271828の滑り台Log

271828は自然対数の底に由来。時々ギリシャ・ブラジル♪

菜の花や月は東に日は西に(日本の原風景)

2010-03-28 04:48:55 | 博物
ブルンさんのブログを見て、私も菜の花の風景を眺めたくなりました。直ぐに思いつく場所は2ヶ所、どちらも国道17号線バイパス(上武国道)沿いです。それで菜の花のお花見と大泉町ブラジルランチのお誘いをYさんにしたのです。土曜日のお昼近く、日差しは暖かいけれど風はまだちょっと冷たい。お花見が出来たのは太田市の日野自動車新田工場付近です。

信号を左折して見物場所に回り込もうとすると、そこに公園がありました。下田中公園という街区公園で、そこに懐かしい揺動遊具を発見して動画を撮影しました。10年以上は経過しているでしょうが、まだ動きはスムーズです。


川岸の良さそうな場所に着いて、足元を見れば黄色いタンポポ咲いていました。

このあたりではセイヨウタンポポかなと思ったのですが、よく観察するとカントウタンポポでした。在来種も復活しているようです。


川岸から上流を望むと黄色い絨毯を敷き詰めたような菜の花の向こうに雪山が見えます。画像をクリックすると拡大します。このような風景は日本各地に見られますが、日本固有の風景ではありません。以下の動画はドイツのヘッセン州のセイヨウアブラナ(Rapeseed)の畑です。


ドイツ人はナタネ油でディーゼルエンジンを動かすのでしょうか。全世界のナタネの生産量は5千万トン、ヨーロッパではドイツがトップ、島国英国でも2百万トンです。日本の生産量は微々たる量でしょう。

最近は幼稚園から中学校まで同級生だった百子さんのブログを読んでいるので、俳句のこともちょっと気にしています。菜の花を詠んだ句では蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」が有名です。彼が愛でた菜の花畑は出身地、摂津の国の畑です。「ASAHIネット インターネット句会」に簡潔な説明が掲載されていました

「(1) 蕪村には菜の花の句が9句ある。
 (2) 蕪村の時代に西摂地方(現在の阪神地方)では水車による絞り油業が台頭し、それに伴ってナタネの栽培量も飛躍的に増大した。「裏作の50~70%」という壮大なスケールであったようだ。蕪村の菜の花句はこれを詠んだものと考えられる。
 (3) 蕪村がこの西摂地方と関係が深いのは、高弟だった大魯が兵庫に居たためである。」

日本の春が菜の花の黄色で埋め尽くされるのは江戸時代以降であることはあまり知られていません。戦国時代までは油はナタネではなくて、シソ科のエゴマ(荏胡麻)から絞られていたのです。その元締めが京都の大山崎にあり、斉藤道三が商っていたのもエゴマの油だったのです。東京の地名にも荏原があり、むかしはここでエゴマが栽培されていたのでしょう。油の歴史や科学に関する最良のサイト「油屋.com」はためになります。

ランチは軽く、シナモン風味のブラジル風肉団子と揚げパイそれにガラナ。豆、皮付き豚バラ肉、冷凍のコシーニャなど買い込んで引き上げました。

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