25/7/20 参議院選挙の投票日の朝
今日は、参議院選挙の投票日です。朝から投票に行ってきました。
記録
天気: 晴 真夏日
最高気温(℃)[前日差] 34℃ [0]
最低気温(℃)[前日差] 25℃ [+1]
歩行距離: 0.5km
散歩人とカメラマン(妻)
25/7/20 参議院選挙の投票日の朝
今日は、参議院選挙の投票日です。朝から投票に行ってきました。
記録
天気: 晴 真夏日
最高気温(℃)[前日差] 34℃ [0]
最低気温(℃)[前日差] 25℃ [+1]
歩行距離: 0.5km
散歩人とカメラマン(妻)
25/6/22 都議会選挙の朝
今日は、都議会選挙の日です。朝から都議会選挙の投票に行ってきました。
記録
天気: 晴 真夏日
最高気温(℃)[前日差] 34℃ [+2]
最低気温(℃)[前日差] 24℃ [+1]
散歩人とカメラマン(妻)
令和七年/2025年2月23日 天皇陛下お誕生日おめでとうございます
両陛下と愛子さまのお姿をご拝見致しますと、いつも心の中が温かくなるように感じます。
天皇陛下は、いつ、いかなる時も、幸せでなかった時も決して余裕のない行動言葉を放つことはありませんでした。
天皇陛下をみていると自然と安らかな気持ちになれます。ユ-モアあり笑いあり、懐の深さあり、素晴らしい家族と共に日本の象徴!私たち日本人の誇りである事を強く感じます。
ご成婚から大変な事もたくさんありながら、ご家族で困難を乗り越えてこられ、その絆が本当に素晴らしいです。
末長く日本国の象徴として、天皇陛下のご健康とご活躍を願うとともに、雅子さま、愛子さまと素敵な家庭を築かれることを願っております。
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令和七年/2025年2月23日 0:00:天皇陛下の誕生日会見全文
参考・引用:出典サイト:
天皇陛下65歳誕生日会見(全文) 戦後80年への思い、ご家族への思いも(Yahoo!ニュース オリジナル THE PAGE)
日本経済新聞:天皇陛下65歳に 戦後80年「平和への思いを新たに」
NHK
★ 65歳の誕生日を前に記者会見する天皇陛下
天皇陛下は23日、65歳の誕生日を迎え、これに先だつ記者会見に皇居・宮殿の「石橋の間」で臨まれた。陛下は宮内記者会が提出した5つの質問と、関連質問に答えられた。主なやりとりは以下の通り。
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★ 天皇陛下65歳誕生日会見(全文) 戦後80年への思い、ご家族への思い
天皇陛下は、誕生日を前に皇居・宮殿で記者会見に臨み、ことし戦後80年の節目を迎えることについて、「戦争の記憶が薄れようとしている今日、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や歴史が伝えられていくことが大切であると考えております」と述べられました。
そして、ご自身と皇后さまは戦後生まれで戦争を体験していないが、上皇ご夫妻の戦時中の体験や平和を大切に思われる気持ちを折に触れて聞いてきたとしたうえで、「私は、日本国及び日本国民統合の象徴として、上皇陛下のお気持ちをしっかりと受け継ぎ、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、象徴としての責務を果たすべくなお一層努めてまいりたいと思っております。戦後80年を迎える本年が、日本の発展の礎を築いた人々の苦難に深く思いを致し、平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っております」と話されました。
また、この1年で印象に残っている出来事として各地で自然災害が相次いだことを挙げ、「能登半島地震から1年1か月が過ぎましたが、地域の復旧・復興の途上で豪雨災害に見舞われたことは本当に大変なことだと思います。お見舞いに伺った際にも、被災された皆さんの心が挫けそうになっているお気持ちを感じ、私たちの訪問が少しでも力になるのであればと思いました」と語られました。
さらに、まもなく社会人2年目を迎える長女の愛子さまについて、「日々の仕事を行う中で、ボランティア活動や防災の分野などにも関心を深めているようです」としたうえで、ご自身はいわゆる社会人として仕事をしたことがないので帰宅後に愛子さまが話される職場での話の1つ1つに新鮮さを感じ、社会人としての成長をかいま見ることができて大変うれしく思っていると話されました。
そして、成年を迎えられ筑波大学への進学が決まった皇位継承順位第2位の秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまについて、「小さい時から甥として成長を見守ってきましたが、近頃は、都内や地方への訪問であったり、外国の方々との交流であったり、皇室の一員としての務めを果たしてくれていることを頼もしく思います」と述べたうえで、「大学生活を通して、本当に自分がやりたいことを見つけるとともに、様々な人と出会い、自身の将来をしっかりと見つめつつ、実り多い学生生活を送ってほしいと願っております」と話されました。
■ 天皇陛下 記者会見 全文:天皇陛下の記者会見の全文です。
(宮内記者会代表質問)
(問1)
今年は戦後80年です。戦後生まれの人が大半を占める今の時代、天皇陛下は戦争の歴史とどう向き合い、象徴としてどのように役割を果たしていきたいとお考えでしょうか。
(天皇陛下)
今回の誕生日で私は65歳になりますが、戦後80年という年月を考えると、私が生まれる15年前までは戦争の時代であったということになります。両親である上皇上皇后両陛下は、幼少時を戦争と共に過ごされたわけで、日本において80年間、平和の時代が続いていることを有り難いことと思います。
先の大戦においては、世界の各国で多くの尊い命が失われたことを大変痛ましく思います。我が国の人々についても、広島や長崎での原爆投下、東京を始めとする各都市での空襲、沖縄における地上戦、硫黄島や海外での激しい戦いなどで多くの尊い命が失われました。
終戦以来、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、亡くなられた方々や、苦しく、悲しい思いをされた方々のことを忘れずに、過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。
昨年、日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞されました。長年にわたって活動を続けてこられた方々の御苦労に思いを致しつつ、平和な世界を築くために、お互いの理解に努め、協力していくことの大切さを改めて感じております。
私と雅子は、これまで広島、長崎、沖縄などを訪れ、多くの方々の苦難を心に刻んできています。今年、戦後80年という節目を迎え、各地で亡くなられた方々や、苦難の道を歩まれた方々に、改めて心を寄せていきたいと思っております。
