ゆうのありえない日々のゆうさんは、コメント欄でのきゃぴきゃぴぶりからは信じられないほど、繊細で、blogに対して持つ姿勢がしっかりしている人だ。
先日、単にお仕事が忙しいことと、体調を崩しただけなのに、寄せられたコメントに返事が書けないことをお詫びする記事が書かれていたのだけど、そこに寄せられたコメントの多くは、無理をするな、という意味のものでした。それに対して、彼女は返事を書くことで自分が楽しいから、そのスタンスを変えるつもりはないとのこと。
苦痛を感じてまで続ける必要はないというのというのが、僕のblogに対する考えなので、彼女自身が楽しいと感じているのならば、是非とも続けてもらいたいものです。
ただ、彼女は仕事もblogもがんばりすぎです。そうでなくても身体を壊しているのに、この人はいったいいつ寝ているんだろう、と思うくらいに、活躍されています。
Peaky Speakyのはっしゅさんも言っているように「思いつくまま、だらりだらりと」の気持ちを忘れないでほしいです。
さて、今回書きたかったのは、実はゆうさんへのエールではありません。
ゆうさんの記事に寄せられたコメントについてです。
あのね、BLOG始める前はBLOGなんかで
意見晒しちゃったらボコボコにされるって思ってた。
世間は甘くないんだぞって思い知ると思ってた。
今は、みんな優しいんだなって思う。
しあわせだよね。
~にゅきログのにゅきみさん
「いんたあねっと」って確かに面白い反面、怖い部分もあります。
ただ、軽い気持ちで書き込んだ内容が、その人にとって非常に不愉快であれば、容赦なく叩き潰す。
本来なら、それをもって成長できればいいかなって思うんですけどね。
~正直者がバカを見るのtrueさん
これらを読んで、僕はblogにおけるblogger同士の「優しさ」ってなんだろう、と思いました。
にゅきみさんは、現在goo BLOGで活躍されているbloggerの中でも、かなり早くからblogをはじめている人の一人です。その独特なblogタイトルと、年齢性別不詳系な文体から、僕はかなり早くから彼のblogを知っていたのですが、中身の多くが映画の感想だったことから、映画に興味のない僕はコメントを残すことはしていませんでした。3月の終わりでしたか、それまで当り障りのない記事ばかり書いてきた彼が、イラクにおいて邦人3人の拘束事件が起きたときに、彼は「戦争反対」を訴えました。その記事に寄せられた最初のコメントにおいて、にゅきみさんの考えとは異なる、ちょっと乱暴な言葉遣いのものがありましたが、にゅきみさんは誠意を持ってそのコメントに対応していたと思います。
僕自身、にゅきみさんのその記事には賛同していないのですが、彼の信念が感じられる内容の良いものだと思いました。世間は甘くないんだぞっというのが、このような反対意見を寄せられることを指しているのか否かはわからないのですが、もし、そうだとしたら、僕は彼の今回の彼の考えにも賛同は出来ない。
このblogで何度も書いたことがあるのですが、僕はblogを「優れた意見交換ツール」として捉えている。そして、仲が良いから・友達だから、相手の意見を肯定するというのは、決して優しさだとは思っていない。
相手に気に入られたいから、自分を殺すということは、僕は出来ない。
自分の嫌なところを含めて、自分を好きになってくれるのでなければ、付き合い続けることは出来ない。
僕が好きなミュージシャン、大槻ケンヂのアルバム『I STAND HERE FOR YOU』のライナーノーツに、こんなことが書かれている。
「あなたが好きになりました。しかし、ときどきダメになるやつです。困ると思うんですけど、どうですか?」
これは、好きな人に向けての名刺代わりの音楽、と大槻ケンヂが言っている名曲『ののの唄』の大槻ケンヂ本人による解説なんですが、好きな人のために自分を変えられる人ならともかく、僕のように石のように頑固な不器用者は、自分のダメダメな部分をも含めて好きになってもらわなければならない。
大槻ケンヂはそんなことを解説で書いておられるのですが、彼は自分の好きな「のの」のためなら、ということで歌詞の中でこう言っている。
「のの、バナナの皮ですべってころんで
それで君が笑うって言うんなら
やるぜ、オレ」
僕にそんな真似ができるだろうか。
そんなかっこいいことが、好きな人のためにできるだろうか。
僕にとって、blogなんて、所詮自慰行為に過ぎない。
頭の中にいっぱい溜まった、くだらないこと、面白いこと、怒っていること、悲しいことを追い出すためにやっている、一種の排泄行為だ。
