EKKEN♂

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傷舐めあってますかーッ! 僕の・私の不幸自慢!

2004-06-24 | 雑記いろいろ
 自分のこぉんな不幸やあぁんな不幸、是非とも虎を送ってくんなまし。
・・・・・・そんな自慢すんなよ、と言うことで、全く盛り上がらない記事だと思いますが。
 いいんだ、聞きたいんだ。みんなの不幸自慢。
 人の不幸を聞いて、自分が幸せものだったと、再確認するんだッ!

 小学校のとき、図工の時間で、その日は水彩画を描いていたらしいです。
 筆洗い用の水を取り替えるために、水飲み場に行ったらしい僕は、誰かが廊下にこぼした水で足を滑らせたらしく、頭から転倒したらしいです。
 らしいがしつこいです。
 賢明な方はお気づきのことと思いますが、「らしい」しか書けないのです。
 だって、記憶を無くしているんだもん。
 珍しいでしょう、酒の飲みすぎ以外の記憶喪失経験者。
 一時的記憶喪失症というやつで、その日一日の学校での記憶がすっぽり抜けているんです。
 これはなかなか貴重な体験ですよ。

 最近、今までの人生をすべて忘れ去りたいと思ってます。
 学校の水飲み場にでも行ってみようかしら。


I STAND HERE FOR YOU

2004-06-24 | 雑記いろいろ
ゆうのありえない日々のゆうさんは、コメント欄でのきゃぴきゃぴぶりからは信じられないほど、繊細で、blogに対して持つ姿勢がしっかりしている人だ。
先日、単にお仕事が忙しいことと、体調を崩しただけなのに、寄せられたコメントに返事が書けないことをお詫びする記事が書かれていたのだけど、そこに寄せられたコメントの多くは、無理をするな、という意味のものでした。それに対して、彼女は返事を書くことで自分が楽しいから、そのスタンスを変えるつもりはないとのこと。
苦痛を感じてまで続ける必要はないというのというのが、僕のblogに対する考えなので、彼女自身が楽しいと感じているのならば、是非とも続けてもらいたいものです。
ただ、彼女は仕事もblogもがんばりすぎです。そうでなくても身体を壊しているのに、この人はいったいいつ寝ているんだろう、と思うくらいに、活躍されています。
Peaky Speakyのはっしゅさんも言っているように「思いつくまま、だらりだらりと」の気持ちを忘れないでほしいです。
さて、今回書きたかったのは、実はゆうさんへのエールではありません。
ゆうさんの記事に寄せられたコメントについてです。
あのね、BLOG始める前はBLOGなんかで
意見晒しちゃったらボコボコにされるって思ってた。
世間は甘くないんだぞって思い知ると思ってた。
今は、みんな優しいんだなって思う。
しあわせだよね。

にゅきログのにゅきみさん
「いんたあねっと」って確かに面白い反面、怖い部分もあります。
ただ、軽い気持ちで書き込んだ内容が、その人にとって非常に不愉快であれば、容赦なく叩き潰す。
本来なら、それをもって成長できればいいかなって思うんですけどね。