そして、戦争の記憶が薄れようとしている今日、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や歴史が伝えられていくことが大切であると考えております。戦中・戦後の苦難を体験した方々が高齢となり、当時のことを語り継いでいくことが難しくなっている中、国内各地で若い人たちが戦争を知ろうとし、次の世代の語り部として育ち、戦中・戦後の苦労を語り継ぐ活動が進められていることは、戦後80年を迎える今日、一層意義深いものとなっていると思います。
上皇上皇后両陛下には、これまで様々な機会に、戦争によって亡くなられた方々を慰霊され、平和を祈念されています。私と雅子は戦後生まれで、戦争を体験していませんが、上皇上皇后両陛下の戦時中の御体験のお話など、平和を大切に思われるお気持ちについて、折に触れて伺う機会がありました。愛子も、両陛下から先の大戦についてお話を聞かせていただいております。
私は、日本国及び日本国民統合の象徴として、上皇陛下のお気持ちをしっかりと受け継ぎ、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、象徴としての責務を果たすべくなお一層努めてまいりたいと思っております。
戦後80年を迎える本年が、日本の発展の礎を築いた人々の苦難に深く思いを致し、平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っております。
(問2)
ご自身とご家族についてお尋ねします。皇后さまは英国訪問をはじめ国際親善の活動にも数多く取り組まれてきましたが、最近のご様子と私的な活動を含めた関心を持たれている分野についてご紹介ください。愛子さまはお仕事に励むとともに、皇族として活動の幅を広げられていますが、今後の活動ではどのようなことを期待されますか。愛子さまの結婚について家族で話されていることをお聞かせください。陛下は最近、プライベートな時間をどのように過ごされていますか。
(天皇陛下)
昨年、雅子は都内や地方への訪問に加えて、英国も訪問し、チャールズ国王王妃両陛下を始め、多くの方々に温かく迎えていただくとともに、長年二人で訪れたいと思っていた懐かしいオックスフォード大学を初めて一緒に再訪することができました。雅子にとっては、実に30数年ぶりのオックスフォードとなり、本人もとても喜び、懐かしがっていました。オックスフォード大学では、以前に私も頂いた名誉法学博士号を雅子にも授与していただき、大変光栄なことと雅子は心から感謝し、私もうれしく、また有り難く思っております。
雅子は、日本赤十字社の名誉総裁として、昨年も全国赤十字大会に出席いたしましたが、各地の赤十字関係者の取組に感謝するとともに、各地で活発に行われている赤十字の活動を心強く感じていることと思います。また、私共々、普段から、国民の皆さんが直面している様々な困難に心を寄せながら、皆さんとの触れ合いの機会を大切にしています。雅子は一つ一つの公務に向けて体調を整えるように努め、心を込めて準備して公務に臨んでいます。私自身も、雅子と一緒にいろいろな方とお会いすることで皆さんとのお話が深まり、様々な気付きを得られるように感じています。また、日頃から世界の国々の情勢や地球規模の様々な課題についても、関心を持つように心掛けています。私と雅子は、今後とも国民の幸せを願い、二人で協力しながら務めを果たしていくことができればと思っております。
また、家族の絆と家族への感謝を感じながら、日々を過ごしております。時間が取れるときには、一緒に散歩に出掛けたり、共に暮らしている犬の由莉や猫のセブンも交えながら愛子と3人で和やかな時間を過ごしています。私たち家族は皆自然が好きで、特に雅子や愛子は生き物が好きですので、御料牧場や那須での静養の折には、一緒に楽しく過ごすことができることを有り難く思います。また、普段の散歩の折には、皇居内の厩舎にいる馬たちや警察犬に会いに行くことも、いつも楽しみにしています。また、初夏には、雅子が取り組んでいる養蚕に、私たちも一緒に携わることも楽しみの一つになっています。
雅子には、これからも、体調に気を付けながら、できることを一つ一つ着実に積み重ねていってほしいと思っております。
愛子は、昨年4月に日本赤十字社での勤務を始めてからまもなく1年が経ち、社会人として2年目を迎えようとしています。職場では、周囲の方々に温かく御指導いただき、皆さんと協力しながら精一杯仕事に取り組んでいる様子に、社会人として一歩一歩成長しているのではないかと思います。愛子は、日々の仕事を行う中で、ボランティア活動や防災の分野などにも関心を深めているようです。これからも、多くの経験を重ねながら視野を広げ、更に成長していってほしいと願っています。
また、昨年10月には、初めて単独での地方の公務として国民スポーツ大会のために佐賀県を訪問し、各地で多くの方々に温かく迎えていただきました。今後、皇族としての仕事の幅も広がっていくのではないかと思いますが、今年は戦後80年という節目を迎え、愛子にも、戦争によって亡くなられた方々や、苦難の道を歩まれた方々に心を寄せていってもらいたいと思っています。愛子には、引き続き、感謝と思いやりの気持ちを持ちながら、皇室の一員として一つ一つの務めを大切に果たしていくことを願っています。
皆様には、これまでも雅子や愛子に温かいお気持ちを寄せていただいていることに、心から感謝しております。今後とも温かく見守っていただければ幸いに思います。
私のプライベートな時間の過ごし方については、日頃は、皇居内でジョギングをしたり、雅子と一緒に散策をしたりするなど、四季の移ろいを感じながら、健康のための運動を行っています。
また、最近はなかなか練習の時間を取りにくくなってはいますが、ビオラやバイオリンの練習も少しずつ続けています。ピアノを弾くこともありますが、ビオラを始め、音楽からは多くの癒やしと力をもらっているように思います。
登山にも関心を持ち続けています。山小屋に泊まっての登山というのはなかなか難しいかもしれませんが、今後とも、時間が許せば近くの山に登るなどして、日本の自然の美しさに触れられればと思っています。また、山には、古来、人々が信仰や生業など様々な目的で通った道があります。小学生の時に、私が住んでいた赤坂御用地に鎌倉時代の街道が通っていたことを知り、道の歴史に興味を覚えて以来、山に残されている信仰の道や生業の道などの古道をたどることにも大きな魅力を感じています。道は私のライフワークと思っております。
「水」問題については、安全な飲み水や衛生の問題はもとより、水上交通、さらには気候変動や水にまつわる自然災害などといった国民生活や地球規模での課題に深く関わる問題など、様々な側面があります。
昨年の能登半島地震では、津波による被害や長期間の断水が発生したほか、その後の復旧・復興への歩みを進める中で豪雨災害が発生したことで、「複合災害」、「二重被災」と呼ばれるような大変な状況が生じました。昨年、現地をお見舞いのために訪れた際には、津波や豪雨災害で流失した家屋や一部が流された橋、海底の隆起によって被害を受けた漁港などを目の当たりにし、被災された方々の置かれた状況の厳しさや自然災害の恐ろしさを改めて感じました。
また、昨年の英国訪問中に、テムズバリアを訪れる機会を得、高潮被害の防止などについて理解を深めることができたのも有り難いことでした。
水の恩恵を享受しつつ、災害に対応することは、人類共通の歩みでもあり、各国の水を巡る問題を知ることは、それぞれの国の社会や文化を理解することにもつながります。今後とも、事情の許す範囲で「水」問題についての取組を続けていきたいと思っています。
