
バスティーユ牢獄襲撃の様子。
「悪政の象徴」の呼び名とは裏腹に、食事は豪華で衣服も自由、遊戯室まで完備されていた。
「悪政の象徴」の呼び名とは裏腹に、食事は豪華で衣服も自由、遊戯室まで完備されていた。
1789年、圧制の象徴と言われたバスティーユ牢獄が襲撃されると、
それに続いて全国で農民が蜂起し、特権階級である貴族への攻撃が始まった。
市民層の政治参加の道を切り開いたフランス革命の始まりである。
革命のキッカケになったぐらいだから、きっと大勢の政治犯が収容されていたのだろうと思ってしまうが、
この牢獄に収容されていたのはたったの7人で、政治犯は1人もいなかった。
しかも中には精神疾患でほとんど口も利けない者も含まれており、市民が思っていた様な人物は見当たらなかった。
民衆たちは肩透かしを食らったわけだが、襲撃事件は国王のルイ16世を驚愕させた。
彼は政策の変更で何とか融和を図ろうとしたが、この遅過ぎる方向転換が民衆の支持を集めるわけもなく、
結局は革命側に処刑されることとなった。
結局は革命側に処刑されることとなった。
教科書も間違っていた 歴史常識のウソ
戦乱と歴史のウソ