正直者がバカを見るのtrueさん
これらを読んで、僕はblogにおけるblogger同士の「優しさ」ってなんだろう、と思いました。
にゅきみさんは、現在goo BLOGで活躍されているbloggerの中でも、かなり早くからblogをはじめている人の一人です。その独特なblogタイトルと、年齢性別不詳系な文体から、僕はかなり早くから彼のblogを知っていたのですが、中身の多くが映画の感想だったことから、映画に興味のない僕はコメントを残すことはしていませんでした。3月の終わりでしたか、それまで当り障りのない記事ばかり書いてきた彼が、イラクにおいて邦人3人の拘束事件が起きたときに、彼は「戦争反対」を訴えました。その記事に寄せられた最初のコメントにおいて、にゅきみさんの考えとは異なる、ちょっと乱暴な言葉遣いのものがありましたが、にゅきみさんは誠意を持ってそのコメントに対応していたと思います。
僕自身、にゅきみさんのその記事には賛同していないのですが、彼の信念が感じられる内容の良いものだと思いました。世間は甘くないんだぞっというのが、このような反対意見を寄せられることを指しているのか否かはわからないのですが、もし、そうだとしたら、僕は彼の今回の彼の考えにも賛同は出来ない。
このblogで何度も書いたことがあるのですが、僕はblogを「優れた意見交換ツール」として捉えている。そして、仲が良いから・友達だから、相手の意見を肯定するというのは、決して優しさだとは思っていない。
相手に気に入られたいから、自分を殺すということは、僕は出来ない。
自分の嫌なところを含めて、自分を好きになってくれるのでなければ、付き合い続けることは出来ない。
僕が好きなミュージシャン、大槻ケンヂのアルバム『I STAND HERE FOR YOU』のライナーノーツに、こんなことが書かれている。
「あなたが好きになりました。しかし、ときどきダメになるやつです。困ると思うんですけど、どうですか?」
これは、好きな人に向けての名刺代わりの音楽、と大槻ケンヂが言っている名曲『ののの唄』の大槻ケンヂ本人による解説なんですが、好きな人のために自分を変えられる人ならともかく、僕のように石のように頑固な不器用者は、自分のダメダメな部分をも含めて好きになってもらわなければならない。
大槻ケンヂはそんなことを解説で書いておられるのですが、彼は自分の好きな「のの」のためなら、ということで歌詞の中でこう言っている。
   「のの、バナナの皮ですべってころんで
   それで君が笑うって言うんなら
   やるぜ、オレ」

僕にそんな真似ができるだろうか。
そんなかっこいいことが、好きな人のためにできるだろうか。
僕にとって、blogなんて、所詮自慰行為に過ぎない。
頭の中にいっぱい溜まった、くだらないこと、面白いこと、怒っていること、悲しいことを追い出すためにやっている、一種の排泄行為だ。
それを誰かが面白がってくれるのなら、やっている本人は嬉しいことではあるが、だからといって「お前のblogはつまらないよ」と言われたところで、屁とも思わない。
しかし逆に「君のblogは面白いね、いつ読んでも最高だよ」と言われれば嬉しいのか、というと、実はそんなこともなく、何でも「面白い面白い」と持ち上げられるのは、それはお前の真意か、と疑ってしまう部分がある。
何故なら、僕は変わり者だから、自分と全く同じ考えの人などいるわけがない、と思っているから。疑り深いだけなのかもしれないけれど、僕の言う意見は、みんなが納得して受け入れてくれるものではないと思っている。
たとえ自分と違う考えだとしても、それを全否定する気はないのだけども、それでも僕の考えから、少しでも何かを変えられたら、そして相手の意見を聞いて、ほんのちょっとでも自分を変えられたら、それだけで僕はblogを続ける甲斐がある、と思っている。
そんなことから、軽い気持ちで書き込んだ内容が、その人にとって非常に不愉快ということはわからなくはないのだけど、Trueさんの言うようにそれをもって「叩き潰す」のではなく、お互いの成長の糧になれば、と思うんですね。
まぁ、かなりな割合で、口汚く罵ってしまう僕には、こんなことを言う資格はないのかもしれないけれど、「分かり合えなくてもいいから、少しは歩み寄りたい」と言う気持ちは、僕は忘れたくないと思ってます。
相手に合わせる事が優しさなのではなく、もっと自分を知ってもらって、それでいて相手の考えも尊重できることが、優しさだと思いますが、どんなもんなんでしょう?

でも好きな人には、やっぱり笑っていてもらいたいよね。
バナナの皮、用意しておく?



※青字は大槻ケンヂ氏の引用文です。
 アルバム『I STAND HERE FOR YOU』より。