South Is. Alps
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Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
Lake Griffin


『大阪アースダイバー』

 
箱根本箱読書、四冊目!まあ、最後まで読むのがこれが最後か。

私は大阪の生まれなのだが、本書を読んで自分がよそ者であることに今さなながらに思いつく。両親はよそ者だが、私自身の生まれ育ちは河内のど真ん中、高校も八尾高校である。しかし、じつは、河内音頭の輪に入ったことがないというか、まったく、盆踊りに行ったこともない。本書によると「俊徳丸」は生者と死者が輪をなしてあの世とこの世を架橋する河内音頭のコアなのだが、まったく縁がない。もちろん、本書にでてくる地名を間違いなく読めるし(難読地名が多い)、その景観も思い浮かべることもできる。また、触れられている情報も多くは知っている。しかし、残念ながらわたしは、よそ者なのだ。

生まれ育ったところは、多分、河内のとある旧村の外れの田んぼを開発して作られた小さな新興住宅地、その隣接したところには、由来はしらないが朝鮮人集落もある(朝鮮人というのは、現代では北朝鮮をイメージするかもしれないが、日本が植民地化していた朝鮮半島の人々のことを日本の敗戦後の戦後処理の中で半島の旧日本人を「朝鮮人」と呼んだことによっているらしいということは別に書いたことがある)。すぐ周りは田んぼが広がっていたのだが、中学生ぐらいのうちに(昭和30年代後半)、あっという間に工場地帯に変わって行った。それもあって、我が家は駅前により近い住宅地に引越しして行ったのだが、そこもまた、地元の人々の住むところでもなかったのか、河内音頭の世界でもなかった。

50歳になった時、出身の小中学校の同窓会が久しぶりに開かれたので、出かけて行ったが、しかし、集まった同級生たちとの乖離は大きかった。私自身、大学は神戸市の方だったし、大学院に入った頃、両親は家を売って奈良に転居し私も当然一緒に移動した。移動するにあたってまったく逡巡はなかった。根っこがなかっらだ。同窓会に集った友人たちは、家をまったく動いていない!ということにも驚いた。やはり、自分はよそ者だったというエピソードも聞いた。

本書について書くことはないのだが、子供の頃からの馴染みのあるところに、いまさらながら、疎外感を覚えたということだ。

2019-08-14 22:04:10 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


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