(問3)
成年を迎えられた悠仁さまについてお聞きします。筑波大学への進学が決まりましたが、ご自身のご経験を振り返り、どのような学生生活を送られてほしいと思われますか。成長ぶりや最近の印象に残った会話についてもあわせてご紹介ください。皇位継承順位第2位の成年皇族として、どのような役割を期待されていますか。
(天皇陛下)
悠仁親王は昨年18歳となり、成年を迎えました。小さい時から甥として成長を見守ってきましたが、近頃は、都内や地方への訪問であったり、外国の方々との交流であったり、皇室の一員としての務めを果たしてくれていることを頼もしく思います。
会った時には、地方や都内への訪問に関する話題のほかにも、関心を持って取り組んでいるトンボ、野菜の栽培、バドミントンなどについて生き生きと話してくれますので、充実した日々を送っているのではないかと思います。
先日、悠仁親王の大学の進学先が決まり、うれしく思っています。私自身の大学時代を振り返ってみると、専門の日本史の研究や部活動としてのオーケストラでの練習などを通じて、年齢の幅もある様々な人と出会うことができたと思います。そして、様々な背景や関心を持った先生方や友人たちから多くのことを学びました。高校時代までの友達も大切ですが、大学で知り合った人々との交流も続けています。研究面でも、大学時代に研究した日本中世の瀬戸内海の水上交通の研究は、オックスフォード大学でのテムズ川の水上交通史の研究へとつながり、現在も取り組んでいるより広い分野の「水」問題へと発展していったように思います。
悠仁親王には、大学生活を通して、本当に自分がやりたいことを見つけるとともに、様々な人と出会い、自身の将来をしっかりと見つめつつ、実り多い学生生活を送ってほしいと願っております。
(問4)
この1年は明るい話題もあった一方、自然災害が相次ぎ、両陛下は能登地方を3回にわたって見舞われました。皇室では上皇后さまが骨折され、三笠宮妃の百合子さまが亡くなられました。この1年で印象に残っている出来事をお聞かせください。
(天皇陛下)
この1年も、残念ながら、地震や大雨、台風などの自然災害が様々な場所で発生しました。亡くなられた方々とその御遺族に心から哀悼の意を表するとともに、被災された方々にお見舞いをお伝えいたします。また、このところの寒波により、各地で大雪となっており、皆さんの御苦労もいかばかりかと思います。
先月は、阪神・淡路大震災から30年を迎え、雅子と共に追悼式典に出席いたしました。改めて、皆さんが長年にわたって困難を乗り越えてきたことに敬意を表するとともに、若い世代によって震災の経験と教訓をつないでいく取組が進められていることを心強く思いました。先ほど、戦争の体験を語り継ぐことの意義についてお話しいたしましたが、大規模な災害の経験と教訓についても、世代を越えて語り継いでいくことが大切だと思っております。
また、令和6年能登半島地震から1年1か月が過ぎましたが、地域の復旧・復興の途上で豪雨災害に見舞われたことは本当に大変なことだと思います。お見舞いに伺った際にも、被災された皆さんの心が挫けそうになっているお気持ちを感じ、私たちの訪問が少しでも力になるのであればと思いました。寒さが続く中、被災された方々が安心して生活できる日が1日でも早く訪れ、復旧・復興が一歩一歩着実に進んでいくことを願っております。
昨年亡くなった五百旗頭真氏はその著書「大災害の時代」の冒頭で、「われわれは思いもかけず「大震災の時代」にめぐり合わせている」と述べ、阪神・淡路大震災以降、日本列島の地震活動が活性期に入ったと警鐘を鳴らしています。同書では、歴史的に見ても、平安時代の9世紀には、東日本大震災と規模が似ていると考えられている貞観地震や南海トラフによるものと思われる仁和地震、そして、播磨地震、越中越後地震、さらには富士山の噴火など大きな自然災害が続いており、同様に災害の続いた時期は、戦国時代や江戸時代にも見られると述べられています。阪神・淡路大震災に始まり、能登半島地震に至る近年の地震災害の被害や、復旧・復興の経験などを心にとどめ、将来起こりうる南海トラフ地震や首都直下地震などに対して、今一度私たちの備えを確認する必要があると強く感じます。
世界に目を転じても、大雨による被害や山火事、深刻な干ばつなど、地球温暖化に伴うと思われる自然災害が、この1年も各地で頻発しています。また、世界各地での戦争や紛争により、子どもを含む多くの人の命が失われてきたことに深く心が痛みます。異なる価値観を尊重して受け入れる寛容な社会と平和な世界を築いていくため、国際社会でのなお一層の協力や協調が求められていると思います。
皇室においては、昨年11月、崇仁親王妃百合子殿下が薨去されたことを寂しく思っております。妃殿下には、長年にわたって私たちを温かく見守っていただき、また日頃から良くしていただいておりました。深く感謝し、改めて心から哀悼の意を表します。
上皇后陛下には、昨年秋に骨折されて手術をお受けになりましたが、順調に御快復になっておられることに安堵しております。上皇上皇后両陛下には、私たちを変わらず温かくお見守りいただき、お導きいただいていることに感謝申し上げます。
国内では、物価の上昇などの経済的な状況を始め、様々な事情により困難を抱えている人も多く、そうした人々の身の上を案じております。
このような中ではありますが、この1年には皆の心が明るくなるような話題もありました。昨年夏に開催されたパリオリンピック・パラリンピック競技大会では、出場した選手たちが、これまでに培ってきた力を尽くして競技に臨む姿が印象に残りました。陸上女子やり投げ決勝では、北口榛花選手がオリンピックのフィールド種目で日本女子選手初となる金メダルを獲得するなど、多くの日本人選手が活躍したことはうれしいことでした。さらに、米国メジャーリーグの大谷翔平選手が3度目のMVPに選出されたことや、長年にわたって米国メジャーリーグで活躍したイチロー選手が今年の米国野球殿堂入りメンバーに選ばれたことなど、我が国の人々が、日々の努力の積み重ねにより新たな世界を切り開いていく姿は、私たちに明るい希望と勇気を与えてくれるものと思います。
(問5)
皇室の課題に関してお尋ねします。国会の皇族数確保策の議論では、女性皇族が結婚後も皇室に残る案がおおむね賛同を得られました。秋篠宮さまは該当する皇族は「生身の人間」で、宮内庁は考えを理解する必要があると指摘されました。この発言の受け止めや愛子さまや皇后さまと話されていることをお聞かせください。皇室の情報発信をめぐっては、宮内庁がインスタグラムでの発信を始めた一方、ネット上などでのバッシングともとれる情報について、秋篠宮さまは「いじめ的情報と感じる」と述べられましたが、陛下はどのように感じられていますか。
(天皇陛下)
現在、男性皇族の数が減り、高齢化が進んでいること、女性皇族は結婚により皇籍を離脱すること、といった事情により、公的活動を担うことができる皇族は、以前に比べ、減少してきています。これは皇室の将来とも関係する問題ですが、制度に関わる事柄について、私から言及することは控えたいと思います。
皇室の情報発信については、昨年もお話ししたとおり、皇室の活動についての情報発信を考えるに当たって、その前提として、皇室の在り方や活動の基本に立ち返って考える必要があると思います。
