★Airplay for rhe Planet
(演奏:ジェイ・グレイドン)
1. Walk The Wire
2. She Just Can't Make Up Her Mind
3. History
4. After The Love Has Gone
5. Holdin' On To Love
6. One Way Or Another
7. Roxann
8. Show Me The Magic
9. You're Not Alone
10. When You Look In My Eyes
11. I Do
(2002年作品)
スマホに替えた。
画面を開くのにパスワードだのがかかり、電話もメールもカメラも性能はめちゃくちゃ上がったが5倍ぐらい時間がかかるようになった。
インターネットを使えるのはやはり便利(傘が要るかがすぐわかる)だが、カメラのピクセル数もウソみたいに大きいので簡単に写メなどできやしない・・・
「若いもんは流石にキカイには強い」ともてはやされた時代はどこへやら・・・
最新の技術を手に入れて、なにゆえ嘆き節しか出ないのか?
いや、ガラ携でぜんぜん問題ないのに、スマホでないとできないこと、それもごくまれにしかしないことのために替えざるを得なかったのだから、望んで進化したのではない・・・
他に選択肢がなかったので、簡便さ、利便性を捨てざるを得なかったのであるから泣くのは当然かもしれぬ。
どうせ使うなら便利に楽しく使いたいものだ・・・といいながら、見通しが暗いことはきっと少なからぬ方にご理解いただけるのではないか?
とはいえ・・・
同じ時期に使い始めた娘は、文句を言わずに・・・どころか嬉々として指捌きも鮮やかであるから、ぶーたれている私に非があることに気づかない私ではさすがにない。
口惜しい時代である。
しかし・・・
今でも職場など年長者がいる場所では相変わらず重宝されている・・・のも事実なのだ。
彼らのように、ハナから現代のテクノロジーは使えるやつにやらせればいいと割り切ってしまえば、私も悩まなくていい。
戦うべきところではないところで戦って、心をすり減らしているさまをわかっていながら対処できずにいるのは・・・・・・
やめよう。
こういう思考スパイラルは非常に精神衛生上よろしくない。
思えば、最近自分の中でブームとなっているこのジェイ・グレイドンの作品・・・
いわゆる「商業ロック」が昇華した大傑作だと今ではなんの迷うもなく信じられるのだが、当時はこれを傑作と思っても、そうと認めてしまう自分を許せない自分がいた。
ノーテンキすぎるのだ。
悩みも愁いもない・・・
よく比肩されるデヴィッド・フォスターは、独自のサウンドをプロデュースできる点でもちろんグレートであることを前々からわかっていたし、彼と組んだエアプレイは確かにエポック・メイキングな作品を残した。
でも、この計算されつくしたカッコつけのソロギターワークが印象的なギタリスト・プロデューサー・ソングライターその人の良さは・・・しばしば気になってはいたものの、非常に長い間わからないでいた。
それが、とうとう今に至ってそのよさを見出したのだ。(^^;)
フォスターの(グレイドンに比する相対的な)偉大さは、かかわったアーティストがすでに名を馳せている、あるいは見出した才能がプロモートもディストリビュートもある程度約束されていたせいか、人口に膾炙するケースがグレイドンより多かったに過ぎないことに起因するだけなのかもしれない。
フォスターその人のソロアルバムもクォリティは高いのは認めるが、もしかしたら凝縮度合・濃密さで言えばグレイドンのこのアルバムには及ばないのかもしれない・・・とさえ思えるほど、今頃になって気に入ってしまった。
以前はどこかで聴いた曲想が寄せ集められている気がした。
確かにグレイドンの中ではそれぞれの曲は慣れ親しんだ曲想のリイシュー・焼き直しだったかもしれないが、よくよく考えてみれば、彼はあらゆる局面で共作とはいえほとんどの作品のオリジネーターであったのだ。
このアルバム・・・TOTOにいたジョセフ・ウィリアムズやChicagoにも在籍したビル・チャンプリンが参加して素晴らしいパフォーマンスを披露しているのだが、それにもましてビル・カントス、ウォーレン・ウィービーといった我が国ではあまり知られることのないヴォーカリストが得難い味わいを出している。
フォスター人脈の知名度と華やかさに惑わされていたが、彼らとて実力は勝るとも劣らないことは聴けばわかる。
それどころか、実はフォスターとも親交がある人物もあり、故ウォーレン・ウィービーあたりは懐刀的な活躍をしていた・・・ことを後から知った。