それを誰かが面白がってくれるのなら、やっている本人は嬉しいことではあるが、だからといって「お前のblogはつまらないよ」と言われたところで、屁とも思わない。
しかし逆に「君のblogは面白いね、いつ読んでも最高だよ」と言われれば嬉しいのか、というと、実はそんなこともなく、何でも「面白い面白い」と持ち上げられるのは、それはお前の真意か、と疑ってしまう部分がある。
何故なら、僕は変わり者だから、自分と全く同じ考えの人などいるわけがない、と思っているから。疑り深いだけなのかもしれないけれど、僕の言う意見は、みんなが納得して受け入れてくれるものではないと思っている。
たとえ自分と違う考えだとしても、それを全否定する気はないのだけども、それでも僕の考えから、少しでも何かを変えられたら、そして相手の意見を聞いて、ほんのちょっとでも自分を変えられたら、それだけで僕はblogを続ける甲斐がある、と思っている。
そんなことから、軽い気持ちで書き込んだ内容が、その人にとって非常に不愉快ということはわからなくはないのだけど、Trueさんの言うようにそれをもって「叩き潰す」のではなく、お互いの成長の糧になれば、と思うんですね。
まぁ、かなりな割合で、口汚く罵ってしまう僕には、こんなことを言う資格はないのかもしれないけれど、「分かり合えなくてもいいから、少しは歩み寄りたい」と言う気持ちは、僕は忘れたくないと思ってます。
相手に合わせる事が優しさなのではなく、もっと自分を知ってもらって、それでいて相手の考えも尊重できることが、優しさだと思いますが、どんなもんなんでしょう?
でも好きな人には、やっぱり笑っていてもらいたいよね。
※青字は大槻ケンヂ氏の引用文です。
アルバム『I STAND HERE FOR YOU』より。
先日、単にお仕事が忙しいことと、体調を崩しただけなのに、寄せられたコメントに返事が書けないことをお詫びする記事が書かれていたのだけど、そこに寄せられたコメントの多くは、無理をするな、という意味のものでした。それに対して、彼女は返事を書くことで自分が楽しいから、そのスタンスを変えるつもりはないとのこと。
苦痛を感じてまで続ける必要はないというのというのが、僕のblogに対する考えなので、彼女自身が楽しいと感じているのならば、是非とも続けてもらいたいものです。
ただ、彼女は仕事もblogもがんばりすぎです。そうでなくても身体を壊しているのに、この人はいったいいつ寝ているんだろう、と思うくらいに、活躍されています。
Peaky Speakyのはっしゅさんも言っているように「思いつくまま、だらりだらりと」の気持ちを忘れないでほしいです。
さて、今回書きたかったのは、実はゆうさんへのエールではありません。
ゆうさんの記事に寄せられたコメントについてです。
あのね、BLOG始める前はBLOGなんかで
意見晒しちゃったらボコボコにされるって思ってた。
世間は甘くないんだぞって思い知ると思ってた。
今は、みんな優しいんだなって思う。
しあわせだよね。
~にゅきログのにゅきみさん
「いんたあねっと」って確かに面白い反面、怖い部分もあります。
ただ、軽い気持ちで書き込んだ内容が、その人にとって非常に不愉快であれば、容赦なく叩き潰す。
本来なら、それをもって成長できればいいかなって思うんですけどね。
~正直者がバカを見るのtrueさん
これらを読んで、僕はblogにおけるblogger同士の「優しさ」ってなんだろう、と思いました。
にゅきみさんは、現在goo BLOGで活躍されているbloggerの中でも、かなり早くからblogをはじめている人の一人です。その独特なblogタイトルと、年齢性別不詳系な文体から、僕はかなり早くから彼のblogを知っていたのですが、中身の多くが映画の感想だったことから、映画に興味のない僕はコメントを残すことはしていませんでした。3月の終わりでしたか、それまで当り障りのない記事ばかり書いてきた彼が、イラクにおいて邦人3人の拘束事件が起きたときに、彼は「戦争反対」を訴えました。その記事に寄せられた最初のコメントにおいて、にゅきみさんの考えとは異なる、ちょっと乱暴な言葉遣いのものがありましたが、にゅきみさんは誠意を持ってそのコメントに対応していたと思います。
僕自身、にゅきみさんのその記事には賛同していないのですが、彼の信念が感じられる内容の良いものだと思いました。世間は甘くないんだぞっというのが、このような反対意見を寄せられることを指しているのか否かはわからないのですが、もし、そうだとしたら、僕は彼の今回の彼の考えにも賛同は出来ない。