皇室の在り方や活動の基本は、繰り返しになりますが、国民の幸せを常に願い、国民と苦楽を共にすることだと思います。また、時代の移り変わりや社会の変化に応じて、状況に対応した務めを果たしていくことが大切であると思います。
皇室を構成する一人一人が、このような役割と真摯に向き合い、国民の幸せを願いながら一つ一つの務めを果たし、国民と心の交流を重ねていく中で、国民と皇室との信頼関係が築かれていくものと考えております。
国民との交流を重ね、国民と皇室の信頼関係を築く上では、皇室に関する情報を、適切なタイミングで国民の皆さんに分かりやすくお知らせしていくことも大事なことであり、宮内庁では、昨年からインスタグラムによる情報発信が開始されています。情報発信の仕方については、今後も工夫をしながら進めていってもらえるものと思っています。
インターネット上の書き込みなどについては、以前お話ししたとおり、人々が自分の意見や考えを自由に表現できることは、憲法が保障する基本的人権として尊重されるべきものであり、自由で多様な意見を述べ合える社会を作っていくことは大切なことだと思います。その中にあって、一般論になりますが、ほかの人に対して意見を表明する際には、時に、その人の心や立場を傷つけることもあるということを常に心にとどめておく必要があると思います。相手の人の気持ちや置かれた状況にも想像力を働かせ、異なる立場にあったり、異なる考えを持つ人々にも配慮し、尊重し合える寛容な社会が築かれていくことを願っております。
(関連質問)
(問1)
2問目のお答えについての関連なんですけれども、愛子さまが昨年初めて単独で地方に公務に行かれまして、その時に陛下が、御自身が初めて公務に、地方に行かれた時のことを思い出されたりですとか、愛子さまの今回の御様子をどのように両陛下で御覧になっていたのかという点と、もう一つ、愛子さまが社会人として、今年活動の幅を広げられる中で、愛子さまの何か変化みたいなものを、もしお感じになっていらっしゃったらお聞かせいただければと思います。
(天皇陛下)
私が初めて地方での公務に臨んだのは、北海道でのスポーツ少年大会への出席だったと思います。その時は、私の挨拶もありましたので、大変緊張したことを覚えておりますけれども、多くの小さな子どもたちともいろいろと交流する場があったことや、北海道の大自然の中で子どもたちが楽しそうに遊んでいたり、スポーツをしていたりする風景を、今でも懐かしく思い出します。愛子は昨年初めて単独で佐賀県を訪れ、単独での地方での公務は初めてでしたけれども、一人で伊勢神宮や奈良に参拝などにも行ったりしておりますので、その辺はあまり心配はしないで送り出すことができたように思います。雅子と私と愛子の3人でいろいろと都内での行事や、博物館などにも今までも行っておりますので、愛子もそういった私たちの様子なども見ながら、またその時のこともいろいろと考えながら、一生懸命初めての地方での公務を行ったように思っており、私たちもうれしく思っております。
(記者)
社会人になられて何か変化ですとか。
(天皇陛下)
私自身、社会人として仕事をしたことがないものですから、愛子が書類を提出するとか、いろいろな記録を取るとか、日赤の一員としての活動について家に帰って話してくれて、その話の一つ一つに非常な新鮮さを感じ、そういったところから、愛子が大学を卒業して社会に入って社会人として一歩一歩成長している様子をかいま見ることができ、大変うれしく思っております。
(問2)
陛下お誕生日おめでとうございます。今年、戦後80年と同時に昭和100年という節目であります。皇室の国際親善についてですけれども、戦前は立憲君主制の下で、皇室がいわゆる外交を担ってきました。しかしながら、昭和の前半に戦争が起こり、国民が大変な犠牲を強いる、そういう時代がございました。で、戦後になり、今度は象徴天皇制になり、昭和天皇、さらに上皇陛下、お二人が国際親善に尽くされて、国民は80年間、戦争がない時代を過ごすことができました。しかしながら、最近の国際情勢を見ると、ウクライナ、ガザなどで紛争が起こっておりまして、多くの人々が戦火にまみれているような状態です。さらに日本であっても、そういった紛争の影響で、物価が高騰して生活に苦しんでいる、そういう方々がいらっしゃいます。こうした中にあって、令和の皇室において、国際親善というものがですね、どのような形であれば良いとお考えでしょうか。お聞かせいただければと思います。
(天皇陛下)
国際親善というのは、外国訪問について言えば、先方から御招待を頂いて、私たちが出掛けていくことになるわけですけれども、両国の相互理解が、外国訪問によって深まり、その国との友好関係を築いていくことが大切なのではないかと思います。やはり、人と人との結び付きが、やがて国と国との平和に結び付いていくことになるのではないかと思います。今は本当におっしゃるように、国際情勢も混とんとしてきて大変な状況ではありますけれども、1回1回、外国を訪問するたびに、国際親善ということを念頭に置きながら、今後とも外国訪問を続けていきたいと思っています。
参考・引用:出典サイト: NHK
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記録
散歩人とカメラマン(妻)
【全文】令和7年天皇陛下の御感想(新年に当たり)
昨年は、年初の能登半島地震を始め、台風や豪雨などによる災害が各地で発生したほか、物価の上昇などもあり、多くの人にとって御苦労の多い年であったことと思います。困難を抱えている人々のことを案じると同時に、そのような人々のため、また、社会のために地道に活動に取り組んでいる人も多いことをうれしく思っています。今年も、人々がお互いを思いやり、支え合いながら、様々な困難を乗り越えていくことができるよう願っています。 今年は、戦後80年の節目を迎えます。終戦以来、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられた一方で、現在も戦争や紛争により、世界各地で多くの人の命が失われていることに深い悲しみを覚えます。平和な世界を築いていくために、人々がお互いの違いを認め合い、共に手を携えて力を合わせていくことの大切さを感じます。 新しい年が、我が国と世界の人々にとって、希望を持って歩んでいくことのできる年となることを祈ります。
記録
天気: 晴れ
最高気温(℃)[前日差] 12℃[-3]
最低気温(℃)[前日差] 5℃[+1]
24/12/15 近くの丁目で火事が発生して驚きました
今日15日午前11時ごろ、近くの丁目の住宅から火が出て、この住宅が全焼する火事が発生して驚きました。
火元の家に住む90歳とみられる男性1人が死亡しました。この男性は、お散歩で出会った事のあるパピヨンの犬をつれて散歩をしていた男性でした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
記録
天気: 晴れ
最高気温(℃)[前日差] 13℃[0]
最低気温(℃)[前日差] 2℃[-3]
散歩人とカメラマン(妻)
24/12/9 皇后陛下様、お誕生日おめでとうございます。
★バラ:フロージン
令和6年12月9日 皇后陛下雅子様、お誕生日おめでとうございます!
