自戒も込めて書きますが……
僕は批判系サイト…もとい批評系サイトが好きです。自分と違う視点で物事を見ている人の文章は、面白いことが多いです。だから僕自身、特にコメント欄において、わざと斜に構えて意見を書いていることもあります。
冒頭で「批判系サイト」を「批評系サイト」と言い換えているのは、物事を批判することばかりにとらわれていると、その対象にしているものの良い所さえも見失ってしまい、「相手を負かすことや傷つけること」が主たる目的となってしまいがちになるからです。
たまに見かけるのですが、「辛口系」とか「毒舌サイト」「辛辣な意見」と称しているサイト、僕はそういうものにとても興味があるものの、実際読んでみると、ガックリくることの方が多いです。それというのも、自分で「辛口」「毒舌」と言っている人のサイトは、実際には辛口でも毒舌でもなく、ただ対象になるものの文章をコピペして「バカ」「アホ」「氏ね」と書かれているだけ、というようなことがとても多いからです。
多少は考察が加えられていることもありますが、たいした内容でなかったり、相手の言っていることを曲解していたり、あるいは一部を切り取って読んでいるだけ、ということが非常に多いです。
それは既に批評でも批判でもないわけでして、単なる悪口か、嫌がらせと取られることのほうが多いです。あまりに論点がずれていると、場合によっては自分の頭の悪さを露呈しているだけだったりします。
また、どんなにきついことを書いていても、相手を全否定することは避けたいものです。
相手の意見の中から、一つでも感心できる部分や同意できる部分を見出す努力をし、それを賞賛しつつ批判するよう心がけたいものです。
特定人物を潰す(閉鎖に追い込む/孤立させる)事が目的のサイトをたまに見かけます。
確かに対象になっている人には、何らかの理由があったりするのですが、潰す側の論理が破綻しているケースが非常に多かったりします。
始めのうちは、正義の怒りによる批判(と、少なくとも本人は思っている)が多いのですけど、そのうちに批判すべき事柄がなくなってくると、まったく関係のないことまで悪口の対象となったり、単に自分と趣向が違うだけのことで「キモッ」と言ったり。こと、ブログにおいては「更新しやすい」ことが魅力であるのに、更新が多いことに目をつけて「一体あいつはいつ働いているんだ」とか言い出すパターンが多いようだけど、僕に言わせりゃ「面白くないサイト」と言いつつ、相手が何か失敗しないかと、一日中その人を監視しつづけている方が「キモい」わけですが。面白くなければ、見なければ良いのです。少なくとも「面白くない」事を理由に「キモい」とかを公の場で発言することは避けるものではないでしょうか。貴方が「面白くない」と感じるサイトでも、他の人には「面白い」のかもしれません。少なくとも第三者からのコメントがついているようなサイトでは、「面白い」と感じている人が存在していることになるのですから。
あと、これは「批判される側」への注意点なのですが、自分の一部が批判されただけで、あるいは自分が好きなものを批判されたことで、自分の全てが否定されたような感情を持つのはやめて頂きたい。
また、相手が実際に自分の全てを批判/罵倒してくるようなケースは、どうせまともなことを言っていない物だから、たいして気にする必要はないと思います。
僕は批判系サイト…もとい批評系サイトが好きです。自分と違う視点で物事を見ている人の文章は、面白いことが多いです。だから僕自身、特にコメント欄において、わざと斜に構えて意見を書いていることもあります。
冒頭で「批判系サイト」を「批評系サイト」と言い換えているのは、物事を批判することばかりにとらわれていると、その対象にしているものの良い所さえも見失ってしまい、「相手を負かすことや傷つけること」が主たる目的となってしまいがちになるからです。
たまに見かけるのですが、「辛口系」とか「毒舌サイト」「辛辣な意見」と称しているサイト、僕はそういうものにとても興味があるものの、実際読んでみると、ガックリくることの方が多いです。それというのも、自分で「辛口」「毒舌」と言っている人のサイトは、実際には辛口でも毒舌でもなく、ただ対象になるものの文章をコピペして「バカ」「アホ」「氏ね」と書かれているだけ、というようなことがとても多いからです。
多少は考察が加えられていることもありますが、たいした内容でなかったり、相手の言っていることを曲解していたり、あるいは一部を切り取って読んでいるだけ、ということが非常に多いです。
それは既に批評でも批判でもないわけでして、単なる悪口か、嫌がらせと取られることのほうが多いです。あまりに論点がずれていると、場合によっては自分の頭の悪さを露呈しているだけだったりします。
