町の文化祭と、趣味の会での定期発表会が終わると、謡曲は次の練習曲に移行する。
12月の初めにその発表会が終わり、来年の6月の発表会まで月に3回の練習が続く。
今度の曲は「西行桜」・・・かなり難しい曲だ。
「西行桜」・・・世阿弥の作といわれている。
各所の桜の名所を求めて花見に回っている京都の下京邊の人達が西山の西行の庵室に花見に訪れる。
独り静かに眺め暮らそうとする西行であったが人々を断ることも出来ず招き入れ、その心境を「花見んと群れつつ人の来るのみぞあたら桜のとがにはありける」と詠ずる。
その夜更けに桜の老木の精である老人が現れ、人々か大勢やってくるのはここにある桜のせいだ、桜に科があると貴方は仰せられるが桜に浮世の科はないと弁解する。
そして花の名所を語り、大いに舞って春の夜を楽しむが、夜明けが近づくと西行の夢は覚め、翁の姿は跡形もなくなる。
中国や日本の古話によくある、泡沫の夢とか一睡の夢とかいうパターンを使った作品である。
西行は昨年の低視聴率で話題の大河ドラマ「平清盛」の中で、武士としての地位や妻子を振り切り捨てて出家してしまう役どころだった。
ただ西行の詠んだ歌で印象深いのは「願わくば花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」という一首である。
如何にも西行にふさわしい歌のように思えるし、これから練習する「西行桜」も来春の桜の下で少しは謡えるようになっておいて、出来れば独り謡ってみたいなと思う曲である。