これも本作品の値打ちを見直すひとつのきっかけであったことは確か。
このアルバムでの彼の声のパフォーマンスは、実は主役のギターソロより特筆されるべきだと思う。
ウォーレン・ウィービーはタイヘンな苦労人でしかも早世した。
ネアカでノーテンキで、一曲ごとのリズム・曲想は多彩だがどこか軽くて(故ジェフ・ポーカロあたりが生ドラムでたたいていたらどんなにリズムセクションが精気あふれるものになるかと思うと今もっていささか残念ではある。山下達郎さんにも似た周到さが却って精気を殺ぐのである)などという特徴は、当時のTOTOなどゴージャス仕様のアメリカンロックに対してあまねく抱いていたもっとも嫌悪していた要素である。
しかし、その裏には壮絶な人生を歩んだアーティストの献身的なパフォーマンスがあったと知れば、50歳を前にした自身の感性に訴えかけないはずはない。
こんなドラマを聴かないと虚心に耳を傾けられない・・・わけではないが、演奏者と聴き手の人生、すべてをひっくるめての作品鑑賞であるならば、この作品にとっても私にとっても、今の心境に至ったことはとってもラッキーだったといえよう。
故ウォーレン・ウィービーのほかに、先に触れたビル・カントスも本国では一家言あるアーティストのようである。
彼の最新作も耳にしたが、実はややテイストを異にするオリジナリティあふれる味わいを醸し出す注目すべき逸材だと感じた。
私の好みとはいささか違う・・・けれど。
当盤以外では、以前投稿したデヴィッド・ベノワとも親交あるデヴィッド・パックやマーック・ウィンクラー。
いずれも我が国ではあまり知られていないと思うが、彼らの最新作も同じように聴いて心が動かされた。
さらには、著名なベン・シドラン・J・D・サウザーなどもブランクはあれども健在で、自らの信じる音楽を奏でているのが心強い。
私より年長者が真に自分の好きな音楽を時流にかかわりなくクリエイトしているところに接するたびに、頭が下がる思いだ。
(期待の年長アーティストが鬼籍に入ったというニュースもしばしば聞かれるようになったことは大いにショックだ。)
もとより気に入る、気に入らないはあるのだが、少なくとも上に紹介したアーティストの作品に駄作はおろか、手抜きはない。
裏を返せば、品質のつたなさを感じさせる作品を世に問うているベテランもいるが・・・相手にしなければよいだけのこと。
さて、この作品・・・いろんな曲調があって他のアーティストの作品のパロディー的に思われるフシがあるとは先に書いた通り。
アース・ウインド&ファイアーで大ヒットした④はおくとして、ざっと思い当たるだけでもスティーリー・ダン(グレイドンはAja所収のPegで一世一代のソロを弾いているくらいだから、本質的な曲調は違っても影響をかんじるのはあたりまえか?)、TOTO、アル・ジャロウ、ボズ・スキャッグス、デヴィッド・ラズリー、クリストファー・クロス、REOスピードワゴン、スタイル・カウンシル、エトセトラエトセトラ・・・
この人たちの具体的な曲のある部分に似たところがあるのは事実で、彼らに書いた曲のデモかと思わせるところがやっぱり感じられるので、私が最初に聴いたときの感想とてあながち不当ではないと今もって思う。
なにはともあれ、ジェイ・グレイドンのいろんな意味での集大成であるこの作品は、あのころと今、構成するアーティストのそれぞれの旬を楽しませてくれる格好の好盤。
聴いている自分の来し方も思わずにいられない・・・風流の極みかもしれない。
(演奏:ジェイ・グレイドン)
1. Walk The Wire
2. She Just Can't Make Up Her Mind
3. History
4. After The Love Has Gone
5. Holdin' On To Love
6. One Way Or Another
7. Roxann
8. Show Me The Magic
9. You're Not Alone
10. When You Look In My Eyes
11. I Do
(2002年作品)
スマホに替えた。
画面を開くのにパスワードだのがかかり、電話もメールもカメラも性能はめちゃくちゃ上がったが5倍ぐらい時間がかかるようになった。
インターネットを使えるのはやはり便利(傘が要るかがすぐわかる)だが、カメラのピクセル数もウソみたいに大きいので簡単に写メなどできやしない・・・
「若いもんは流石にキカイには強い」ともてはやされた時代はどこへやら・・・
最新の技術を手に入れて、なにゆえ嘆き節しか出ないのか?
