しみで、読み終えてしまうのが、惜しくて珍しくチビリ、チビリと読んでいる。


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子供の演奏会を見学に。

2025-03-23 18:30:14 | 日記

3月22日(土)晴れ。

慌ただしい一日だった。いつもは朝食は食べないのだが、午前中に掛かりつけの病院で血糖値の検査があるので「必ず朝食を食べてくるように」と言われたので、キャベツとカニカマのコールスローを入れたホットドッグを2本。19日の総合病院での検査を報告。「うーん。薬は増やさずにもう少し様子を見るか」。ちなみに朝食後は6錠、夕食後は3錠。合計9条、いや9錠も処方されている。家人は、色々検査をして、月曜日に胃カメラの検査を予約。

帰宅後は、上の子供が通っている音楽教室の演奏会が藤沢のMr・Maxという大型量販店にて行われるので見学に。道中、混んでいて2時間近くかかったが、間に合った。フードコートで「リンガーハット」のスモール皿うどんに餃子。食後に演奏を聴く。親バカかもしれないが、前回よりも上手になったような気がする。子供の担当はアルトサックス。終了後に、友達に会いに行くという子供を藤沢の駅まで送ってから帰宅。歳のせいか、妙に疲れた。夜は、残り物をチャチャっと作ってから頂き物の「赤霧島」で月下独酌。


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久しぶりのライブ。

2025-03-20 18:34:12 | 日記

3月18日(火)晴れのち曇り。

8時から横浜駅西口のライプハウス、サムズアップにて、10代の頃からお世話になっている竹村栄司さんことCHIBOさんのグループ、SKA-9のライブがあり、久しぶりに友人らと待ち合わせて参加。その前に、時間があるので西口で一杯やろうと言うことになって、私が先に行き、お店を探すことにした。最初に入ったのは「ひ〇ご」と言う店。「後から三人ほど来ますが、いいですか」。女の店員が、ぶっきらぼうに「お店での待ち合わせは、お断りします」。イラっとしたが、めんどくさいので、踵を返して次に。

ちょうど、暇そうなお店「マ〇〇ヤ」と言うお店があったので、そこに入ったが、そこの男の店員の愛想のないこと。どうすれば、そんな無愛想な態度で商売が出来るのか、ここもイラっとした。「おすすめ」の刺身を頼んだが、見た瞬間に手を付ける気がせず、ビール一本飲んだだけで会計を済ませた。近くの「モツ焼」に転戦。このお店は、安くて味も値段なりだが、アルバイトの女性の一人が、やはりブス、いや無愛想で、爆発しそうになった。後から、野呂、小林、小川、松本の諸君が合流。店員のセリフ「これ以上増えますと困りますから」。まあ、ゴミみたいな店に入った私が悪いと反省。次は、少し下調べをして、もう少しましな店に入ろうと思っている。客商売をする以上「笑顔はただ」なのだから、せめて愛想よくした方が良いと思うのだが。

八時半からライブ開始。知っている曲が多くて楽しめた。CHIBOさんにご挨拶して帰宅。


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「夜ふけのなわとび」に懐かしい方のことが。

2025-03-19 18:41:41 | 日記

3月17日(月)晴れ。

最近、起きてから食欲がなく、ほとんど朝食を取らない。昼近くになってようやく「何か食べたい」と言う気持ちになるが、一人でいると何か作る気にもなれずに、事務所に行くついでに、自宅近くのインドカレー屋さんの「カナパニ」にて昼食。キーマ・カレーとバターチキンカレーにナン。どこのお店に行っても、この二種類カレーだ。食後は、事務所にて、ちょっと仕事。夜は、盟友が送ってくれた「石垣牛」で焼き肉。キャベツのコールスローサラダ、ワカメときゅうりの酢の物。お供は、甕入りの「宝山」のお湯割り。酔狂亭にて月下独酌。