このblogで何度も書いたことがあるのですが、僕はblogを「優れた意見交換ツール」として捉えている。そして、仲が良いから・友達だから、相手の意見を肯定するというのは、決して優しさだとは思っていない。
相手に気に入られたいから、自分を殺すということは、僕は出来ない。
自分の嫌なところを含めて、自分を好きになってくれるのでなければ、付き合い続けることは出来ない。
僕が好きなミュージシャン、大槻ケンヂのアルバム『I STAND HERE FOR YOU』のライナーノーツに、こんなことが書かれている。
「あなたが好きになりました。しかし、ときどきダメになるやつです。困ると思うんですけど、どうですか?」
これは、好きな人に向けての名刺代わりの音楽、と大槻ケンヂが言っている名曲『ののの唄』の大槻ケンヂ本人による解説なんですが、好きな人のために自分を変えられる人ならともかく、僕のように石のように頑固な不器用者は、自分のダメダメな部分をも含めて好きになってもらわなければならない。
大槻ケンヂはそんなことを解説で書いておられるのですが、彼は自分の好きな「のの」のためなら、ということで歌詞の中でこう言っている。
「のの、バナナの皮ですべってころんで
それで君が笑うって言うんなら
やるぜ、オレ」
僕にそんな真似ができるだろうか。
そんなかっこいいことが、好きな人のためにできるだろうか。
僕にとって、blogなんて、所詮自慰行為に過ぎない。
頭の中にいっぱい溜まった、くだらないこと、面白いこと、怒っていること、悲しいことを追い出すためにやっている、一種の排泄行為だ。
それを誰かが面白がってくれるのなら、やっている本人は嬉しいことではあるが、だからといって「お前のblogはつまらないよ」と言われたところで、屁とも思わない。
しかし逆に「君のblogは面白いね、いつ読んでも最高だよ」と言われれば嬉しいのか、というと、実はそんなこともなく、何でも「面白い面白い」と持ち上げられるのは、それはお前の真意か、と疑ってしまう部分がある。
何故なら、僕は変わり者だから、自分と全く同じ考えの人などいるわけがない、と思っているから。疑り深いだけなのかもしれないけれど、僕の言う意見は、みんなが納得して受け入れてくれるものではないと思っている。
たとえ自分と違う考えだとしても、それを全否定する気はないのだけども、それでも僕の考えから、少しでも何かを変えられたら、そして相手の意見を聞いて、ほんのちょっとでも自分を変えられたら、それだけで僕はblogを続ける甲斐がある、と思っている。
そんなことから、軽い気持ちで書き込んだ内容が、その人にとって非常に不愉快ということはわからなくはないのだけど、Trueさんの言うようにそれをもって「叩き潰す」のではなく、お互いの成長の糧になれば、と思うんですね。
まぁ、かなりな割合で、口汚く罵ってしまう僕には、こんなことを言う資格はないのかもしれないけれど、「分かり合えなくてもいいから、少しは歩み寄りたい」と言う気持ちは、僕は忘れたくないと思ってます。
相手に合わせる事が優しさなのではなく、もっと自分を知ってもらって、それでいて相手の考えも尊重できることが、優しさだと思いますが、どんなもんなんでしょう?
でも好きな人には、やっぱり笑っていてもらいたいよね。
バナナの皮、用意しておく?
※青字は大槻ケンヂ氏の引用文です。
アルバム『I STAND HERE FOR YOU』より。
です?
バナナはおやつに入るんですかぁ?
えっけんさんのオナニー、けっこう面白いよ。
すしバーさん、
「むだづかいにっき」はぷりてぃな婦女子にも大変好評いただいている、
お 上 品 な b l o g です!!
苦労して築き上げてきた品性をぶち壊してしまいますので、
そんな下品な言葉を持ち込むのは止めてください。
スイマセン、ちょっと咳が・・・
ゲヒンッ、ゲヒンッ
↑この繰り返し記号って「おなじ」って打つと変換出来るんですね。
読み方知らないけどちょっと勉強になった。
「自分と全く々考えの人などいるわけがない」
誤字ですよー!@goo
さてさて本題に。
・・・いこうかと思ったけど今日はめんどいのでやめやめ。
しょうもない事だけ書いておこう。
オナニーは面白がるものではないっ!
オナニーは抜くための行為だっ!
だからここのコメントを含めた記事内容がいかに面白くても
俺は言わせてもらうぞっ!
