自然のシャワーを浴びながら:パート2

定年後の主人と晴歩雨読の日々。同じタイトルのニフティのブログ の続きです。

帰国

2019-09-29 | 海外旅行
ワルシャワ空港で待ち時間にI夫人と記念写真撮影。
あっという間の正味6日間の東欧旅行だった。
3日目のリトアニアのシャウレイで十字架の丘へ行った際に、Gパンの裾を濡らしてしまって引いた風邪を持ち帰ってしまった。
ワルシャワ空港を飛び立ってしばらくしてから上空から。
今回の旅を振り返る暇もなく、帰路もずっと寝ないで映画を観ていた。
ひょっとして往きも帰りも30時間くらいぶっ通しで起きていたかも。
バルト三国はそれぞれ自国の言語を話し、中世の街並みを保存しつつ、暖かく観光客を迎え入れてくれていると感じた。
それに3カ国共にユーロだったから買物もしやすかった。
食事もリトアニアはポーランドに近いからポーランド料理の影響を受けているようで、エストニアはフィンランドに近いからフィンランド料理に近いかも。
機内食も美味しかった。

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ポーランドとバルト三国の旅ー7日目

2019-09-29 | 海外旅行
いよいよ8日間の旅の最終日となった。
ホテル出発前にもう一度旧市街へと足を運んだ。
というのも昨日夕食後旧市街のライトアップを見に行くつもりだったが、午後4時頃まで石畳を歩いて思いの外、足裏が疲れて行かなかったから。
フライトの関係で朝7時にホテル出発の為、またまたサンドイッチなどの朝食。
いよいよお別れのタリンの空港からも、タラップ利用で機内へ。
ところが私たちが乗る飛行機がまだ到着していなくて、結局1時間半遅れで出発した。
空港に木でできたラケット(ラバーなし)が置いてあって、卓球ができるようになっていた。
始めは相棒とやっていたが、見ていた若いパキスタン女性がやりたいと言ってきて……。
バルト海に面したエストニアのタリンから一路、海外訪問国55か国目のポーランドのワルシャワに入国。
ワルシャワのショパン空港に着いた時、遅れて到着したものだから、果たして観光できる時間があるか心配だった。
何とすっかり忘れていたが、ワルシャワはバルト三国と1時間の時差があったから、12時到着でもまだワルシャワにでは11時だった。
というわけで乗り継ぎ時間を利用して、バスに乗り込んで観光へ。

ワルシャワ歴史地区も中世の街並みが忠実に復元されていた。
ユネスコ文化遺産に登録されている旧市街は、復元された世界文化遺産の都市。
14~19世紀には北のパリとも言われた美しい町並みだったそうだが、戦争で跡形もなく焼けてしまったそうだ。
駆け足での散策40分しかなかったけど、文化科学宮殿や昔の宮殿を見て廻った。
私たちがミュンヘンに住んでいた1976年より数年前、I夫妻は4、5年ワルシャワに住んでいらしたので、きっと懐かしく感じられたのでは。

私たちが降り立ったショパン空港はもちろんかの有名なピアニストであり作曲家のショパンから。
日本との国交100年の記念すべき年が来年であり、ショパンコンクールが開催される年でもあり。

有名なポーランド人というと、ニコラス・コペルニクスやキュリー夫人、ヨハネ・パウロ二世など。
ポーランドの首都ワルシャワの名前の由来は、ワルツ+サワという童話からとは日本語ペラペラのポーランド人女性ガイドの話。
王宮広場は観光シーズンでもあり、多くの観光客が来ていた。

お土産物やというとバルト三国同様に琥珀のショップが多かったし、オランダのデルフトブルーのような色使いの陶器もあった。
ワルシャワの街で素敵な看板を掲げた店が目に付いた。     

王宮広場から人魚姫広場へと歩いたが、バルト三国は建物の色がパステルカラーだったけど、ポーランドの建物は色が濃くて、色合いロシア的だと感じた。
これらの建造物は14世紀のものが第二次世界大戦で壊滅して、同じように立て直しされたものだ。     