心よりお祝いを申し上げます。
これからも天皇陛下と愛子さまと手を携えて良い令和の時代をお創りください。また、くれぐれも無理をなさらないよう、お身体ご自愛ください。皇后陛下のお幸せを不躾ながら国民の一人としてお祈りもうしあげます。
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◆ 令和6年12月9日(月): 皇后陛下お誕生日に際してのご感想:全文掲載
出典サイト: NHK 皇后さま 61歳の誕生日
皇后さまは9日、61歳の誕生日を迎えられました。それに際して、文書で感想をつづられました。
「全文」
今年は、元日に起きた能登半島地震で多くの方が亡くなり、また、多くの方が被災されたことに深く心の痛む年の始まりとなりました。
日本の原風景や伝統文化を色濃く残す美しい地域であると同時に、高齢化や人口減少、過疎化の進む半島地域であるという、地理的、社会的状況の中で発生した大きな地震により、道路の寸断によるアクセスの困難さや長く続く断水など、被災された方々が、冬の厳しい寒さの中でどれほど多くの困難と御苦労を抱えながら避難生活を送られていたか、想像するに余りあるものでした。
私自身、学生時代に友人との旅行で能登半島を訪れたことがあり、楽しく、大切な思い出の詰まった能登の地で、多くの人々がこのような大きな試練に直面していることに、心が締め付けられる思いが致しました。
状況の少し落ち着いた3月から4月にかけて、お見舞いのために能登の被災地を訪れ、被災された方々が安心して生活できる日が一日でも早く訪れるよう、復興が一歩一歩進んでいくことを心から願いましたが、その復旧・復興への歩みを進める中、9月下旬に、今度は大雨による被害が発生したことにも心が痛みます。
国内の他の各地でも、今年も残念ながら、大雨や台風の被害がありました。
能登半島を始め、各地の災害で亡くなられた方々とその御遺族に深く哀悼の意を表します。
また、被災された方々の御苦労を思い、心からのお見舞いをお伝えしたいと思います。
同時に、厳しい状況の中で、救援・救護活動や、被災された方々への支援、復旧・復興の作業に従事された多くの関係者の皆さんの尽力に、深く敬意と感謝をお伝えしたいと思います。
世界に目を向けても、大雨による被害や山火事、深刻な干ばつなど、地球温暖化に伴うと思われる自然災害が、今年も各地で多発しています。
気候変動などの地球規模の環境問題には、年々切迫感が増しているように感じられ、私たちが力を合わせながら、真剣に取り組んでいかなければならない問題の一つであると感じます。
7月に第10回太平洋・島サミットに際しての茶会でお会いした首脳の方々からは、海水面の上昇に伴い、太平洋の島嶼(しょ)国で様々な深刻な問題が起きていることや、GEA(地球環境行動会議)国際会議2024でお会いした方々からは、国際的な議論の高まっているプラスチックごみの問題などについても伺い、これらの問題の深刻さを改めて認識しました。
来年の1月には、能登半島地震から1年、そして、阪神淡路大震災から30年の節目を迎えます。
当時の被害の大きさを改めて思い起こし、犠牲となられた方々を追悼するとともに、被災された方々への支援や、今後の防災・減災について考え、備えていくことが大切なのではないかと思います。
一方で、この1年も、世界各地での戦争や紛争により、子供を含む数多くの人々の命が失われていることに深い悲しみを覚えます。
異なる価値観を尊重し合える寛容な社会と平和な世界を築いていくために、人々が対話を重ねていくことの大切さを感じます。
国内では、物価の上昇などの経済的な状況を始め、様々な事情により困難を抱えている人も多く、そうした人々の身の上を案じています。
今年6月には、陛下と御一緒に、国賓として英国を訪問することができました。
チャールズ3世国王陛下には、御病気の御治療中にありながら、私たちを温かく迎えてくださり、ホース・ガーズでの歓迎式典や馬車によるパレード、バッキンガム宮殿での午餐(さん)会や晩餐(さん)会など、王妃陛下と御一緒にお心のこもった温かいおもてなしをしていただきました。
国王王妃両陛下を始め、王室の方々と旧交を温めることができたこともうれしいことでした。
深く心に残る滞在になりましたことを心から有り難く思い、国王王妃両陛下に重ねて厚く御礼を申し上げたいと思います。
英国滞在中には、日本と英国の交流に様々な形で携ってきた幅広い年代の方々に直接お会いしてお話しする中で、両国の友好親善関係が多くの人々の交流を通じて深まってきたことや、英国の人々が日本に対して温かい気持ちを寄せていただいていることを実感し、うれしく思いました。
また、陛下と御一緒に、私にとっては34年ぶりに懐かしいオックスフォード大学を再び訪れることができたことも特別な機会になり、感慨深いものでした。
オックスフォード大学のパッテン総長御夫妻を始め、私たちが留学中に御縁のあったコレッジの学長方や、当時お世話になった方々などから温かく迎えていただいたこともとてもうれしいことでしたし、陛下もかつて頂かれた名誉博士号を同大学から授与していただいたことも大変有り難いことでした。
パッテン総長には、荘厳な中にも温かみのある授与式を執り行っていただき、お心遣いに深く感謝しております。
懐かしいコレッジの中などを、それぞれのコレッジの学長に案内していただいて、変わらぬ歴史の重みを感じるオックスフォード大学の中を歩くことができたことも大変うれしく、思い出深い滞在になりました。
英国への訪問を準備していただいた日本と英国双方の関係者の皆様の尽力に重ねまして深く感謝いたします。
国内では、地方での公務のために4つの県に足を運びましたが、それぞれの県での行事に出席することができたほか、地域の自然・風土、歴史や文化にも触れ、行く先々で多くの方に温かく迎えていただいたことを大変有り難く思いました。
今年の夏に開催されたパリオリンピック・パラリンピック競技大会では、出場した日本の選手たちが素晴(すば)らしい活躍を見せました。
それぞれの選手が培ってきた力を尽くして競技に臨む姿や、団体競技では、チームの団結力や選手たちの間の絆(きずな)が印象に残る大会となったことに感銘を受けました。
また、米国メジャーリーグの大谷翔平選手が、54本塁打、59盗塁を記録し、メジャーリーグ史上初の1シーズン「50(本塁打)-50(盗塁)」を達成し、3度目のMVPに輝きました。
ほかの日本人選手たちの活躍も目覚ましく、様々な分野で、こうした若い人たちが日々の努力の積み重ねにより新たな世界を切り開いていく姿は、多くの日本の人たちに明るい希望と勇気を与えてくれたものと思います。
今年、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞を受賞することになったことも印象に残りました。
来年、戦後80年を迎える中、被爆された方々の痛みや苦しみ、そして長年にわたって活動を続けてこられた方々の御苦労に思いを馳(は)せつつ、平和な世界を築いていくために、世界の人々がお互いの理解に努め、力を合わせていくことの大切さを改めて感じています。
皇室においては、先月、三笠宮崇仁親王妃百合子殿下が御長寿を全うされ、薨(こう)去されたことを寂しく思っております。
妃殿下には、三笠宮様と共に、長年にわたって私たちを温かく見守っていただきました。
平成5年に、皇太子殿下との婚約が内定いたしました後に三笠宮邸に御挨拶に伺い、両殿下で温かくお迎えいただきましたことを懐かしく思い出します。
また、日頃からいろいろと良くしていただいておりましたことに深く感謝し、心から哀悼の意を表します。
上皇上皇后両陛下には、私たちや愛子を温かくお見守りいただき、お導きいただいていることに感謝申し上げたいと思います。
上皇后様には、この秋に骨折され、御案じ申し上げておりましたが、手術が無事にお済みになり、リハビリに取り組んでいらっしゃると伺い、少し安堵(ど)しております。
両陛下にはお体を大切にお過ごしになり、上皇后様には御順調に御快復になることを心からお祈り申し上げます。
娘の愛子は、3月に学習院大学を卒業し、4月から日本赤十字社の嘱託職員として勤務を始めました。
早いもので、先日23歳になりましたことに、時の経(た)つ早さを感じます。
職場では、周囲の方々に温かく御指導いただき、仕事についてもやり甲斐(がい)を感じながら励んでいる様子をうれしく思っています。
また、今年の3月には、大学卒業に当たって三重県と奈良県を、そして10月には、初めて一人での地方公務として、国民スポーツ大会のために佐賀県を訪問しましたが、各地で多くの方に大変温かく迎えていただいたことを、愛子も私たちも心から有り難く、また、うれしく思っています。
愛子には、これからも健康に気を配りつつ、社会人として様々な経験を積みながら、皇族としての務めを果たすべく努めていってほしいと願っています。
皆様には、これからも愛子を温かく見守っていただけましたら幸いに存じます。
今年も多くの方に支えていただきながら、こうして無事に誕生日を迎えることができましたことに感謝しつつ、日頃より皆様から寄せていただいている温かいお気持ちに対し、改めて心から御礼をお伝えしたいと思います。
来年が、日本と世界の人々にとって、明るい希望を持って歩んでいくことのできる年になることを願いつつ、これからも国民の皆様の幸せを祈りながら、できる限りの務めを果たしていくよう努力したいと思っております。
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イージーゴーイングは、寒さに負けないで美しく咲いています。
記録
天気: 晴れ
最高気温(℃)[前日差] 13℃[-1]
最低気温(℃)[前日差] 4℃[-1]
散歩人とカメラマン(妻)
桜が咲いていました
24/10/27 今日は、衆議院総選挙の日
さて、今日は、衆議院総選挙の日です。早朝のお散歩から帰った後、日課のガーデニング作業をした後に投票場に行って投票してきました。
投票後は、お散歩して帰ってきました。
投票所は、一の橋近くの小学校
小学校の校庭
ウサギ
果樹が植えられていました
桜が咲いていました
近くの神社では、秋の例大祭
記録
天気: 曇のち雨
最高気温(℃)[前日差] 24℃[+3]
最低気温(℃)[前日差] 18℃[0]
散歩人とカメラマン(妻)
24/9/1 【パリパラリンピック】木村敬一選手 金メダルおめでとうございます!!
