スカーレット手帖

機嫌のいい観客

環境野郎Dチームについて

2013-07-12 | 好きなもの
連日、暑いです。

こんなに暑いことは、これまでなかったのではないか。(小並感)
あまりに暑く、恐らく1日中、部屋の温度が30度以下になっていないのではと思われます。
(昼間いないからわかんないけど)

帰宅したら居間と寝室2つあるクーラーを両方つけて、戸内の温度を一定にしておかないと
寝るときに急に冷やしてもぜんぜん冷えない。ひとりぐらしなのに2台使いってかなりヤバくね?
地球が超ヤバイ。


「地球が超ヤバイ」ということで、
きょうは、2007年に放送していた「環境野郎Dチーム」のことを書きます。




この番組をはじめて見たのは会社に入ってすぐ、東京で研修してたころ。
ウイークリーマンションで夜中にテレビをつけたら放送していた。
連日慣れない飲み会で変な業界のオッサンたちの自慢話を聞いて帰って
ぐったりした時に、この番組をみつけ、夜中にひとりで笑いました。

思い出して、さいきんDVDを買いそろえました。(3巻)


「環境野郎Dチーム」という名前は、
「特攻野郎Aチーム」のパロディである。
なぜ「D」なのか、それはwikiなどを見て頂ければと思うのだが、
団塊とか、環境とかいうのは枠組みに過ぎず、
この番組の味わいどころとしては、
「大御所の人がいかにもやりそうな振る舞いと世間のズレを笑う」というものであり、
完全にそれを狙って仕掛けられている。

出演者は、

・伊吹吾郎
・麻丘めぐみ
・小野寺昭
・大和田伸也
・小倉一郎
・笹野高史


(笹野さんと小倉さんは入れ替え)

この人たちがスタジオに集まって、毎回環境問題を取り上げ、
体験レポートしてきたり与太話したりする。
それはキンチヨーのCMでの大滝秀治を笑う、という感覚と似ている。
「環境」というまじめそうなワードを持ってくることによって、
「いかにも、まじめに取り組みそうだ」という感覚に説得力をつけている。

ヤングゲスト(女子アイドル)が毎回ゲストで呼ばれ、困惑した顔で座っている。
ここですごく良いのは、「大御所の人の方が多数派」ということである。
異分子として「へんなおじさん」「へんなおばさん」が居るということでなく、
むしろ「我々のノリがふつう」としている中で、困惑して苦笑いする普通の人
という図はかなり面白い。
ひとことでいえば「シュール」てやつですか。

大勢のヤングの中に大御所が来る場合、その人はある意味道化師である。
嫁の友達に金を取られる加藤茶ではないが、ダウンタウンデラックスに呼ばれる武田鉄也ではないが、
(適当に言いました)若い人のノリについてこられない、へんな/へんくつな年寄り
というような感じになるのであって、
90年代のテレビというのは、なんとなく、こういうような感じのものだったと思う。
若い人がえらい、そのノリが正義、空気で正解が決まり、
ピンポンラリーのように空気についていけないと(というか、司会者の意見に合わないと)ダメ扱いされる。
これって、ハマらないと苦しいし、ちょっといじめているようにも見える。
(そんなわけで私は今も「すべらない話」とか「アメトーク」とか嫌いなんだけど。)

この番組では、ノリについてこられなくてもべつにいじめない。
だけど大して歩み寄りもしない。
要は、やりたいように自然体にやってるっぽい感じがして、
そこが無理してなくてなんだか楽しそうな雰囲気なのである。
意味は不明だけれど。

しかし、そんな素晴らしい雰囲気を出している彼らも長年芸能界で戦う熟練職人。
番組の中では芸名そのままに「伊吹さん」「小倉さん」「めぐみちゃん」とやって、
劇画調の深刻な雰囲気を崩さないままに親父ギャグや環境ソング(クラシックの替え歌)などを
連発しているが、そんな妙な振る舞いなども全部演技かもしれない。
「いかにもありそう」と思いながらも、実はどこにもないパラレルワールドなのかもしれない。
(というか多分そう)
結局、この番組の世界も儚い夢。

そこらへんの考え抜かれたところに、テレビ番組としての非常な価値を私は見出すのであり、
これぞプロの所業と感じるところではある。
これは、テレビにしかできないこと。
数十年かけてテレビがマスに伝えてきた俳優のイメージ、名番組や映画のイメージ、
ヒット番組の当然の前提、そして、「今」のテレビは当然こんなものだろうというイメージ。
それをまるごと前提にしつつ、ひっくり返してみせて乾いた笑いを提供する。
視聴者に「こんな感じでテレビ見てきましたよね?」というところをゆだねるので、
見てない人は意味わかんない ということになるかもしれないが、

同じ志はNHKの「アルクメデス」にも感じた。
そしてもちろん、「戦国鍋TV」にも。

笑いは、前提をどこに置くかということだと思うんだけど、
もはや、「テレビがこれまで走って視聴者に提供してきた自分の姿」というのは
じゅうぶんに「前提」におけるだけの歴史とバリエーションと共通認識を生みだしているのだな
ということを感じさせる番組でした。


いろんな人にぜひとも一度見てほしい番組である。
面白さの理由がややこしいけれど。



*****


あつすぎてちょっとよくわかんないぶんしょうになりました

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