高校講座で勉強しました。今日の教科は;
【日本史】第9回 第1章 古代国家の形成と貴族文化の誕生 院政と荘園
学習ポイント
一.院政 二.荘園の発達 三.保元・平治の乱
今回の時代と三つの要
法皇は天皇より大きな実権を持つ
重要人物である後白河法皇もです。法皇は、天皇よりも大きな実権を持った存在です。分かり易く言うと、「社長の上に会長がいる」といった感覚と同じだといいます。
今回見ていくのは11~12世紀の平安時代後半
院政は白河天皇から始まる
今日見ていく時代は、11世紀から12世紀の平安時代後半です。この時代、皇位を譲った天皇が上皇や法皇となり、新たな権力として君臨します。その経済的な基盤となったのが、荘園という大土地の所有でした。また、こうした流れの中、力をつけていったのが武士でした。
三つの要:
一.院政
二.荘園の発達
三.保元・平治の乱
武士の時代はどのようにして、始まっていったのでしょうか。
前回は武士の登場を学びましたが、今回は貴族から武士の時代へ、その移り変わりを学びます。
この移り変わりに関わったのが白河法皇です。
皇位を譲った天皇が上皇となり、上皇が出家すると法皇と呼ばれました。
上皇は、天皇の位を譲った後も政治を行いました。それを可能にしたのは、この時代に「院政」というシステムがあったためでした。
院政は、第77代天皇であった後白河天皇から遡ること5代、後白河の曽祖父に当たる白河天皇から始まりました。
▶要 其の一 「院政」
白河天皇は息子を天皇にするため譲位した皇室内では上皇・法皇は天皇より上
1086年、白河天皇は、実の子である堀河天皇に位を譲りました(譲位)。白河は上皇になって政治の実権を握り続けます。これが院政の始まりです。
この院政は、実は個人的な理由からはじまりました。
白河天皇の父、後三条天皇が決めた皇位継承順位では、白河の次の天皇は弟の実仁(さねひと)親王になっていました。白河は自分の子どもを即位させるため、天皇の位を譲ったのでした。
院政とは、院が天皇の父や祖父であることを根拠に国の政治を行うことです。国の制度上は天皇がトップであったとしても、天皇家の内部では上皇の方が上となり、大きな権力を持ちました。
院政のもとでは旧来の秩序や慣習にとらわれず、「院の近臣(きんしん)」と呼ばれる上皇お気に入りの側近貴族や武士などが政治の実権を握りました。
また、院直属の軍事力として、「北面の武士」が置かれました。後に平氏や源氏がここから台頭してきます。
院の近臣や武力を利用しながら、上皇が柔軟に国政を運営し、社会状況の変化に対応していくのが院政です。
白河上皇以降、1世紀以上続いた院政
ピラミッド型から分立した権力構造
院政はこの後、鳥羽上皇、そして後白河上皇と1世紀以上に渡って続いていきます。
律令国家においては、天皇を頂点とするピラミッド型の権力構造でした。
しかし院政が始まり、その権力構造が大きく変化します。
この時代、院の他にも貴族・寺社・武士など様々な権力が台頭しつつあり、権力が分立していました。
このように多くの権力が台頭した背景には、それぞれが荘園という大土地の所有を行い、それが経済的基盤を作っていったためという理由があります。
高橋館長は、「富と権力は、いつの世も結びついている」と話しますが、そもそも荘園とは一体どのようなものなのでしょうか。
▶要 其の二 「荘園の発達」
荘園は人々の生活の場になっていた
かせ田荘は寺社や有力武士にも寄進された
平安時代中期、開発領主たちは新しい田畑の開墾を次々と行い、私有地を増やしていきました。こうして広げた農地や、農村を含む地域が荘園です。
現在の和歌山県にあった荘園、「紀伊国かせ田荘(きいのくにかせだのしょう)」の絵図です。山に囲まれた集落には神社や寺、街道などがあり、荘園が人々の生活の場になっていた様子がわかります。
かせ田荘は9世紀に開発が始まり、崇徳(すとく)上皇領として成立しました。その後、有力武士や後白河法皇、そして神護寺という寺社に寄進されています。
荘園はそれらの権力の経済的基盤となり、権力の分立を助長する存在となりました。
有力な貴族や寺社などは不輸・不入の権があった