■【パリパラリンピック】木村敬一選手 金メダルおめでとうございます!!
水泳男子50m自由形(S11・全盲)決勝(日本時間9月1日、ラデファンス・アリーナ)
木村敬一選手:50m自由形で金メダル!
木村敬一選手が50m自由形で、25秒98の1位でフィニッシュし金メダルを獲得しました。21年東京大会100mバタフライに続き、2大会連続の金メダルという快挙を成し遂げました。
自己ベスト更新し2大会連続金メダルの快挙です。
早朝から木村敬一選手に感動と挑戦心をいただきました。
また、参加した選手の皆さんお疲れ様でした!
早朝から参加した選手の皆さんの素敵な笑顔をありがとうございました。
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■木村敬一(きむら・けいいち)選手について:
病気のため2歳で視力を失った木村。それでも小さい頃は、自転車にスキーと何でも挑戦、ピアノの発表会ではビートルズの「Let it be」を弾いたことも。小学4年生の10歳から水泳を始め、パラリンピックには2012年ロンドンパラリンピックでは旗手を務め銀・銅2つのメダルを獲得し、16年リオ大会では銀・銅合わせて4つのメダルを獲得。そして21年東京大会では100mバタフライで自身初となる悲願の金メダルを獲得した。
記録
天気: ※ 台風10号北上接近 曇時々雨
最高気温(℃)[前日差] 31℃[0]
最低気温(℃)[前日差] 25℃[-2]
散歩人とカメラマン(妻)
24/8/30【2024パリパラリンピック】鈴木孝幸選手が50m平泳ぎで金メダル獲得!おめでとうございます。
記録更新しての金メダル、おめでとうございます。
■ パラ水泳(SB3・運動機能障がい)男子50m平泳ぎ決勝(日本時間30日、 ラデファンス・アリーナ)
6大会連続出場の鈴木孝幸選手が50m平泳ぎで金メダルを獲得、パリパラリンピックでの日本勢メダル第1号となった。
37歳の鈴木孝幸選手の金メダルは素晴らしかったですが、感動したのはアテネから16年ぶりの自己ベスト更新です。
進化を止めず、泳法を見なおしながらタイムを縮める。そこに鈴木選手の挑戦の凄さと無限の可能性を感じました。
鈴木選手には「手本」がありません。自身の身体特性に合ったベストな泳ぎを独力で突き詰めるしかないのです。特に左右対称な動きが求められる平泳ぎは、四肢の長さが異なる選手にとっては難しいはず。左の手足が右よりも長い鈴木選手が、まっすぐ進むだけでも驚きです。息継ぎの回数もリオの時の2ストロークに1回から東京は4ストロークに1回、今回は6ストロークに1回の時もありました。
それぞれが自分の身体特性に合った異なる泳ぎ方で争うパラ水泳。工夫をこらし、個性を生かして勝利を目指す、鈴木選手はすごいです。
鈴木孝幸選手の経歴を知ると、前方上方に向かって挑戦し続けている人で本当に驚かされました。水泳のみならずハンデがあっても普通の高校から早稲田進んで、更にイギリスの大学院でも研究して、素晴らしい挑戦者です。
また、チャレンジ精神がある人で、左手の指が3本しかなくても、中学の時には吹奏楽部でホルン吹いてたというから驚きました。
ホルンは普通に吹くと第4レバーを左手の親指で動かして、第1から第3レバーは同じく左手の人差し指、中指、薬指で押さえて演奏するが、指の足りないハンデをこの人は克服して演奏していました。
とにかく、水泳だけじゃなくて、勉強も音楽も海外留学も、何もかも超人並みの精神力でやり遂げてきた人です。鈴木孝幸選手を心の底から尊敬しました。
朝から元気・やる気をもらいました。
記録
天気: ※ 台風10号北上接近 曇時々雨
最高気温(℃)[前日差] 30℃[-1]
最低気温(℃)[前日差] 26℃[0]
散歩人
24/8/29 パリ・パラリンピックの開会式が28日夜(日本時間29日未明)
パリ・パラリンピックの開会式が28日夜(日本時間29日未明)。大会は2大会ぶりに有観客で開かれる「多様性の祭典」となり、障害のあるアスリートたちは見る者の間近でプレーを披露する。障害や異なる人種、宗教といった背景に基づいた差別が繰り返される中、大会には、共生社会の実現に向けてスポーツイベントにとどまらない役割が期待されます。
記録
天気: 曇時々雨
最高気温(℃)[前日差] 33℃[+1]
最低気温(℃)[前日差] 27℃[+1]
散歩人とカメラマン(妻)
天皇皇后両陛下は15日、東京・千代田区の日本武道館で行われた「全国戦没者追悼式」に出席し、天皇陛下がお言葉を述べられました。
天皇陛下のお言葉全文は以下の通りです。
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本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、 全国戦没者追悼式に臨み、 さきの大戦において、 かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来79年、人々のたゆみない努力により、 今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、 誠に感慨深いものがあります。
これからも、私たち皆で心を合わせ、 将来にわたって平和と人々の幸せを希求し続けていくことを心から願います。
ここに、 戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、 過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
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記録
天気: 曇時々晴
最高気温(℃)[前日差] 35℃[0]
最低気温(℃)[前日差] 28℃[0]
散歩人とカメラマン(妻)
24/3/29 敬宮愛子内親王殿下 日本赤十字社にご就職おめでとうございます。
敬宮愛子内親王殿下 日本赤十字社にご就職おめでとうございます。
そして、ご配属先ご決定とのこと、おめでとうございます。
来週から日本赤十字社に就職される敬宮愛子内親王殿下の配属先は「事業局 パートナーシップ推進部 ボランティア活動推進室 青少年・ボランティア課」に決まったと宮内庁が発表しました。
この部署は、若手のボランティアグループや日本赤十字社で活動する個人のボランティアなどの育成や研修などを行う部署だということです。
敬宮愛子内親王殿下のボランティア課に配属との報道にたいへん嬉しく思います。今までのなさり様、そして今月2日間のご参拝やご視察、小学生にお声がけされた親しみやすい雰囲気、沿道の方々にも最後の最後まで応じてらした光景は、両陛下からのご教育や学習院での学びが集大成された今の敬宮愛子内親王殿下は、慈愛、他者への思いやりをもつ心優しい人徳の方へとなられました。
これから社会人として、また皇女としてのご公務、両陛下をしっかりとお支えされ、どうか私たち多くの国民や世界中の平和のためにご活躍されますよう心から応援いたします。
皇室の公務との両立となるため、常勤嘱託職員となったと思います。常勤嘱託となると出勤と退勤、1日の勤務時間は常勤職員とほぼ同じになると思います。
お若いので体力面は大丈夫でしょうが、平日は出勤、週末は公務という事実上の連勤状態になることもあるでしょう。体調に気をつけてゆっくりと慣れていってほしいと思います。
敬宮愛子内親王殿下のご健康とお幸せをお祈りいたすとともに、未来が素晴らしいものであることをお祈りしてご活躍を楽しみにしております。
記録
天気: 雨のち晴
最高気温(℃)[前日差] 22℃[+8]
最低気温(℃)[前日差] 12℃[+4]
散歩人とカメラマン(妻)
24/3/20 敬宮愛子様 ご卒業、おめでとうございます。
一つ一つの言葉や表情、仕草が作り物でなく心からのものであることが伝わります。
愛子様の人格形成においてご両親が正しい教育と愛情を注がれてきたことが感じられます。
ご卒業おめでとうございます。
愛子様の未来が素晴らしいものであることをお祈りしています。
「皇族としての務めを果たしながら、社会人としての自覚と責任を持って、少しでも社会のお役に立てるよう、公務と仕事の両立に努めていきたいと思っております」
皇族として意識、行動基準を意識しながら他者に対する思いやりそして調和を考えた言動人として素晴らしいと感じました。
ご卒業おめでとうございます!