人魚姫広場の中心の人魚姫を角度を変えて3枚撮ってみました。
            

観光用の馬車もあった。
やっぱりワルシャワ王宮が一番インパクトがあったので、帰りにもう1枚パチリ。
王宮広場から見る景色も1枚。
あたふたとバスの乗り込んでワルシャワ空港へ、そして機上の人となった。

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ポーランドとバルト三国の旅ー6日目午後:タリン旧市街散策

2019-09-29 | 海外旅行
解散後腹ごしらえが優先というわけで、I夫妻と旧市庁舎周辺がレストランが多かったと思いだし、探しに向かった。
旧市庁舎のある広場・ラエコヤ広場からは四方八方に道が伸びていて、あちこちの観光名所につながっているが故に、方向音痴の私はとにかくレストランらしき建物を見つけながら歩いた。
やっとドイツレストランで折り合いがついて入った。
相棒はオクトーバーフェストという料理をオーダーしたら、ドイツにいた頃よく食べたアイスバインという料理だった。
豚のすね肉がドーンと来てあまりのボリュームにビックリだった。
私たち残りの3人もボリュームある肉料理とドイツビールのランチを楽しんだ。

解散後再び聖ニコラス教会へやってきた。
死の恐怖を描いた「死の踊り」があり、ガイドブックには必見と書いてあったが。     
教会周辺は花もきれいでお天気もよく快適な午後となったが、ちょっとビールを飲み過ぎて眠くなって……。
路地という路地がどこも絵になる光景で、写真撮りまくりだった。

再び城壁のある場所へ。
城壁の上を歩くだけでよかったけど、10ユーロで博物館とセットになっていた。
城壁の上に上がったらこんな洒落た感じになっていて、椅子に座って旧市街の景色が見れた。
上からみるタリンの街並みはドイツのローテンブルクみたいに、赤レンガの家々と教会が印象的だった。
博物館はキーク・イン・デ・ショク要塞博物館だった。
旧市街のケh式を楽しみながら町の城壁に沿って歩いて行ったら、要塞の建物の中にいろんなものが展示されていた。
タリンの街並みの模型を見て、町の様子や位置関係が手に取るように分かった。

再びラエコヤ広場の旧市庁舎前を通ってウィル門を目指した。
途中のヘッレマン塔付近ではお土産物屋さんが並んでいた。
タリンの城壁に沿ってウィル門に辿り着いた。
花屋さんとかが軒を並べていた。
朝入場したスール・ランナ門に戻って来て、顔の表情が可愛らしいふとっちょマルガリータとまたご対面。

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ポーランドとバルト三国の旅ー6日目:エストニアのタリン

2019-09-29 | 海外旅行
タリンとはデンマーク人の城という意味のターニ・リンが縮まってできた地名だ。
13世紀にデンマーク王が十字軍と共に侵攻し、タリンにトームペア城を築いた史実がタリンの名前の由来だそう。

3カ国共に旧市街には当時を偲ばせる中世の雰囲気が残っていたが、タリンは特におとぎの国と称される。
なので「生きた博物館」とも呼ばれていて、わずか2,5mの城壁に囲まれた旧市街に見所が集中していた。
先に2枚の写真を載せたのは15世紀建物群の中で、タリンの顔ともいえる景色だと思うから。
共に城壁の上の小窓から撮影したもの。

9月まではベストシーズンのはずなのに、なぜか今朝も雨で13度と肌寒かった。
ホテルで食事できるラストチャンスだったから、今朝も大盛りで。
ホテルから一番近いふとっちょマルガリータから、8時にはタリンの旧市街の観光開始。
若いがゆえに結構たどたどしい日本を話すガイドのお兄さんと。
バスから下車して歩いていたら、風雨に加えて雷までゴロゴロ鳴りだして、今日は1日どうなることやら‥‥と。

タリンは位置的にバルト海のフィンランド湾に臨む港町。
なので「バルトの窓」とも称され、貿易の要衝として栄えて来た町。
建物の多くは14~15世紀のもので、散策をすればするほど中世の佇まいを色濃く残しているのが分かった。

