石巻白梅ししの会便り

石巻のためにできることを一緒にしようね!!

気仙沼 文化財レスキューの活動

2013年09月14日 | 活動

 今回は、どんぐりさんからのレポートをお送りします。

以下、どんぐりさんのレポートです。(上写真も) 


 

 どんぐりです。きょうは私の歴博リポートです。

 きのう、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館に行ってきました。何を見にいったかというと、今年の3月から展示されていた「東日本大震災と気仙沼の生活文化」でした。9月23日までだったので、どうやら間に合いました。

 

 津波被災で流された気仙沼小々汐(こごしお)の尾形家が、文化財レスキューで復元されたというのを見に行ったのです。

 尾形家は、ご先祖が網元だったとのことで、被災前は1810年築の堂々たる藁ぶき屋根の古民家で、網野善彦著の『古文書返却の旅』にも載っている、貴重な古文書がたくさん残っていたお宅です。歴博は、2008年から尾形家について調査をさせていただいていたとのことで、今回の文化財レスキューも率先して取り組まれたようです。レスキューの様子、レスキューされた物の一部を見てきました。

 前掲書に気仙沼の他の網元のことも出てくるのですが、石巻の歴史の中に、そういう網元が出てこないのを不思議に思っていましたが、ついこの間、ある方に教えていただき、はたと気が付きました。

 今でこそ漁港として気仙沼と石巻は同じように並び称されるのですが、成り立ちが違うと。

石巻は伊達政宗によって米の積み出し港として造られ、発達してきた町なんだと。漁港としての発展は、交通網の発達によって、船での輸送の需要がなくなってからでした。

 

                            (写真いずれも国立歴史民俗博物館パンフより)


 

どんぐりさん、レポートありがとうございました。

今は、どのくらい修復されたのでしょうか?一人ひとりの丁寧な手作業の積み重ねによる修復は、みなさんの文化に対する思いの結晶と言えますね。

 経済的価値だけでなく、文化的価値にも目を向けていきたいものだと思いました。

 

 

 

 


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2 コメント

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どんぐりさんありがとう! (クローバー)
2013-09-20 14:41:34
 気仙沼と石巻の港の成り立ちの違い、しりませんでした
文化財レスキューの取り組みのリポートも新鮮でした
失われた文化財の復元、とても大変なことですが貴重なご支援ですね
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クロバーさん、こんにちは。 (どんぐり)
2013-09-22 17:13:55
クローバーさん、こんにちは。
私も石巻について、いろいろ考えたり、歴史について知ったのは津波後でした。
石巻の文化財のレスキューをされた方々も知り、頭の下がる思いです。感謝、感謝です。 
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