いや、ガラ携でぜんぜん問題ないのに、スマホでないとできないこと、それもごくまれにしかしないことのために替えざるを得なかったのだから、望んで進化したのではない・・・
他に選択肢がなかったので、簡便さ、利便性を捨てざるを得なかったのであるから泣くのは当然かもしれぬ。
どうせ使うなら便利に楽しく使いたいものだ・・・といいながら、見通しが暗いことはきっと少なからぬ方にご理解いただけるのではないか?
とはいえ・・・
同じ時期に使い始めた娘は、文句を言わずに・・・どころか嬉々として指捌きも鮮やかであるから、ぶーたれている私に非があることに気づかない私ではさすがにない。
口惜しい時代である。
しかし・・・
今でも職場など年長者がいる場所では相変わらず重宝されている・・・のも事実なのだ。
彼らのように、ハナから現代のテクノロジーは使えるやつにやらせればいいと割り切ってしまえば、私も悩まなくていい。
戦うべきところではないところで戦って、心をすり減らしているさまをわかっていながら対処できずにいるのは・・・・・・
やめよう。
こういう思考スパイラルは非常に精神衛生上よろしくない。
思えば、最近自分の中でブームとなっているこのジェイ・グレイドンの作品・・・
いわゆる「商業ロック」が昇華した大傑作だと今ではなんの迷うもなく信じられるのだが、当時はこれを傑作と思っても、そうと認めてしまう自分を許せない自分がいた。
ノーテンキすぎるのだ。
悩みも愁いもない・・・
よく比肩されるデヴィッド・フォスターは、独自のサウンドをプロデュースできる点でもちろんグレートであることを前々からわかっていたし、彼と組んだエアプレイは確かにエポック・メイキングな作品を残した。
でも、この計算されつくしたカッコつけのソロギターワークが印象的なギタリスト・プロデューサー・ソングライターその人の良さは・・・しばしば気になってはいたものの、非常に長い間わからないでいた。
それが、とうとう今に至ってそのよさを見出したのだ。(^^;)
フォスターの(グレイドンに比する相対的な)偉大さは、かかわったアーティストがすでに名を馳せている、あるいは見出した才能がプロモートもディストリビュートもある程度約束されていたせいか、人口に膾炙するケースがグレイドンより多かったに過ぎないことに起因するだけなのかもしれない。
フォスターその人のソロアルバムもクォリティは高いのは認めるが、もしかしたら凝縮度合・濃密さで言えばグレイドンのこのアルバムには及ばないのかもしれない・・・とさえ思えるほど、今頃になって気に入ってしまった。
以前はどこかで聴いた曲想が寄せ集められている気がした。
確かにグレイドンの中ではそれぞれの曲は慣れ親しんだ曲想のリイシュー・焼き直しだったかもしれないが、よくよく考えてみれば、彼はあらゆる局面で共作とはいえほとんどの作品のオリジネーターであったのだ。
このアルバム・・・TOTOにいたジョセフ・ウィリアムズやChicagoにも在籍したビル・チャンプリンが参加して素晴らしいパフォーマンスを披露しているのだが、それにもましてビル・カントス、ウォーレン・ウィービーといった我が国ではあまり知られることのないヴォーカリストが得難い味わいを出している。
フォスター人脈の知名度と華やかさに惑わされていたが、彼らとて実力は勝るとも劣らないことは聴けばわかる。
それどころか、実はフォスターとも親交がある人物もあり、故ウォーレン・ウィービーあたりは懐刀的な活躍をしていた・・・ことを後から知った。