また、どんなにきついことを書いていても、相手を全否定することは避けたいものです。
相手の意見の中から、一つでも感心できる部分や同意できる部分を見出す努力をし、それを賞賛しつつ批判するよう心がけたいものです。
特定人物を潰す(閉鎖に追い込む/孤立させる)事が目的のサイトをたまに見かけます。
確かに対象になっている人には、何らかの理由があったりするのですが、潰す側の論理が破綻しているケースが非常に多かったりします。
始めのうちは、正義の怒りによる批判(と、少なくとも本人は思っている)が多いのですけど、そのうちに批判すべき事柄がなくなってくると、まったく関係のないことまで悪口の対象となったり、単に自分と趣向が違うだけのことで「キモッ」と言ったり。こと、ブログにおいては「更新しやすい」ことが魅力であるのに、更新が多いことに目をつけて「一体あいつはいつ働いているんだ」とか言い出すパターンが多いようだけど、僕に言わせりゃ「面白くないサイト」と言いつつ、相手が何か失敗しないかと、一日中その人を監視しつづけている方が「キモい」わけですが。面白くなければ、見なければ良いのです。少なくとも「面白くない」事を理由に「キモい」とかを公の場で発言することは避けるものではないでしょうか。貴方が「面白くない」と感じるサイトでも、他の人には「面白い」のかもしれません。少なくとも第三者からのコメントがついているようなサイトでは、「面白い」と感じている人が存在していることになるのですから。
■ ■ ■ ■
あと、これは「批判される側」への注意点なのですが、自分の一部が批判されただけで、あるいは自分が好きなものを批判されたことで、自分の全てが否定されたような感情を持つのはやめて頂きたい。
また、相手が実際に自分の全てを批判/罵倒してくるようなケースは、どうせまともなことを言っていない物だから、たいして気にする必要はないと思います。
この言葉にうそはないだろうに、
そういう風にとられそうもない文体はちょっと
損してるかなと思いました。
「こういうの」というのは私のコメントについてです。
>この言葉にうそはないだろうに、
>そういう風にとられそうもない文体
だって、ポーズだから(笑
まねできないですね…
まあしようとも思わないですが(え?)
確かに批判系の文って「これこれこういう理由でココがおかしいと思う」っていう、なんていうか話の肝みたいなのがキチッとしてないと、ただのイチャモン系に落ちちゃうのが難しいですね。
ましてや全てを否定するなんて、イチャモン以前に子供のケンカでしょうし(笑)。
それを考えて僕は思うんですけど、批判系の文を『マトモに』書くのってそうとうエネルギーを使うものなんですよ。精神的肉体的共にね。当然時間も多く懸かるし。
その批判系をメインに持ってきてなおかつ頻繁に更新されてるブログとかを見ると、僕はもうそれだけで「キモッ」ってなっちゃいます。
当然、誰しも「コレおかしいよ」と思う事もあるだろうし
、批判系の文を書くこともあるでしょう。
んでも常にそんな文でしかも頻繁に更新されてたら、「あんた二十四時間そんな批判的考えで生きてるのか? …キモッ」って思っちゃいますから。僕。
少なくとも友達にはなりたくない人種かも。
…とか言いながら僕も結構批判文を書いてたりするんですけどね(笑)
(;^ω^A
「批判」もつもりで書いていても、「罵倒」を受け取るからもいますし、その辺難しい問題ではあります。
なんだかすごく不快になってしまい、
とくにその記事を取り上げたりはしなかったのですが、
初めて反論記事を書いてみました。
でも、熱くなって書いていて、読み返すとやや支離滅裂な感じになってしまっています。
以前にも拝見しているえっけんさんの記事をまた読ませていただいて少し落ち着きました。
なんで自分に迷惑をかけているわけでもない人たちの事を平気で“馬鹿”呼ばわりできるのか、すごく疑問です。
なんて、このコメントもかなり支離滅裂ですね。
ありゃあアクセス稼ぎのスパムだわ。
反論などの議論を提示したトラックバックでもないでしょ。
単にヨン様で検索かけてぶち当たったブログにたいして、片っ端からトラックバックしただけ。
さっそく真面目な反論コメントをいただきました。
私も言いたいことを書きましたが、
私の意見など、相手を納得させる為ではなく、
結局自分も吠えてみなければ気がすまない・・という程度なものだと思います。
でも、結構スキっとしました。
(考えてみるとその議論の的になっているのは
ものすごくくだらない事なのですけど。)