スカーレット手帖

機嫌のいい観客

実体化する王子様と信仰

2014-01-20 | 好きなもの
こんなに連日なんだかんだ、まあ要するにテニミュファンだと大騒ぎしている中、突然発生した出来ごととして
先日、現役テニミュキャストの方と仕事をしてしまった。
2014年、年明け早々からのディープインパクトである。

この事態が発生するにあたり、当然のことながら個人的には心中かなりの動揺が巻き起こり、
少しでも油断すると、その隙に口の端からふなっしーが3000匹ぐらいあふれでてきそうな極限状態であったものの、
こちらもれっきとした社会人、お仕事はしっかりさせて頂きます、昼は淑女で夜は娼婦、という所存。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」を口の中で唱え、ゴルゴ13のような表情を意識しながら現場に乗り込んだ。

昔から、あらゆる芸能人が好き(ようするにミーハー)だったものの、

あまりにもタイムリーすぎるタイミングで(ってかつい先日舞台でおみかけしたばかりの)、
まさに今好きなジャンルの対象人物が(もうこれ完全にアイドルですよね。現在進行形アイドル。)、
目の前に実体化された人間として現れたことにより(つい役名で呼んでしまう)、

思考回路におけるちょっとしたビッグバンが発生し
ファンとか、好きとか、びっくりとかを飛び越えて、宗教や信仰について考えを巡らせてしまった。

私は根本的に何を讃えている立場の者なのだろうか。
生身の人間としては、彼らは単にじぶんよりもいくらか年若い、綺麗な顔の役者たちなのであるが、
私は彼らが練習し扮装し、光と音と動きで演出し、数多くの裏方さんの計算で成り立っている
虚構の物語の虜なのであった。つまり役者自身は単なるよりしろのようなものである。
ただ、尊いものとして感じているのは、大がかりなそのゲームの文脈の中に、
時折彼らの生身の物語をシンクロさせて見ることができるから、ということで、
ここがテニミュの恐ろしいところなのである。
小劇場の役者のように、役を離れればむしろ別物、と割り切れるほどでもない。
かといって、限りなく生身に惚れさせる戦略のアイドルよりは、もう少しひねくれた仕組みが存在する。
役も本人もごったまぜで愛でさせられる運命にあるのがテニミュファンである。
(このあたりが同居している様子については、テニミュブログを読んで頂ければと思います。
 おなじ役者が出ている同じようなテンションの写真でも、私服であれば芸名、扮装していれば役名。が徹底されている。
 この表記をすんなりのみこめる読み手になった時点で、テニミュの物語を共有していると言っていいと思う)
そんなわけで、当日の私も、目の前の男子をどのように咀嚼してよいのやらドギマギとしながら、
交感神経をビリビリに効かせた状態で、現場での時間を噛みしめていた。
彼らにとっては自分は単なるスタッフなので、場をほぐすだの、なにか準備を手伝うだの、する必要があったのだが
仕事にも関わらずどんな言葉をかけても陳腐なような気がしてしまい、とても何か聞けるような雰囲気でもなかった。
たまたま会話が弾んでも、大がかりな嘘のような気がしてしまう。恐ろしい時間であった。
知りたいのか知りたくないのか、いや知りたくないわけではないけれど知りすぎるのは怖いのね、
お金を払いたくなくなりそうで…

私は、いつのまにか自分が心のなかにテニミュという枠で囲われた『聖域』をはぐくんでいることに気付いた。
もはやネタではない。信仰に近い。
しかし相手がどんな振る舞いを続けても愛でつづけることのできるアガペーの持ち主であればよかったのだが、
修行が足りないのか、エロスの尾を引きながらの信仰の修験道です。まだまだだね!!

そんなわけで、まだまだ未熟な自分が健全な信仰を続けるには、
関係性として対象との間に適度な余白があったほうが伸び代があるのではないか というのが今回の結論である。
イレギュラーな仕事だったので、このように実体化した王子様たちに迫る機会は
今後の私の人生の中ではもうないだろうと思い、それはそれでちょっとほっとしている。
誰に頼まれてもないのに、みずからここまで思いつめてしまうコンテンツに対して、
その裏方ポジションを求め始めたら、人生が狂うと思う。
私はあくまで観客の立ち位置から、お賽銭を投げいれるかのように応援していきたいのだ。

それにしても冷静になってみると、芸能って厳しい世界だなあ との思いを新たにしました。
自分もときどき広告の撮影現場に立ち会ったりすることもあるものの、
ともかく長い待ち時間に加え、くりかえしのテストと本番、に、横で眺めているだけでも気が滅入る。
映像は特にこの「同じカットを(カメラ切り替えて)何度も撮る」というのがほんとうに大変だ。しかもロケだ。つらい。
そしてこんなに大変な苦労をしたからといって、大したリターンがくるわけでもなく、
売れるかどうかもわからないし、むしろ次の仕事が来なかったりもするかもしれない。
自分が作り出す世界を人に見てもらって、お金をもらう仕事だ。快感もあるかもしれないが、基本人生大ばくちだ。
私はこういう人の前に立つ仕事は絶対にできないし、もし今からやらせてあげるよと言われても、多分断ると思う。
サラリーマンのほうが(見解はいろいろあると思いますが)よほど生きやすいと思う。
けれどその代わりと言ってはなんですが、
若気の至りか考えなしにうっかり人前に立ってしまった彼ら、そしてうっかりライトを当てられて才能を光らせちゃった彼らが、
どこまで進化することができるのか? ということを、憧れを含んだ目線で、できるだけ追いかけていきたい。
そんなようなことを改めて思った次第でございました。

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