敬宮様のご健康とお幸せをお祈りいたすとともに、華々しいご活躍を楽しみにしております。
参考:出店サイト:愛子さま 大学の卒業式に出席【卒業にあたり文書】
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■ 愛子内親王殿下 学習院大学御卒業に際しての文書回答:
問)大学卒業を迎えられる現在の心境はいかがでしょうか。4年間の大学生活を振り返り、特に印象に残った出来事やご友人との思い出、卒業論文の内容や執筆で苦労された点などをご紹介ください。将来的な海外留学や、大学院進学の希望はお持ちでしょうか。
答)回答に先立ちまして、今年1月1日に発生した能登半島地震で多くの方が亡くなり、また、被災され、今も9千人を超える方が避難を余儀なくされていることに胸が痛みます。亡くなられた方々に深く哀悼の意を表し、御遺族と被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。寒さも厳しい中、被災された皆様の御苦労はいかばかりかと思います。大変なことも多いと思いますが、今後、一日も早く平穏な日常が戻り、復旧・復興が進んでいくことを切に願っています。
この度、学習院大学文学部日本語日本文学科を卒業するに当たり、まず、お世話になりました先生方や職員の皆様を始め、大学関係者の方々、日頃から温かく接してくれた友人、そして、大学生活をそばで支え、見守って下さった天皇皇后両陛下に、心からの感謝をお伝えしたいと思います。
4年間の大学生活を振り返ってみますと、中学や高校の3年間かそれ以上にあっという間だったように感じられる一方で、一日一日は非常に濃く、学びの多い日々であったことを感じます。
思い返せば、新型コロナウイルス感染症の蔓(まん)延と同時期に始まった大学生活でした。経験したことのないオンライン授業、インターネット上での課題の授受など、最初は操作も分からず、不慣れな手つきで恐る恐る画面を開き、授業を受講していたことを懐かしく思い出します。先生方や学校関係者の方々にとっても、初めての試みで苦労されることも多く、試行錯誤の毎日であったことと思いますが、皆様の御尽力によって、自宅で授業が受けられる環境を整えていただいたことは、とても有り難いことでした。
感染症の流行が徐々に落ち着いてきた中で、4年生からは大学のキャンパスに足を運べるようになりました。キャンパスでの学生生活では、先生やほかの学生さんたちと、教室で同じ空間や同じ時間を共有しながら授業を受けることや、授業で出された課題に取り組むべく、休み時間に図書館や研究室に調べ物に行くこと、そしてまた、友人たちと対面で交流することができるようになりました。その転換期を経験し、以前は当たり前であったこれらのことがいかに尊いものであるのか、実感することとなった学生生活でもありました。
高校までの友人たちとの嬉(うれ)しい再会とともに、大学入学後の新たな友人たちとの交流も始まり、学年の枠を越え、友人たちと一緒に授業を受けたり、直(じか)に話をして笑い合ったり、学内の様々な場所を訪れたりしたことは、私にとって忘れることのできない一生の思い出となりました。
また、中世の和歌の授業を履修する中で、和歌の美しさや解釈の多様さに感銘を受けたことから、大学における学業の集大成として書き上げた卒業論文では、中世を代表する女流歌人の一人であった式子(しょくし)内親王とその和歌を扱い、「式子(しょくし)内親王とその和歌の研究」という題で執筆を致しました。
調べる資料や範囲が膨大で、一つのことを調べていると、次から次へと調べなければならない事柄が出てきてなかなか終わらず、特に締切りが近づいた昨年末は、気が遠くなるような毎日を過ごしておりました。また、作成する文章の量が、授業で課される普段のレポートに比べて遥(はる)かに多かったため、註(ちゅう)を付ける作業など、論文としての体裁を整えることにも時間を要しましたが、指導教授の先生からのアドバイスと心強い励ましのお言葉、研究室の皆様の温かいサポートを頂き、無事に提出できた時には、ほっとした気持ちと同時に大きな達成感がありました。御指導頂いた先生方を始め、関係していただいた皆様に深く感謝しております。
将来の勉学については、現在のところ具体的には考えておりませんが、来月より日本赤十字社の嘱託職員として勤務させていただくことになりましたので、皇族としての務めを果たしながら、社会人としての自覚と責任を持って、少しでも社会のお役に立てるよう、公務と仕事の両立に努めていきたいと思っております。
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皇族ではない私たちと同じような大学生活で得た貴重な経験や感覚を大事にされていることが、国民に寄り添う気持ちにつながるのだと思いました。
内面から自然と出て来る美しさとは、こういう事なんですよね。取って付けたような笑顔ではなくて素敵ですし、お声が実に可愛らしいのよね。それでいて受け答えもしっかりなさっている。本当におめでとうございます。
来月からは日本赤十字社にお勤めになられるとのことですが、無理をせず思う存分ご自身の力を発揮させて欲しいと願うばかりです。
記録
天気: 晴時々曇
最高気温(℃)[前日差] 16℃[+4]
最低気温(℃)[前日差] 6℃[+1]
散歩人とカメラマン(妻)
◆ 今日は、『二・二六事件』の日です
青年将校が立ち上がった『二・二六事件』
◆ その原因とは:「青年将校の掲げた昭和維新」
今から約80年前の1936年2月26日、陸軍の青年将校等が兵約1,500名を率い大規模なクーデターを断行しました。それが『二・二六事件』です。このとき高橋是清、斎藤実など首相経験者を含む重臣4名、警察官5名が犠牲になりました。事件後に開かれた軍法会議では、「非公開、弁護士なし、一審のみ」で、刑が確定しました。主謀者の青年将校ら19名(20~30代)を中心に死刑となり、刑はすぐに執行されました。
◆ この事件の背景:
この事件の起こる6年前、金輸出解禁と世界恐慌により、日本は深刻な不景気(昭和恐慌)に見舞われました。企業は次々と倒産し、町は失業者であふれました。さらに農村でも農作物価格が下落し、都市の失業者が農山村に戻ったこともあり、農民の生活は大変苦しく(農村恐慌)、自分の娘を女郎屋に身売りする家もたくさん出てきました。