『週刊文春』の3月20日号の林真理子さんのエッセー「夜ふけのなわとび」は、2月の28日に亡くなられた曽野綾子さんについて書かれていた。その文章の中に、とても懐かしい方の名前があって、ちょっと驚いた。林さんの文章を引用させて頂く「あれはいつだったろうか。上坂冬子さんと一緒にレストランにお呼ばれした。その時、「『絹半纏』という素晴らしい詩集をお出しになった方」そこにやってきたのは迫力のある大男。誰がどう見ても、あちらの筋の方である。若い衆が二人付いてきて、何くれとなく世話をやいた後、一礼して去っていった。そうデビューする前の百瀬博教さんである」。

作家 、 詩人 、 格闘技 プロデューサーとして活躍した百瀬博教さんとは、まだ野村先生がご健在の頃、ある格闘家とのトラブルの仲裁に百瀬さんが入って和解。その後、野村先生が亡くなられた後も、何かと良くして頂いた。麻布のレストラン「キャンティ」に連れていって頂いたり、レザーディスクの『ゴッドファーザー』の完全版を頂いたこともある。平成13年に私の母が亡くなった時など、わざわざ横浜の私の自宅まで弔問に来て頂くなど、先輩に対して失礼だが義理堅い人でもあった。家に一つだけある東京タワーの「スノードーム」を見ると百瀬さんを思い出すときがある。

平成20(2008)年1月27日、車を運転中に、ラジオのニュースで百瀬さんの訃報を知った。そうかもう17年にもなるのか。『週刊文春』に連載されていた百瀬さんの『不良ノート』。単行本になった時に、ご恵送頂いたが、もう一度読んでみようと思っている。※平成13年5月、母の弔問に来て頂いた百瀬さんと。我が家の前にて。


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誕生会と、60年代のヨコハマ。

2025-03-18 15:23:20 | 日記

3月16日(日)雨。

若い人たちが中心となって、5日前倒しで私の誕生会を開催してくれた。場所は、西横浜のイタ飯屋さんの「オアジ」。このお店は、とても好きなお店で、店の味はもとより、オーナーシェフとママさんの「人の味」も最高である。12時半にお世話になっている方に迎えに来て頂き、1時少し前にお店着。仲良しさんが25名ほど。この日のために盟友が差し入れてくれたのが「モエシャドン」の「ロゼ」半ダース。それで乾杯。贅沢な話だ。お店に甘えて3時間も長居をしてしまった。解散後に、有志で本牧の「ブギーカフェ」へ転戦。30分ほどいて帰宅。

今日の誕生会に来てくれた人たちの中には、私が20代の頃からお付き合いしている人たちがいる。「ブギーカフェ」もそうだが、所謂、60年代のヨコハマの面影を残している。

1960年代のヨコハマの街を背景に五木寛之が描いた小説、『雨の日には車をみがいて』(集英社刊)。この本には、大桟橋の入り口に今もあるレストラン「スカンディア」や、かつてヨコハマの若者の流行を担った懐かしい店が、大桟橋と共に登場する。「ぼくらは〈スカンディア〉で伊勢海老のテルミドールをたべ、そのあと中華街へいった。〈レッド・シューズ〉にすこしいて、〈コルト45〉の前を通り、大桟橋のほうへ車を走らせた。〈ブルースカイ〉には〈シャープ・アンド・フラッツ〉が出ていた。大桟橋にはギリシャの大型貨物船が停泊していた。海につき出た埠頭の突端に車をとめ、ぼくは揺子と、はじめてキスをした。」(本文より)

現在も営業しているのは「スカンディア」だけになってしまった。中華街にあったディスコ「レッドシューズ」や、やはり中華街の大通り近くにあった、黒人の兵隊がお客の大半を占めていた「コルト45」。石原裕次郎や勝新太郎といった有名人が足繁く通った超高級ナイトクラブの「ブルー・スカイ」も今は皆無くなってしまったが、山下公園を歩くと、「ああここに『ブルースカイ』があったな・・・。と思い出すことがある。私が10代の頃、横浜はアメリカだった・・・。その頃を思い出す。その私も74歳となる。

 


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