スカーレット手帖

機嫌のいい観客

鯨井康介くんのこと

2016-07-20 | この人のこと

まんまとお誕生日です

鯨井 康介(くじらい こうすけ)
生年月日:1987年7月20日
身長:178cm
血液型:B型
出身:埼玉県
所属:プロダクション尾木
google検索件数:約 63,100 件
(2016年7月時点)


事務所プロフィール
本人ブログ



例えばわかりやすく対比するならば、
彼と同時期にテニミュにて同じ青学をやっていた城田優という俳優は、今帝国劇場でメインを張っていたりするのだが、
彼が舞台上手から現れ下手に向かってゆるりと歩みを進めながら客席を見つめるのに応じて、
その視界の範囲に捉えた最上手席から下手席に向かって座っている客がドミノだおし式に順番に死んでいく、
という、一網打尽方式の狩猟スタイルを持つ色男である。
加えてウインクなどした場合には、一族郎党がただちに安らかな眠りにつけるほどだ。

それに比べて鯨井氏は、
「1階E列24番」を狙い撃ちにするタイプのスナイパーである。
彼はまず、登場した瞬間に、「1階E列24番」の額の中心にパチンコ玉を当ててくる。
その後、同じ場所にとどめのごとくダーツの矢をすごい勢いでぶっ刺す。
そのようにして「1階E列24番」の視点を『鯨井固定』させたのち、
「1階E列24番」の肩口をトカレフでパンパンと打ってゆさぶり、
脛に長槍で傷をつけて立ち上がること能わず状態にした上で、
いよいよクライマックス、「1階E列24番」の心臓めがけて至近距離から短刀を差し込む。
そして最後の仕上げに腹のなかに時限爆弾をぶち込まれた状態で
「1階E列24番」は帰宅することになる。
嗚呼「1階E列24番」のダメージいかほどか。
帰宅後も弾け続ける鯨井爆弾、おそろしいことである。
その比類なき恐怖と力を周りに語らずにはいられない。
しかし周りにはその攻撃は行われておらず、彼女ひとりがその真髄を知るのみである。
そして繰り返される彼女の熱烈かつ迫真の解説によってひたひたじわじわと広がる鯨井殺法…

こわいな〜やだな〜こわいな〜



のっけから客席の殺し方のお話で失礼つかまつる。
あるいは長年の鯨井ファンからはこの見方、大きな「NO」をくらう可能性も高いが、
大変申し訳ない。鯨井康介氏、私は2016年に突入するまで、彼のことがざっくりとしか見えていなかった。
ただやはり名前は特徴的であるため、
若手俳優オタクの基礎練習としてのWikipedia巡り・WEBパトロールは過去に幾度も行い、
しかもなんなら何作か出演作は見ていたし、脇役で渋い演技をするのも見届けていたのだ。

それでもミーハーな私らしく、ようやく鯨井くん単焦点でカチリと視点があったのは、
この春の「舞台弱虫ペダル」のことだった。
ちなみに、「この人のこと」をいろいろ書いてきたが、
弱ペダを通じて唯一無二の部分が見えてくる人というのはとても多い気がする。
「舞台弱虫ペダル」、あらゆる若手俳優の魅力解像度向上装置としてものすごい威力を果たしているコンテンツだと思うぞ。
私自分の思い入れも相当強いからという気も存分にするが。
今後もテニミュと両輪で、極力シリーズの進行を見つめ続けさせていただく。


で、鯨井康介に焦点が合ってしまった私だが、
その感想としては、ひとことで集約すると「てえへんだ」である。
とてもやばいことになる、と思った。

しかもそのやばさといったら、
「南部鉄器最後の後継者」とか「江戸流和金の平成唯一の飼育者」とかに
惚れてしまったときのようなタチの悪さを感じたのであった。
すなわち、何かと言うと、「職人」に惚れる心境である。
※職人の例はめっちゃくちゃイメージです。

職人は厄介だよ。
職人に惚れると、彼と私が主体−客体の存在ではなく、
どちらかというとその職人が何を極めようとしているのか、寄り添いたい気持ちになる。
なぜならば、彼が興味があるのは私ではなく研究対象物だからである。
俗なものを持ち込んではいけない気持ちになる。
道を極めようとしている人はその求道の精神が美しいのであるからして、
俗人が邪魔をしてはいけないではないか。
そして、職人が極めようとしている対象物を後方から一生懸命眺めるような、
最終的に誰よりも尊い修行者のようになってしまう。