こうしたなか、当時の政党内閣は適切な対応をとらず、また汚職事件が続発しました。また不景気のなか、巨大な資本を用いて財閥だけが肥え太る状況が生まれました。
このため、人びとは政党に失望し、財閥を憎み、満州事変などによって大陸に勢力を広げる軍部(とくに陸軍)に期待するようになりました。こうした国民の支持を背景に、軍部や軍に所属する青年将校たちが力をもち、右翼と協力して国家の革新を目指すようになります。
実際、過激な計画や事件が続発していきます。クーデターによる軍部内閣の樹立を計画する陸軍青年将校を中心とする桜会、現役の犬養毅首相を暗殺(五・一五事件)した海軍青年将校、一人一殺を標榜して財界人を殺害する右翼の血盟団などです。ちなみに、当時の陸軍には「統制派」と「皇道派」という2つの派閥がありました。
「統制派」は、陸軍の中枢の高官が中心になった派閥です。彼らは政府や経済に介入し、軍部よりに政府を変えていこうと考えています。
これに対して「皇道派」は、天皇親政を目指し、そのためには武力行使などを辞さない一派です。
両派の対立は、「統制派」が勝利します。ところが1935年、「皇道派」を締め出した「統制派」のリーダーである永田鉄山軍務局長を、「皇道派」の相沢三郎中佐が斬殺する『相沢事件』などがおきました。
これに、「皇道派」は大いに力を得て翌年、クーデターを決行したのです。
青年将校は天皇を中心とした新しい政治体制を築く『昭和維新』を掲げ、国内の状況を改善し、政治家と財閥の癒着の解消や不況の打破などを主張しました。
時の陸軍大臣も、「おまえたちの気持ちはよくわかる」といった訓示を出すなどして、事件を起こした青年将校の要求に沿うように見えましたが、思いもかけぬ誤算だったのは、「皇道派」が最も崇敬していた昭和天皇は、彼らを「賊徒」(政府に対する反逆者)と見なしたことでした。自分の重臣たちを殺されたことに、昭和天皇は激怒し、自ら早急な鎮圧を陸軍大臣に指示しました。天皇が自ら軍に指示したことは極めて異例なことでした。
しかし、同士討ちを避けたい陸軍は、武力で反乱を鎮圧するのをためらいました。すると天皇は、「私が自ら軍を率いて平定する」とまで明言したといいます。ここにおいて、軍も本格的に動き出しました。アドバルーンをあげたり、ラジオ放送などによって、永田町一帯を陣取る反乱軍へ原隊への帰還を求めました。その結果、将校たちも観念して兵たちを原隊へと帰らせました。将校の二人は武力行使の責任をとって自決しましたが、その他の将校たちはこれらを「統制派」の陰謀と考え、『五・一五事件』、『相沢事件』と同じく、裁判闘争に訴えようと自決をやめ、宇田川町(現在の東京都渋谷区)の『陸軍刑務所』に収監されました。
◆「排除」は解決にならない『二・二六事件』後の処刑に学ぶ
『二・二六事件』のあと、首謀者であった軍の将校をはじめ多くの人が死刑となりました。また、民間右翼・北一輝らがこの事件に深く関与しているとして死刑になりました。1993年に、それまでないとされていた裁判記録が一部公開され、人々により、さらに研究が進むと思われます。
岡田啓介首相に代わって、新しく内閣総理大臣となった広田弘毅首相は『思想犯保護観察法』を成立させます。この法律は「危険思想によって罪を犯した人物が、再び犯罪を起こさないように監視する」というものです。
『二・二六事件』で武力行使を起こした将校たちを意識した法律であることは誰の目から見ても明らかで、これ以降、思想行動の監視が強化されます。
また、陸軍の実権を握った「統制派」は、広田弘毅が組閣する際、さまざまな口をはさみ、さらに『軍部大臣現役武官制』が復活し、軍の了解なくして内閣が存続できないようにしました。このように『二・二六事件』をへて、ますます軍部の政府に対する力は強まっていったのです。
この事件が教えてくれるのは「排除では何も変わらない」ということ、暴力などによる政治の改変はいけないことだということです。
自分の思っていることや考えが伝わらないのは辛いことです。この時代の悲劇もありますが、自分の意見を聞いてくれない相手を排除したとしても、聞いてほしいところにその意見が伝わるわけではありません。一切聞く耳を持たなくなってしまう可能性もあります。
誰かに自分の意見を届けたいと思ったら、邪魔な相手を排除するのではなく、別のやり方を考え、意見を届けることを諦めずに実行していくことです。そうすればいずれ、その人の目に留まるようになるでしょう。
青年将校が立ち上がった『二・二六事件』 その原因を調べていて感じた事は、コロナ不景気のなか政党内閣は適切な対応をとらず、また贈収賄事件・汚職事件が続発し、また、巨大な資本だけが肥え太る経済格差、所得格差の格差社会状況が生まれている、今の日本の政治・社会状況に似ているという事でした。
暴力などによる政治の改変はいけない事ですが、でも、
今のおかしい日本を変える、『二・二六事件』立ち上がった青年将校のようなリーダーシップのある人間がいない事です。
記録
天気: 晴れ
最高気温(℃)[前日差] 13℃[+7]
最低気温(℃)[前日差] 5℃[+1]
散歩人
24/2/23 吉兆!!昨日、日経平均株価は1989年末につけた最高値(3万8915円)を約34年ぶりに更新
2月22日の東京株式市場で、日経平均株価は1989年末につけた最高値(3万8915円)を約34年ぶりに更新し、終値は前日比836円52銭(2.2%)高い3万9098円68銭となった。
取引開始直後は245円高だったが、その後段階的に上げ幅を広げ午後には3万9000円台に乗せた。上げ幅は一時900円に迫った。米エヌビディアの決算の好調さを手がかりに、買いの勢いは強かった。
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2月22日の東京株式市場で、日経平均株価は1989年末につけた最高値(3万8915円)を約34年ぶりに更新した出来事は、これから何か新しい事が起こりそう、良い方向に向かう出来事:吉兆を感じた出来事に感じましたた。
記録
天気: 雨時々雪
最高気温(℃)[前日差] 5℃[-4]
最低気温(℃)[前日差] 2℃[-2]
散歩人