アグリッパは中世ヨーロッパの代表的な魔術師の一人である。
本名、ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ・フォン・ネッテスハイム。1486年、ドイツのケルンで生まれたアグリッパは、青年期にはケルン大学で医学や哲学などあらゆる学問を学び、8か国語を操ることができたと云う。その中で、イタリアの人文学者ピコ・デラ・ミランドラの思想に感化され、カバラの研究を始める。
大学卒業後は、神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン1世の宮廷秘書官となり、フランスへ派遣される。アグリッパはそこで様々な学者や研究者と交流し、更に多くの知識を吸収して行った。
ところが、ドール大学で聖書学の講義を行なった際に、アグリッパはカバラ主義に寄った言説を支持し、カトリックの権化とも言えるフランシスコ修道会の猛反発を受けてしまう。この件が元で、彼はフランスを立ち去ることを余儀なくされる。
彼は非常に論争好きな性格であったらしい。その性格が災いしてか、あちこちでトラブルを起こしては追い出され、各地を転々とした。
ある村では、魔女裁判にかけられた農家の娘を助ける為、審問官をその弁舌で論破した。その後、審問官が属していたドミニコ修道会に攻撃されることとなり、やはりその地にも長く留まることはできなかったと云う。
各国を渡り歩く中で、彼が読んだ書物の量は膨大なものであった。
加えて、多数の学者との交流で積み重ねた知識により、彼は『隠秘(オカルト)哲学』を刊行する。
同書はアグリッパが師と仰いだドイツの隠秘学者トリテミウスから継承したかバラ魔術の理論を基本とし、百科全書的に彼の魔術思想がまとめられたものだ。その内容は、「自然魔術」「数学的魔術」「儀式魔術」の3部に分けて構成されている。
それまでのキリスト教的なカバラだけでなく、ユダヤ教カバラやヘルメス思想、数秘術なども取り込んだ大書は、当時の魔術全書の集大成と云うべきものだった。
こうしてアグリッパは「オカルティズムの巨匠」として、後世の研究者たちに多大な影響を与える存在となった。しかし一方で、彼は怪しげな黒魔術師としての一面を持っていたことも語られている。
アグリッパがベルギーに住んでいた頃、彼の家に下宿していた若者が、興味本位で書斎にあった魔導書(グリモワール)を声に出して読み上げた。
すると、その呼び出しに応じる様に悪魔が現れ、驚き立ちすくんでいる若者の首を絞めて殺してしまった。困ったアグリッパは、何と魔術で死体を操り、若者が町の広場で死んだ様に見せかけたと云う。
このエピソードの他にも、古代ローマの政治思想家キケロの霊を呼び出して使役していたなど、様々な魔術行為を行なったことが伝説的に伝えられているのだ。そうした言い伝えの中で共通するのは、彼がいつも大きな黒犬を従えていたことだ。実は、この無気味な黒犬は黒魔術の使い魔であり、
アグリッパの死の直前まで、彼に忠実に付き従っていたという。
魔術理論を極めたオカルティストらしい逸話と謂えるだろう。
世界と日本の怪人物FILE