日曜日の夕方、ネットのニュースで数学者の森毅さんが亡くなったことを知りました。調理中の火傷で入院され、敗血症性ショックのために死亡されたとのことでした。森さんの著作は解析の本や安野光雅さんとの対談集を持っていますが、一番の愛読書は『指数・対数のはなし』で同書について「同じ本を2冊持っている(その3-1)」、「同じ本を2冊持っている(その3-2)」、「同じ本を2冊持っている(その3-3)」と3回記事にしました。私の源氏名もこの本の挿絵がヒントになっています。この挿絵がファインマンを読むきっかけになったのです。
晩年の著作はほとんど読むことはありませんでしたが、森さん(一刀斉)についてのエエカゲンな情報は記憶しています。
その一つは、京大で教えていた頃、試験の成績は82点、81点、80点の3種類だけで、それぞれが優・良・可に対応していた。そして不可は無かったそうです。森さんの単位を落とす学生はいなかったということです。
もう一つは、授業(講義)の評価基準です。授業は、分かる・分からないで分類され、さらに楽しい・楽しくないという規準で分類されます。私は楽しくて・分かるが理想だと思うのですが、森さんの理想は楽しくて・分からない、これらしい。最悪なのは「楽しくなくて・分かる」でしょう。
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晩年の著作はほとんど読むことはありませんでしたが、森さん(一刀斉)についてのエエカゲンな情報は記憶しています。
その一つは、京大で教えていた頃、試験の成績は82点、81点、80点の3種類だけで、それぞれが優・良・可に対応していた。そして不可は無かったそうです。森さんの単位を落とす学生はいなかったということです。
もう一つは、授業(講義)の評価基準です。授業は、分かる・分からないで分類され、さらに楽しい・楽しくないという規準で分類されます。私は楽しくて・分かるが理想だと思うのですが、森さんの理想は楽しくて・分からない、これらしい。最悪なのは「楽しくなくて・分かる」でしょう。
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森毅さんは、トボけているようで反骨精神溢れるエッセイが印象的でした。
ご冥福をお祈りします。
森さんが求めていたのは厳密性より楽しさだと思います。
それにしても台所の火事から焼けどを負うとは、私生活のことは分からないのですが、一人暮らしだったのでしょうか。惜しい人を亡くしました。
学生の頃のことを思い出しましたが、変わった先生でした。反骨の雰囲気を撒き散らしている一匹狼のような感じ。でも偉そうにしているとかプライドが高いというのではなく、自分なりに思考の筋を通していたら、そうなってしまった、みたいな。
講義は、分からない、楽しくない、でしたが(笑)、でも敬愛せざるをえない。
ご冥福をお祈りします。
森毅さんから直接教えを受けられたとは羨ましいです。理想は「楽しい・分からない」だったかも知れませんが、学者は必ずしも授業が上手とは限りませんね。マクスウェルもスコットランド訛で、話すことが高度すぎ、学生には人気が無かったと書いてありました。
一昨日、森さんが書いた高木貞治の『解析概論』の書評読んでいました。一刀斎らしい切り口で微笑んでしまいます。