「お 前 の オ ナ ニ ー じ ゃ 俺 は 抜 け ね え よ !」
真面目な話、ブログってのは私にとってかなり新鮮だったのが、今までの掲示板やチャットのやりとりでは産まれえなかった選択肢の豊富さがあるわけですよ。
で、邪推だったらごめんなさい。
もしかしたら、えっけんさんは、一見「馴れ合い」になっている自分のブログを憂いてたりしてないですか?
もっと、反論して来いよ、とか思ってないですか?
もし、思っているとしたら、すいません。反論はあまり来ないと思うんですよ。
えっけんさんは、言葉自体は強いものでも、内容が良識に基づいてます。
しかも、必ずいくつかの選択肢を明確にしてありますので、反論しようがないんですね。
意見があるとしたら、選択肢の付け加えぐらいですかね。
はじめま略さんのブログも選択肢の宝庫ですよね。
「ブログとは何か?」という命題に、えっけんさんは概念とか、理念とかで答えを出そうとしている。
はじめま略さんは、数という目に見えるもので答えを出そうとしている。
私は、この二つのブログ、ブログ人に欲しいですよ。
ってなわけで、結論ですが、
はじめま略さんのオナニーも面白いです。
と・・・。
>オナニーは抜くための行為だっ!
む だ づ か い に っ き は
お 上 品 な b l o gと
言 っ て お ろ う が ぁ ッ ! !
よって、はにゃ死刑。
市中引き回しの上、斬首の刑。
そのあとさらし首。
あ、変換ミス指摘してくれたから、
帝愛グループの強制労働ぐらいで勘弁してやるッ!
毎日こつこつ労働に励んでくれ。
勤務状態によっては、班長に任命してやってもいいぞ。
ただしジゴロさいころは自前で用意してくれな。
>「おなじ」って打つと変換出来るんですね。
そうだよ。
有名な話だけど、もし君のパソコンのOSが、XPだったら、
試してほしいんだけど、IMEの変換モードを「話し言葉優先」にして、
「ぎれ」と入力、変換して御覧なさい。
なんか面白いことが起きるはずだから。
まぁ、はにゃくんくらいPCに長けた人なら知っているとは思うけど。
鋭い分析。やるなぁ、と思いました。
今度、玄関でピンポンダッシュして
裏口から侵入しますので
イタズラさせて下さい。
>えっけん流会話術師範代様
僕はすしバーさんとはちょこっと違う見解の意見を持っている。
こないだちょっと叩きすぎたかも、と思った。
ちょこっと傷ついたならバンソーコーくらい貸してやる。
後で返せよ。
BLOGってのはやっぱり迷いの波及効果が結構ある。
そう感じる。
このコメントはわざと偉そうな高さから書いている。
君は一種独特の空気と格好良さを持っている
それが人を惹きつける。
元気出せ、などと当たり前のエールを送るつもりは毛頭無い。
君がいかなる毒を持っていようが
それは所詮個性をどのような角度から捉え
どう表現するかで「毒舌」という言葉を当てはめたに過ぎない。
何人のBLOG信者が君を教祖だとあがめようがそんなの俺は知ったこっちゃない。
アホの集まりだと笑うだけだ。
ダチとして言わせてもらおう。
もっと噛み付いてこい。
もっと尖っていい。もっと大胆でいい。
言いたい放題言えばいい。
外野は所詮外野にしかなれない。
群衆はしょせん群衆の域を出ない。
友人はもちろん友人の目線だ。
俺は今の君じゃなくて明日の君にコインを賭けるよ。
って、
そういう話じゃないんでしたっけ。。。
いや、アプローチの話ですよね。
だからオイラ、実態を前面に出して、自分の考えはなるべく控えめにしてます。皆に見せられるだけの自分の意見を述べられるっていう自信もないですし、まだまだ見ているBLOGの数が違います。一家言持つにはまだ早いかな、と思いますので。
だからオイラはここでインスパイアされて自分で調査をします。そしてここでまた新しく何か述べてくれないかなあ、と期待するんです。
だから左手、右手ですよねってまたそっちの話かよ
いえぇぇぇぇぇす。
ちうことではじめ博士こんにちは。
博士は今のまんまでいいんじゃないでしょーかー。
時々左手なのももちろんいいんじゃないでしょーかー。
IME変換やってみたよー。
僕はATOK派なのでIMEの事はあんまりよく知らないけど
ピカチュウが出てくるのは噂で聞いてたよん♪
って俺晒し首かよ(@@!!!
ある意味俺の人生が既に晒し首・・・以下略。
サイコロは見つからないように飲み込んで胃袋に隠して持ってくね。