ラトビアのリガには三人兄弟という3つの建物があったが、エストニアのタリンには三人姉妹という建物があった。
15世紀の商人の館の3連の建物。
内部は改装されて一続きになっていて、ホテルやカフェとして利用されていた。

タリンの街並みの中で異彩を放っていたのが、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂だった。
エストニアを支配していた帝政ロシアが建てたロシア正教会。
トーンペアの丘の上にあるカラフルで玉ネギ状のドームを持つ教会で、際立って目立った。
この頃には雨があがってラッキーだった。

石畳の坂道を上がって行ったら、トーンペア城に着いた。
海抜50mの崖の上に建っている城で、「のっぽのヘルマン」という高さ50,2mの塔があった。
これは20個あった防衛塔のひとつという。
今日の午後はオプショナルツアーに参加せずフリータイムにしたので、城壁に上がったりして展望を楽しむ予定にしていた。


聖母マリア大聖堂はタリン最古の教会で、外観はゴシック様式で中はバロック様式だとか。

トーンペア城からの景色は時々青空も見られて抜群に良かった。
旧市街が一望のもとで、これぞタリンの街並みという感じだった。
中世の街並みに合わせるかのように、モデル気取りのカモメがポーズをとって撮ってくれと。
別の鳥も撮ってとばかりにタリンの美しい景色に被ってきた。
遠くにバルト海が見えていて、カモメがいたのもなるほどと頷けた。

トーンペア城からは石畳のくねくねした狭い路地を下ったりして、地図が読めない私としてはどこをどう歩いているのか?
再びトーンペア城とヘルマン塔が見える場所に下りて来た。   
さらに欧米人に加えてタリンは中国人団体と観光人団体が多かったので、間違えて別のグループの方へ行ったりなんて……。
この城塞付近は特に各国の観光客が集まってきていて、いろんな言語が飛び交い賑やかだった。
午後からの下見のつもりで、でもここからは城塞には登れず。

若いガイドのお兄さんはどんどん先を急いでいて、
くねくねの狭い石畳をラエコヤ広場まで下りてこれは聖ニコラス教会。
船乗りと商人の守護神・ニコラスに捧げた教会だそう。

いよいよ町の中心地・ラエコヤ広場にやってきた。
当然メインの600年以上たつ中世の貴重な旧市庁舎があった。
旧市庁舎に面する広場は以前は祝いの場や処刑場として使われていたそうだ。

旧市庁舎のすぐ近くに古い薬局があったが、この中は観光客でごった返していた。
なんでかというと、1422年のオープン以来今日まで存続しているメチャクチャ古い薬局だから。
こんな古臭い薬局に未だにお客さんが次々と、薬を買い求めに来ていたのも驚きだった。

同じくラエコヤ広場には14世紀に建てられた聖霊教会があった。
教会の外壁に取り付けられている時計は、17世紀にさかのぼるタリンで最も古い公共時計だそう。
正午頃ラエコヤ広場で解散となった。





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彼岸花

2019-09-29 | 花物語
以前はヒガンバナというと高麗の巾着田に見に行っていた。
でも人が多くて人を見に行くようで、最近はずっと地元の多摩川沿いの土手に行くようになった。
今年はまだ蕾が多くて満開にはなっていなかったけど、緑の中の赤いヒガンバナはキレイだった。
知る人ぞ知る場所なので来る人は多くないし、斜面いっぱいに咲くさまは見事でお気に入りの場所だ。
ちょうど稲刈り前でカカシが可愛いらしくて、バックの山が私がよく登っている235mの丘のような浅間岳。
ここらは春には一面のチューリップ畑になるところ。
ついでに浅間岳にも登ってきたが、登山道に入ったらすぐにヒガンバナが目に付いた。
海外旅行などで2週間ぶりだったが、すっかり主役がキノコからヒガンバナに変わっていた。
山頂までの至る所にポツンポツンと咲いていた。
福生方面には美しい竹林もあり、小作方面には栗の木もあって、意外と変化に富んでいる。
ほとんど姿を消したキノコだけど今日のキノコはこれ。
1年を通して浅間岳の自然を観察して行こう
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