荘園は平安時代11世紀半ばには各地に広がった
開発領主にとっては、せっかく開墾した農地であっても寄進する理由がありました。
それは寄進することで、有力な貴族や寺社などから荘園の権利を保護してもらうためでした。
さらに中央の有力者は「不輸(ふゆ)・不入(ふにゅう)の権」を持っていたことも、開発領主が農地を寄進する理由でした。不輸とは税の免除、不入とは国司の使者の立ち入りを認めない特権です。
このような荘園は増え続け、平安時代の11世紀半ばには、各地に広がりました。
上皇は法律から自由になり荘園を持つことができた
わがままで始まった院政は偶然大きな力を持った
「不輸・不入」という特権があったからこそ、院などが多くの荘園を所有し、大きな力を持つことができました。後白河法皇も、最大で100に及ぶ荘園を所有していたと言われています。
ところで荘園は私有地であり、公地公民の原則の中では、天皇が私有地を持つことには矛盾があります。しかし院政の下では、上皇の地位は法律や手続きなどから自由になっていたため、私有地を持つことが可能でした。
院政は、白河天皇が自分の子どもを天皇にするためのわがままで始まったものでしたが、このような利点がありました。高橋館長は、「やりたい放題を続けていたら偶然そうなった」と話します。
このように院だけではなく、荘園によって経済的基盤を整えた権力は分立しました。分立した権力の中で、この後の実権を握っていったのが武士でした。
▶要 其の三 「保元・平治の乱」
後白河天皇と崇徳上皇の対立解決のため武士を利用した
後白河天皇は源義朝と平清盛を動員
1156年、鳥羽法皇が崩御すると間もなく、崇徳上皇と後白河天皇は政治の主導権をめぐり対立を深めます。頂点に立つ2人の権力争いにより、その下に位置する摂関家も崇徳派、後白河派に分裂します。
この問題を解決するために、貴族達が利用しようとしたのが武士の力でした。
後白河天皇は平清盛と源義朝を動員し、崇徳上皇側も、源氏と平氏の武士を集めます。
後白河天皇側が崇徳上皇の御所に夜討ちをかけ、保元の乱が始まります。この乱は短時間で終わり、後白河天皇側が圧勝しました。
世に武士の時代の到来を感じさせた
貴族社会の争いを武力で解決したこの事件は、武士の時代の到来を実感させました。
ある貴族の日記には「ムサノ世(武者の世)」、つまり武士の支配する時代が始まったと書かれています。
院の近臣たちが内部分裂
平治の乱
保元の乱から3年後、都で再び権力闘争が起こります。保元の乱に勝利し、後白河は上皇となりますが、今度はその院の近臣たちが内部分裂を起こします。
後白河上皇から厚い信任を得て、政治の実権を握った信西(しんぜい)こと藤原通憲(ふじわのらみちのり)に対し、藤原信頼(ふじわらののぶより)が敵対しました。
信頼は源氏の棟梁となった源義朝(みなもとのよしとも)と兵を挙げ、朝廷に対しクーデターを起こします。
1159年、義朝の軍勢は信西一族のいる屋敷を襲い、平治の乱が始まります。義朝は、二条天皇と後白河上皇の身柄を押さえ内裏に軟禁します。
平清盛は二条天皇を救出
源義朝と平清盛が対決
そこに登場したのが平清盛でした。乱の最中、京を離れていた清盛は軍勢を整えて都に戻り、二条天皇の奪還を企てます。清盛の計らいにより、二条天皇は女官に変装し、内裏を出る牛車に乗って脱出に成功します。
皇室を奪還された源義朝は、平清盛率いる平氏の軍勢と対決しますが、これに勝利したのは平氏でした。
清盛は武士として初めて太政大臣に
平氏は絶頂を極める
保元の乱に続き、平治の乱を収めたことで、武士の力はさらに大きくなりました。
平清盛は後白河上皇の信任を得て高位高官に上り、1167年、武士としては初めての太政大臣となりました。そして、平氏がリードする政権が行われていきます。
平氏の歴史が綴られた「平家物語」に、「平家にあらずんば人にあらず」という言葉が残っています。平家でなければ人ではない、という意味のこの言葉から、一族の権力の強さがよく分かります。
院の近臣らが平氏打倒の計画
計画が漏れ、清盛は武力で後白河法皇の院政を停止