さて、例えにつぐ例えで、自分が一体何を言いたいのかどんどん分からなくなってきているのだが、
とにかくスナイパー俳優職人にロックオンされた私のビジョンにはこの春以降鯨井ズームが搭載された。
弱虫ペダルの次作「ナミヤ雑貨店の奇蹟」そして次次作「bare」をまんまと見に行ったのだが、これはやばい。

舞台上の彼は際立って美しいではないか。

この人はまず、頭身がおかしい。
まあそのことには弱虫ペダルの時に気がついていたのだが、頭が小さく脚が美しすぎる。
スタイルに見とれてしまう。でも決して非現実的なたたずまいではなく、ちゃんと生きている人間を感じる。
そして発声がとてもしっかりしているので、身動きするたびに光を振りまくかのごとくである。
直近のbareでは学校一のイケメンという設定であったが、
舞台に出てきた瞬間、制服を着崩して尚決まるその容姿のフォルムと振る舞いの完璧さに、本当に
「ハアァ〜どんな女も一旦は惚れる」という気持ちでブンブンと首肯したほどである。
いや逆にこの華をどうやって隠していたのか、そちらの技法を小一時間ほど問いただしたい気持ちでいっぱいである。
脇のときにはスッと引けるのだし、前に出るときには風呂敷をこれでもか、どひゃーと広げられるのだし、このバランス感覚は本当に職人だ。
鯨井くんは日本舞踊の素養があるということで、そうか、こういうところからもなんだか職人性を感じるのだろうな、と思う。
あとは、声優などの仕事のイメージも職人感を強めている気がする。
そして、本領は芝居だ。すごくうまい。ここまでの3本、作風がどれも違う中で、とりあえず毎回泣かされている。
しかもあまり意識していない時代もデスティニーの役とかよかったなという記憶があるくらいだ。
そして本人が芝居を好きなのはよくわかる。
ただ啖呵を切る際の音色に若干、平泉成を感じることもある。おもしろい。
彼は多分、このキャリアの長さからいうとまあ本当に数々のいろんな仕事をやってきたので
何を今更だと思うが、私はことごとく見逃しているので、朗読劇などでじっくり見せていただきたい。

あと特筆すべきは文章がうまい。
若いときからのブログの痕跡が残っているが、読み込んでしまう。
最近のSNSでも簡潔におもしろい。無駄なことを書いていないのにユーモアがある。
おそらくとても頭がいいんだろうと思う。
そしてそれと関連するのか、人との距離感がすばらしくよい気がする。
男性はもちろん、女性共演者とも自然な距離感で慕われている様子がよくわかる。
人生経験が同世代の1.8倍ぐらいあるのではないか。
職人かつ溢れ出る人間味。恐ろしいハイブリット機能の持ち主だ。このやろう、今後も見るしかない人ではないか。



ちなみに、毎回思うのだが、
このようにいきなり魅力に気づくとなぜ前回まで自分の視野に靄がかかっていたのか、
その時に戻って己を全力で張り倒したい気持ちになる。
ほんとうにまあ、このことについてはオタクの道を分け入り進めば進むほどに
毎度デジャヴのように起こる事象である。
「いきなり恋してしまったよ 夏の日の君に」(夏の日の1993)といったような
突然の助平丸出しになるよ。

しかし人生とは総じてそういうことなのかもしれず、実はほとんどのことには靄がかかっているのだろう。
今見えているものも、そのうちに靄がかかってしまうかもしれないのだ。
そして、視界だけではなくて記憶にもどんどん靄は立ち込める。
今見えているものも今感じて考えているものも、絶対にこれは重要だと思っているものも、
だいたい気づけばうっかり遠く、靄の中にある。
このまとめの段階に入って突然の文学的表現はなにゆえ、といった感じだが、
これは最近会社の引越しで重要書類をダンボールに詰めたら、蓋を開けないまま数ヶ月難なく乗り切ったことがあり、
「ああ、人間は見えないといらなくなるんだな」としみじみ思ったわけである。
そういうわけで、是非焦点があっているうちに、好きな自覚があるうちに、
むしろ意識のあるうちに、様々なものを見届けに行く必要がある。
見つけたその日が見に行くべき日ということであろう。

ということで、鯨井康介さん29歳のお誕生日おめでとうございます。

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