秦の始皇帝が死んだ後、暗愚な二世皇帝を擁して、絶大な権力を振るったのは宦官の趙高という人物であった。出身が出身だけに、趙高は群臣が果たして自分に従順であるかどうか、心配になって来たらしい。彼は群臣の従順度を試す試験紙に鹿を使った。二世皇帝に鹿を献上して、「馬で御座います」と言ったのである。
馬か鹿か分からない人間を、この故事によって「馬鹿」と呼ぶようになったとする説があるが、それは間違いだ。中国では日本でいう意味の「馬鹿」という言葉は、かつて使われたことがない。
日本語の「馬鹿」は、僧侶の隠語から出たと言われる。
その人或いはその人の家族や関係者の前では「愚か者」とは言えない。
そこで梵語のmoha または mahallakaからバカの音をとったのが真相のようである。
- 陳舜臣 (弥縫録) -