しかし出家して法皇となった後白河は平氏の台頭に危機感を抱きます。
1177年、後白河法皇と その院の近臣らが、平氏打倒の計画を相談しました。ところが、計画は清盛に漏れてしまいます。
1179年、清盛は武力で後白河法皇の身柄を閉じ込め、その院政を停止して自らが政権を握ります。
こうして、日本で初めての武士による政権が誕生しました。
院政と荘園の発達は武士台頭のお膳立てに
院・天皇・摂関家という三つどもえの争いを収めたのが、武士の持つ武力でした。
高橋館長は、「後白河法皇は、おそらく武士を利用しようとしただけだと思いますが、結果的には武士が台頭する世が来る。そのお膳立てとして院政の始まりと荘園の発達があった。世の中は、自分が思っている以上に違う方向へ進んでしまうことってあるんだなってことですね。」と話します。
▶ 日本の歴史・いとをかし : 東京大学史料編纂所 教授の本郷 和人 先生
今回も東京大学史料編纂所 教授の本郷 和人 先生に、平安時代について さらに深い話をうかがいます。
本郷先生は、高橋館長が後白河法皇をどのように演じたのか、とても興味があるといいます。
館長は、時代劇の役を演じるときには誰かをモデルとして想像し、その人物になるべく近づけるよう演じようと考えるといいます。しかし、「後白河法皇はあまりにも偉すぎてモデルになるような人がいなかった」のだそうです。
館長は、後白河法皇を演じたとき初めて、喜怒哀楽を表さない人物として演じました。この「無」の状態の演じ方は監督に褒められ、後白河法皇を演じたことによって、随分役柄が広がったといいます。
清盛は宋との貿易で経済力を蓄えた
宋銭を輸入し、貨幣経済を発達させた
本郷先生がもう一つ興味を持つのは、後白河上皇と平清盛という人間との丁々発止の様だといいます。
本郷先生 「平家政権は、あの時代にとってみると非常に面白いものだったんだろうなと思うんですけども、平家政権についてはどのようにお感じになりますか?」
高橋館長 「後白河という人物がいたからこそ、清盛が出てくるという。」
本郷先生 「そういう感じですね。」
高橋館長 「なぜ抜きん出て繁栄して行ったのかというのは、やはり経済力ですか?」
本郷先生 「それは絶対にあったと思います。あの当時、平家は中国の宋と貿易をします。宋の船は、元々は船の重しとして宋銭を敷き詰めていたらしいのですが、その宋銭が日本に大量に来るようになります。こうして貨幣経済が発達していくもとを作ったのが平家なんです。それまでは絹や米、布などが貨幣の代わりでした。」
高橋館長 「物を買うときに、布などを払って品を貰っていたんですね。」
本郷先生 「ところが銭が使えるとなったら、これは便利ですよね。それを全部掌握していたのが清盛なんです。」
高橋館長 「(まるで)日銀ですね。」
藤原氏に学んで婚姻戦略も行った清盛
本郷先生 「そうかもしれません。そうなると、やはり後白河上皇と戦えるだけの実力を持ってたんですね。武力だけでなく、経済力というのがやはり武士の台頭の原因になりました。」
高橋館長 「その他、結婚で地位を固めていきますよね。」
本郷先生 「それはやはり藤原氏に学んだんでしょうね。天皇家と結びつきを深めるために一番効果的なのは婚姻戦略ですものね。」
高橋館長 「本郷先生、ありがとうございました。」
【国語表現】 第9回 ことばと人間 励ますことば・傷つけることば
人を励ますことばと傷つけることばの違いについて考えてみましょう。
▶励ますことばと傷つけることば
藤森裕治先生
言葉は諸刃の剣
今回、励ますことばと傷つけることば について教えてくださるのは藤森裕治先生です。
生徒のみなさんが傷ついたことばは、どれも相手は傷つけるつもりで言ったものではありません。何気ないことばで人を傷つける場合があるということがわかりますね。
「言葉は諸刃の剣」ということばがあります。言葉は諸刃の剣のように、人を励ますことも傷つけることもできる、という意味です。
言葉がもつ可能性の部分と危険性の部分を意識して使うようにしたいですね。
▶言葉のプロに聞いてみよう
高倉麻子さん
サッカー日本女子代表選手として活躍後、指導者へ
.
