
何年も前にポルトガル旅行で買った置物を人形のショーケースから出して飾りました。
ついでに写真を撮って絵ハガキにしました。ご無沙汰続きの人形講座の先生に送ります。南欧の家ではツリーではなく、降誕場面とされているこの置物を飾る習慣だそうです。ツリーもいいけれど、室内にマッチします。
二俣川から、西友の前を通り、教会前に来ると、毎年この置物が飾ってありました。今年はどうかしら。この置物なんかほのぼのして好きです。
最初に本物を見たのは、ローマのバチカンのサンピエトロ寺院の前でした。冬の欧州の肌を刺すような寒さに抗する体力には、もはや自信が無い。もう見に行けないと思うと懐かしい。

夜間の横浜洋裁を卒業してそろそろ50年になります。
通学中は母の足踏み式ミシンでいろいろ縫いました。その後、電動ミシンを2台買いましたが、洋裁学校在学中ほどは使用せず、そのうちの1台は妹邸に置かせてもらっていますが、妹も最近は手縫いがいいともっぱら手縫いです。私もクローゼットに入れてある1台を出すのに面倒を感じてミシンからも縫い物からも遠ざかっていました。
通販でお手軽なのを見つけて、いつでもちょこっとこまめに縫えるようにと買いました。
手に乗るほどの大きさで、ちょっとした縫い物は便利そうです。
3コインショップで買ったプラスチックの箱にぴったり収まりました。
よおし、美しい物をちょい縫いするぞ~お。

世界の人形作りは今回はチェコで、モラヴィア ハナ地方の村娘、白い清楚なドレスの少女は、魔除けの赤いリボンと鏡でできている冠を付けたハナ地方の伝統で残されている装いです。
今回、新事実を発見、人形の目に白で瞳を入れるのを、両目とも真ん中に入れるのではなく、左目の瞳をやや左に書き入れることにより、表情に幅が出てきたようです。そして、両眼の瞳を端に寄せるとロンパリになっていただけないカッコになります。
先生も後期高齢者に突入して、この秋の展覧会を最後にするそうです。とすると、生徒のコーナーで出展出来るのもこれで最後。教室は生徒がいる限り続けてくれるそうです。朝から準備と午後は生徒達の間をまわり立ち通しです。生徒が帰った後も片付けで休む間もなく、働きづめでさぞやお疲れだと思いますが、今後も頑張ってご指導をお願いしたいと思います。まだまだ若々しくて、パワフルですもの。

「南ドイツアルプスの祭の少年」今日のパン粘土で作る世界の人形講習会のテーマでした。写真の人形を3時間かけて作った。少年を作ったのは何年か前の「アルプスの羊飼いの少年」以来2回目で、ズボンをはかせて2本の足で立たせるのは、ロングスカートの女性群みたいにごまかしがきかない。そこら辺が難しいところだが、今回はアッサリ立ってくれた。
思い出すのは、昔、ミュンヘンのホフブロイハウスの上階のレストランで、隣のテーブルに座っていた人形と似たような出で立ちの少年が、ソーセージの盛り合わせを食べるときに、レストランのナイフを使わず、自分の腰に差していたナイフで切っていた。それを見たとき、こんな小さい子でも代々脈々と付け継がれてきたバイエルン男の心意気を持っているんだな、と感じ入った。


興味を引かれたのはアラスカの自然です。30年以上前の欧州フライトは、いつも決まって冬場、当時は直行便でなく、アンカレッジ経由でした。約1時間ぐらい留め置かれたようでした。帰りに受け取るヘネシーなどの予約をした後、次に寒い展望台で、ひんやり新鮮な空気を吸いながら眺めた遠くの山々、再登場した後の機長のアナウンスで「マッキンリーが見えます。」で座席を乗り出して眺めた窓、タイムスリップしたように懐かしく思い出しました。オーロラも綺麗でした。
印象に残った作者の語録は、「人は旅の途上」「人の気持ちは深くて浅い」写真とエッセイを堪能できてよかったです。不幸な最後を痛むとともに、多大な遺産に感謝です。
もう1人思い出した人は、おっととさんの友人のいとこの関野良晴氏、医師ながら人類のグレートジャーニーを取材している探検家です。少し前の、上野の博物館での展覧会で宮様をご案内した以後、世間に出回ってないですが、無事で居てくれることを願います。
25日に銀座三越の画廊で「篠田桃紅作品展」と27日に横浜高島屋で「没後20年特別展 星野道夫の旅」を観た。
三越画廊では販売のための展覧会と思われる、最終日のウィークデイの午後ともなれば、狭い会場も空いてきて、30点くらいの作品を心静かにゆったり堪能できた。今年1月にブログデビューしたての頃、聖路加の日野原先生との対談で、人となりに興味を持って、一度作品を鑑賞したいと思っていた事がかなえられて幸せ気分だ。会場で、母に土産のため購入した本は「篠田桃紅語録」で、なるほど、味わい深く勉強になる言葉が並ぶ。ラッキーなことに、最終日とあって、招待客たちに出した絵はがきの残りが、積んであった。2枚頂いて持ち帰り著書を挟んで裏と表の揃い踏みで撮影した。
作品の絵はがきは飾りになる、残りの一枚はブログでこの展覧会を教えてくれた友人に進呈しよう
思い切った筆遣いが心良い。抽象画のような作品から、絵のような文字の作品、新古今集の和歌の変体仮名を鋭角的な直線の筆遣いで描いたものなど、気迫あふれる、しかし静かな情熱が伝わってくる作品に感動した。若い日のTVのコマーシャル映像がしばし甦っていた。
金箔や銀箔の上に描いた歌はなまめかしくも感じる。紫式部の百人一首にもあって有名な「めぐりあひて・・・」新古今雑上1499、などあり。中でも、特に艶っぽく感じたのは式子内親王の「桐の葉も 踏み分けがたく なりにけり かならず人を 待つとなれど」新古今秋下534、この歌は、恋人の通いを待つ心情を歌ったものと思われる。
独身を通した作家先生なれど、恋歌に寄せる思い、恋愛への思い、いかばかりだったのか、興味深い。
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三越画廊では販売のための展覧会と思われる、最終日のウィークデイの午後ともなれば、狭い会場も空いてきて、30点くらいの作品を心静かにゆったり堪能できた。今年1月にブログデビューしたての頃、聖路加の日野原先生との対談で、人となりに興味を持って、一度作品を鑑賞したいと思っていた事がかなえられて幸せ気分だ。会場で、母に土産のため購入した本は「篠田桃紅語録」で、なるほど、味わい深く勉強になる言葉が並ぶ。ラッキーなことに、最終日とあって、招待客たちに出した絵はがきの残りが、積んであった。2枚頂いて持ち帰り著書を挟んで裏と表の揃い踏みで撮影した。

思い切った筆遣いが心良い。抽象画のような作品から、絵のような文字の作品、新古今集の和歌の変体仮名を鋭角的な直線の筆遣いで描いたものなど、気迫あふれる、しかし静かな情熱が伝わってくる作品に感動した。若い日のTVのコマーシャル映像がしばし甦っていた。
金箔や銀箔の上に描いた歌はなまめかしくも感じる。紫式部の百人一首にもあって有名な「めぐりあひて・・・」新古今雑上1499、などあり。中でも、特に艶っぽく感じたのは式子内親王の「桐の葉も 踏み分けがたく なりにけり かならず人を 待つとなれど」新古今秋下534、この歌は、恋人の通いを待つ心情を歌ったものと思われる。
独身を通した作家先生なれど、恋歌に寄せる思い、恋愛への思い、いかばかりだったのか、興味深い。
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