タリンとはデンマーク人の城という意味のターニ・リンが縮まってできた地名だ。
13世紀にデンマーク王が十字軍と共に侵攻し、タリンにトームペア城を築いた史実がタリンの名前の由来だそう。
3カ国共に旧市街には当時を偲ばせる中世の雰囲気が残っていたが、タリンは特におとぎの国と称される。
なので「生きた博物館」とも呼ばれていて、わずか2,5mの城壁に囲まれた旧市街に見所が集中していた。
先に2枚の写真を載せたのは15世紀建物群の中で、タリンの顔ともいえる景色だと思うから。
共に城壁の上の小窓から撮影したもの。
9月まではベストシーズンのはずなのに、なぜか今朝も雨で13度と肌寒かった。
ホテルで食事できるラストチャンスだったから、今朝も大盛りで。
ホテルから一番近いふとっちょマルガリータから、8時にはタリンの旧市街の観光開始。
若いがゆえに結構たどたどしい日本を話すガイドのお兄さんと。
バスから下車して歩いていたら、風雨に加えて雷までゴロゴロ鳴りだして、今日は1日どうなることやら‥‥と。
タリンは位置的にバルト海のフィンランド湾に臨む港町。
なので「バルトの窓」とも称され、貿易の要衝として栄えて来た町。
建物の多くは14~15世紀のもので、散策をすればするほど中世の佇まいを色濃く残しているのが分かった。
ラトビアのリガには三人兄弟という3つの建物があったが、エストニアのタリンには三人姉妹という建物があった。
15世紀の商人の館の3連の建物。
内部は改装されて一続きになっていて、ホテルやカフェとして利用されていた。
タリンの街並みの中で異彩を放っていたのが、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂だった。
エストニアを支配していた帝政ロシアが建てたロシア正教会。
トーンペアの丘の上にあるカラフルで玉ネギ状のドームを持つ教会で、際立って目立った。
この頃には雨があがってラッキーだった。
石畳の坂道を上がって行ったら、トーンペア城に着いた。
海抜50mの崖の上に建っている城で、「のっぽのヘルマン」という高さ50,2mの塔があった。
これは20個あった防衛塔のひとつという。
今日の午後はオプショナルツアーに参加せずフリータイムにしたので、城壁に上がったりして展望を楽しむ予定にしていた。
聖母マリア大聖堂はタリン最古の教会で、外観はゴシック様式で中はバロック様式だとか。
トーンペア城からの景色は時々青空も見られて抜群に良かった。
旧市街が一望のもとで、これぞタリンの街並みという感じだった。
中世の街並みに合わせるかのように、モデル気取りのカモメがポーズをとって撮ってくれと。
別の鳥も撮ってとばかりにタリンの美しい景色に被ってきた。
遠くにバルト海が見えていて、カモメがいたのもなるほどと頷けた。
トーンペア城からは石畳のくねくねした狭い路地を下ったりして、地図が読めない私としてはどこをどう歩いているのか?
再びトーンペア城とヘルマン塔が見える場所に下りて来た。
さらに欧米人に加えてタリンは中国人団体と観光人団体が多かったので、間違えて別のグループの方へ行ったりなんて……。
この城塞付近は特に各国の観光客が集まってきていて、いろんな言語が飛び交い賑やかだった。
午後からの下見のつもりで、でもここからは城塞には登れず。
若いガイドのお兄さんはどんどん先を急いでいて、
くねくねの狭い石畳をラエコヤ広場まで下りて
これは聖ニコラス教会。
船乗りと商人の守護神・ニコラスに捧げた教会だそう。
いよいよ町の中心地・ラエコヤ広場にやってきた。
当然メインの600年以上たつ中世の貴重な旧市庁舎があった。
旧市庁舎に面する広場は以前は祝いの場や処刑場として使われていたそうだ。
旧市庁舎のすぐ近くに古い薬局があったが、この中は観光客でごった返していた。
なんでかというと、1422年のオープン以来今日まで存続しているメチャクチャ古い薬局だから。
こんな古臭い薬局に未だにお客さんが次々と、薬を買い求めに来ていたのも驚きだった。
同じくラエコヤ広場には14世紀に建てられた聖霊教会があった。
教会の外壁に取り付けられている時計は、17世紀にさかのぼるタリンで最も古い公共時計だそう。
正午頃ラエコヤ広場で解散となった。