太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

生きる意味

2024-07-10 09:34:06 | 日記
日本人の友人と、ランチを共にした。
私と同い年の友人はシングルマザーで、一人娘は大学を卒業して23歳になっている。
長年の持病である腰痛は、慢性的に痛む。
首の骨がズレて起こる手指の痺れも、2月に日本まで行って受けた手術の甲斐もなく、状況は変わらず。
できることはすべてやり、腰はリスクの高い外科手術しかなく、首は別の場所を切ってみるしかない。
そんなところへ、通勤途中にピットブルに襲われてケガ。
彼女は相当に落ち込んだ。

「私の生きる意味って、なんだろう」

同い年ながら、彼女は常に姉のように私の前を歩き、
私は彼女の明るさやバイタリティがまぶしく、いつも頼り、励まされてきた。
明るい調子で、彼女がそう言ったとき、私はすぐに返す言葉がみつからなかった。

彼女の日本の友人に、乳がんが再発した人がいるのだという。
幸い発見が早く、転移もしていないので治るといわれている。それでも辛い治療はせねばならない。

「わかってる、私の場合は命までとられるわけじゃない。でもその時、すごく気持ちが弱ってて、その人に愚痴をこぼしたの。
そうしたら、『わかるよ、私も同じ気持ち。だけど今は、生きるために生きよう、って思ってるよ』と言ったんよ」

離婚して、子育てに必死になって、さあこれから旅行したりできるはずが、体がうまく動かない。
長くは歩けないし、またいつ、2年前のように寝返りも打てないほどの激痛に襲われるかわからない。
彼女の気持ちに寄り添えば、きれいごとの慰めなど言えない。
私にも、あった。

離婚したあと、若い相手との恋愛にすがりつき、結婚だけを夢見てみじめな関係に耐え続けた2年後に、バカみたいに振られてしまったとき。
ひとりには広すぎるアパートで、生まれて初めてたった一人で、灯りを落とした部屋で、音を消した紅白歌合戦をみていた。
12時とともに、港で一斉に霧笛が鳴った。
それは私が初めて感じた、孤独、のようなものだったと思う。
実家にいけば家族がおり、仕事があり、友達がいる。
不幸ではないが、私はそのとき42歳で、私が欲しい幸せなど、この先私に起こらないように思われた。
「私の生きる意味ってなんだろう」
そんな気持ちになった。
同じ空の下のどこかで、別れた夫も同じように孤独な大晦日を過ごしているのだろうと、ちょっとだけ思った。


子供がいる人は、子育てをしている間はそれが生きる意味になりやすいし、子供がいくつになっても、彼らを見守ることが生きる意味になるかもしれない。
友人が、ふと生きる意味について考えてしまったのは、子育てが終わって自分と向き合ったから。
でも、子供がいない私は、今まで何のために生きてきたのだろうか、生きるとはなんだろうと思うとき、出てきた答えがある。


人生には、季節がある。
良い季節はルンルンで、厳しい季節にはすべてが重く暗くみえる。
現れた跳び箱を飛び、開かないドアを諦めて、開くドアを開け、降って来た答案用紙に答えを書き、
人生とは障害物競走、まるで『風雲 たけし城』なのではないか。(知らない人はググってみてね。アメリカでもコピーができるほどの人気番組)


結局、この宇宙には自分だけ。
自分をどれだけ幸せにできるかの、一人だけのレース。
自分がどう生きたかは、自分が何をどう思い、どう行動したか、それに尽きる。
あの時、跳べなかった跳び箱が跳べた、あの時とは違う答えを書いたらすんなりいった、自分の来た道を振り返り、昨日の自分よりも成長しているか確認するの繰り返し。

だから、自分以外のものに生きる意味を持たせてしまうと、それがなくなったときに途方に暮れる。






厳しい季節にいた夫が荒れて、私は日本に帰ろうかとチラリと思っていたとき、

「ごめんね。僕は良い人間になりたいといつも思っているのに、うまくいかないんだ・・・いつもがっかりさせて、ごめんなさい」

夫がそう言った。
この人は自分の人生を生きていて、私はそれを見せられながら私の人生を生きている。
2人の人生はどこも交差しておらず、ただ、相手に映った自分を見ているだけ。

「まだ生きてるってことは、生きる意味があるということやんねー。
あるものに感謝して、生きるために生きよう、それでええやん」

そう言って友人が笑った。
生きる意味など、あってもなくてもどうでもいい。




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