今回のゲストは、サッカー日本女子代表選手として活躍後、指導者となった高倉麻子さん。
2014年U-17女子ワールドカップでは、チームを優勝へと導きました。
選手にかけることばについてお聞きしました。
あまりネガティブなことは言わないようにしているという高倉さん。
あれもこれもついでに怒るのは良くないと思っていて、
一つ怒ったら、食事のときには声をかけたりするようにしていたと言います。
でも、選手が全然気にしていなかった、なんてこともあったそう。
気にしてほしいことを気にしていなかったり、気にしなくていいことを悩んでいたり
したそうです。
なかなか自信を持てない子でも「これはうまくできたね」と言うとすごくうれしそうな顔をすることがあり、それでがんばれるということもあると高倉さんは感じています。
選手を励ますことばについてもお聞きしました。
ちゃんと自分と向き合うこと、負けない気持ちをもつこと。
この2つを大事にしている高倉さん。
自分が弱いことを知っているから強くなろうとするのだと考えています。
自分の未来は自分で切り開いていくもので、もうだめだと自分が思ったら終わり。
自分の弱さやうまくいかないことと向き合っていかないとその先には行けないのです。
▶励ますことばと傷つけることば
後輩に避けられていると悩む友人
相手が何を悩んでいるのかに関心を向けて、どこに問題があるのかを一緒に考えることが大切
.
学校生活でありそうな場面でどんなことばをかけたら良いのか、考えてみましょう。
☆後輩との関係に悩む友人を励ますことば☆
後輩に「私たちが1年生のときはそんなんじゃなかった!」ときつく言い過ぎて後輩に避けられていると悩む友人に、あなたならどんな言葉をかけますか?
この問題に答えはありません。
しかし、相手が何を悩んでいるのかに関心を向けて、どこに問題があるのかを一緒に考えることが大切です。
例えば「一人ぐらい厳しい先輩も必要だよ。」ということばも良いかもしれません。
悩んでいる友人は大切なことをしたんだと考え方を変えるきっかけになりそうです。
落ち込んでいる友人
自分が相手だとしたら言ってほしくないことばは何かを考えること
☆落ち込んでいる友人を励ますことば☆
やる気をなくして部活のテニスの練習にも身が入らないと落ち込んでいる友人に、あなたならどんな言葉をかけますか?
この問題にも答えはありません。
しかし、相手を励まそうと思うときに心がけるポイントはあります。
自分が相手だとしたら言ってほしくないことばは何かを考えるのです。
相手を思いやる一言を考えてくださいね!
大野瑞生くん
モーガン茉愛羅さん
生徒のみなさんが考えた、落ち込んでいる友人を励ますことばを紹介します。
「このあと一緒に練習しよう」(大野瑞生くん)
「誰にもスランプはあるよ」(斉藤圭祐くん)
「自分らしくがんばれば大丈夫」(遊馬萌弥さん)
「努力は報われるよ」(モーガン茉愛羅さん)
「悩んで解決したことは自分の強みになるよ」(佐藤優津季さん)
こんな風に励まされたら、みなさんどんな気持ちになりますか?
ことばの大切さ、改めて感じることができましたね。
【数学Ⅰ】 第9回 第1章 数と式 因数分解をもっと知る
因数分解をもっと知る
▶これ、知っ得!?
AB+ACは共通因数Aでくくり出す
因数分解の公式
因数分解の基本は“くくりだす”ことです。
AB+ACは共通因数Aでくくり出すことができるので
AB+AC=A(B+C)
となります。
また、共通因数が見つからない場合には因数分解の公式に当てはめて考えましょう!
▶積と和に注目する因数分解
ある2つの数をたすと3となり、かけると2となる
亜実ちゃん
ある2つの数をたすと3となり、かけると2となります。
2つの数はなんでしょうか?
答えは1と2です。
このように、和と積に注目する因数分解については前回学習しましたね!