これも本作品の値打ちを見直すひとつのきっかけであったことは確か。
このアルバムでの彼の声のパフォーマンスは、実は主役のギターソロより特筆されるべきだと思う。
ウォーレン・ウィービーはタイヘンな苦労人でしかも早世した。
ネアカでノーテンキで、一曲ごとのリズム・曲想は多彩だがどこか軽くて(故ジェフ・ポーカロあたりが生ドラムでたたいていたらどんなにリズムセクションが精気あふれるものになるかと思うと今もっていささか残念ではある。山下達郎さんにも似た周到さが却って精気を殺ぐのである)などという特徴は、当時のTOTOなどゴージャス仕様のアメリカンロックに対してあまねく抱いていたもっとも嫌悪していた要素である。
しかし、その裏には壮絶な人生を歩んだアーティストの献身的なパフォーマンスがあったと知れば、50歳を前にした自身の感性に訴えかけないはずはない。
こんなドラマを聴かないと虚心に耳を傾けられない・・・わけではないが、演奏者と聴き手の人生、すべてをひっくるめての作品鑑賞であるならば、この作品にとっても私にとっても、今の心境に至ったことはとってもラッキーだったといえよう。
故ウォーレン・ウィービーのほかに、先に触れたビル・カントスも本国では一家言あるアーティストのようである。
彼の最新作も耳にしたが、実はややテイストを異にするオリジナリティあふれる味わいを醸し出す注目すべき逸材だと感じた。
私の好みとはいささか違う・・・けれど。
当盤以外では、以前投稿したデヴィッド・ベノワとも親交あるデヴィッド・パックやマーック・ウィンクラー。
いずれも我が国ではあまり知られていないと思うが、彼らの最新作も同じように聴いて心が動かされた。
さらには、著名なベン・シドラン・J・D・サウザーなどもブランクはあれども健在で、自らの信じる音楽を奏でているのが心強い。
私より年長者が真に自分の好きな音楽を時流にかかわりなくクリエイトしているところに接するたびに、頭が下がる思いだ。
(期待の年長アーティストが鬼籍に入ったというニュースもしばしば聞かれるようになったことは大いにショックだ。)
もとより気に入る、気に入らないはあるのだが、少なくとも上に紹介したアーティストの作品に駄作はおろか、手抜きはない。
裏を返せば、品質のつたなさを感じさせる作品を世に問うているベテランもいるが・・・相手にしなければよいだけのこと。
さて、この作品・・・いろんな曲調があって他のアーティストの作品のパロディー的に思われるフシがあるとは先に書いた通り。
アース・ウインド&ファイアーで大ヒットした④はおくとして、ざっと思い当たるだけでもスティーリー・ダン(グレイドンはAja所収のPegで一世一代のソロを弾いているくらいだから、本質的な曲調は違っても影響をかんじるのはあたりまえか?)、TOTO、アル・ジャロウ、ボズ・スキャッグス、デヴィッド・ラズリー、クリストファー・クロス、REOスピードワゴン、スタイル・カウンシル、エトセトラエトセトラ・・・
この人たちの具体的な曲のある部分に似たところがあるのは事実で、彼らに書いた曲のデモかと思わせるところがやっぱり感じられるので、私が最初に聴いたときの感想とてあながち不当ではないと今もって思う。
なにはともあれ、ジェイ・グレイドンのいろんな意味での集大成であるこの作品は、あのころと今、構成するアーティストのそれぞれの旬を楽しませてくれる格好の好盤。
聴いている自分の来し方も思わずにいられない・・・風流の極みかもしれない。