ほとんど手をかけていなかったシンピジュームの鉢に花芽が出ていた。
人目に触れない場所に追いやられて久しい。
忘れていても、毎年、律儀に花芽をつける。
忘れる方があちらにとっては好都合なのかもしれない。
人が「飼う」とか「育てる」といっても「生きる」のはあちら。
手助けも、かえってあちらには迷惑なことがある。
人との付き合いでも同じことを思う。
「相手の立場になって」というけれど、そんなに簡単になれるものでもない。
座席を譲ることだけでも、どうしたものかと悩む。
お土産も、あちらの気持ちを考えると決められない。
身の回りの あちら は、いつも未知の世界にある。