▶乗法公式を使った因数分解
積が8となる2つの数の組み合わせを考えましょう
和が9になるものは「1と8」の組み合わせ
それでは問題です!
x2+9x+8を因数分解しなさい。
まず、積が8となる2つの数の組み合わせを考えましょう。
その中で、和が9になるものは「1と8」の組み合わせです。
つまり
x2+9x+8=x2+(1+8)x+1×8
=(x+1)(x+8)となります。
最後は(x+8)(x+1)としても正解です!
湯浅弘一先生(ゆあさま)
たすきがけ
それでは問題です!
2x2+7x+5を因数分解しなさい。
さて、x2の係数2をどうしたらよいでしょう?
この問題を因数分解する方法を教えてくれるのは湯浅弘一先生(ゆあさま)です☆
今回の問題のように、すべての項に共通因数が見つからず、x2の係数が1ではない場合、今まで学習した方法では因数分解できません。
そこで今回学習する方法が“たすきがけ”です!
▶たすきがけの因数分解
たすきがけ
たすきがけ
「x2の係数が1以外の整式」を因数分解する場合には、
乗法公式(ax+b)(cx+d)=acx2+(ad+bc)x+bdを思い出しましょう!
x2の係数acと定数項bdに注目して、上の左図のようにたすきがけをした結果をたし合わせると
(ad+bc)となります。
(ad+bc)はxの係数です。
つまり、
acx2+(ad+bc)x+bd=(ax+b)(cx+d)
と因数分解ができることがわかります。
このような方法をたすきがけといいます。
x2乗の係数2を1×2、定数項5を1×5として、たすきがけ
因数分解が完成
それでは、実際にたすきがけを使って2x2+7x+5を因数分解してみましょう!
x2の係数2を1×2、定数項5を1×5として、たすきがけをします。
たすきがけの結果をたし合わせると2+5=7となり、xの係数と同じになっています。
つまり、
2x2+7x+5=(1x+1)(2x+5)
=(x+1)(2x+5)
このように因数分解ができました!
同じ数字の組み合わせでも、順番が変わると結果も変わる
同じ数字の組み合わせでも、順番が変わると結果も変わる
先ほどの問題では、最初に、かけて2、かけて5の2つの数の組み合わせをそれぞれ考えました。
このとき、同じ数字の組み合わせでも、順番が変わると結果も変わるので注意しましょう。
例えば、今回の場合、1×5を5×1として考えると、たすきがけをした結果をたし合わせると10+1=11となってしまい、xの係数と合いません。
これでは因数分解ができませんから、「組み合わせ」と「順番」の両方に気をつけましょう!
因数分解してみよう
問題です!
3x2+7x+2を因数分解しなさい。
まず、x2の係数3を1×3、定数項2を2×1として、たすきがけをします。
たすきがけの結果をたし合わせると6+1=7となり、xの係数と同じになっています。
つまり、
3x2+7x+2=(1x+2)(3x+1)
=(x+2)(3x+1)
このように因数分解できます。
▶キミもチャレンジ!
因数分解してみよう
問題です!
6x2+13x+5を因数分解しなさい。
まず、x2の係数6を2×3、定数項5を1×5として、たすきがけをします。
たすきがけの結果をたし合わせると3+10=13となり、xの係数と同じになっています。
つまり、
6x2+13x+5=(2x+1)(3x+5)
このように因数分解できます。
みなさん、できましたか~!?
▶数学のちょっと難しい話
あゆ美さん
湯浅先生
.
素数とは1とその数自身でしか割り切れない数のことです。
今回は素数の家族についての話です。
差が2であるふたつの素数を双子素数といいます。
例えば、3と5、5と7、などです。
このほか、三つ子素数、四つ子素数、五つ子素数などもあります。
ちなみに差が4であるいとこ素数などもありますよ!
▶いろいろな因数分解
因数分解してみよう
共通のものはないか、おきかえはできないか、と考えてみてください
最後にもう一問!
(x+y)2+4(x+y)-5を因数分解しなさい。
x+y=Aとおくと
(x+y)2+4(x+y)-5
=A2+4A-5
=(A-1)(A+5)
=(x+y-1)(x+y+5)
このように因数分解できます。
一見難しそうに見えても、共通のものはないか、おきかえはできないか、と考えてみてくださいね!
明日も高校講座で勉強します。
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