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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日はがん検診

2025年03月31日 17時41分25秒 | 病い

 昨日は所用をこなして疲労困憊。体を動かし続けたわけではないが、かなり疲れた。昼食を食べることもできず、帰宅する途中、16時過ぎに空腹でさすがにフラフラしてきた。
 途中駅で降車、駅構内のパンの専門店で、パンとコーヒーで一服。ようやく落ち着いた。無理の効いた50代の頃とは違って体力が無くなった。
 本日は9時近くまで熟睡。
 しかし寒い一日であった。夕方からは雨がポツポツと。明日は終日雨で、日中の最高気温も7℃以下との予報になっている。神奈川県の西部では雪の予報も出ている。

 明日は毎年受けている5項目(胃、肝・胆・膵、大腸、前立腺、肺)のがん検診日。24年度は検査を受け損なったものの、25年度のはじめに指定してくれた。
 嬉しいことに、24年続けてきた大腸の内視鏡検査の指示が無くなり、便鮮血検査となったこと。内視鏡前の腸管洗浄剤の服用や内視鏡挿入の痛みから解放されること。一昨年度末の大腸内視鏡検査結果で、「来年は便潜血検査で対応しましょう」といわれた時は小躍りした。しかし今年また再検査となると、うんざりである。歳とともに、麻酔をしたうえでの大腸内視鏡検査を受けたいと思うようになってきた。しかし市民病院ではその対応をしてくれない。

 明日は本日よりも気温が低いとのこと、冬の恰好をして出かける予定。
 本日は22時までに夕食を済ませ、明日の朝は7時までにいつもの薬を服用するよう指示されている。9時の受付のためには、8時には家を出なくてはならない。今晩は早寝に限る。

 


三ッ池公園の花見

2025年03月29日 14時21分35秒 | 山行・旅行・散策

         

         

 昨日は曇り空で、かなり暖かな陽気。花見には都合の良い日和となった。鶴見区にある三ッ池公園にて25名ほどで花見。広い園内では、ソメイヨシノ、ヨコハマヒザクラ、オオシマザクラなどの種類のサクラのほかに、ユキヤナギが見事に咲いていた。早いサクラにはもう実が付いていた。
 池ではカモ、キンクロハジロなどと鯉が、ユキヤナギ、ソメイヨシノなどの枝の下で微妙な距離を保ちながら回遊していた。

 池の周りの石段に腰掛け、さまざまなサクラを楽しみ、ビールを飲みながら、懇談すること2時間ほど。鶴見駅にもどり、居酒屋に繰り出し二次会を楽しんだ。


あっという間に七分咲き?

2025年03月27日 21時33分30秒 | 近くの自然

      

 昨日の暑さでヨコハマヒザクラは一日でほぼ7分咲きとなったようだ。開花してからわずか2日ほどであっという間に鮮やかな緋色の樹形となった。



 コブシの薄緑色の新しい葉も2日で枝先で芽を吹き、大きくなった。反面、愕の部分の緑の葉は花弁に遮られているためか、生長は遅い。
 ヒザクラの緋色とコブシの白い花弁とその根元のわずかな赤が呼応して、見飽きない。

 本日も例年よりも暖かではあったが、曇り空で風が強かった。蒸し暑さを感じた。薄いウィンドブレーカーで歩くと、汗ばみ、ウィンドブレーカーも脱いでリュックにしまいこんだ。

 明日は25℃近くまで気温が上昇するとのこと。昼間は本日のように蒸し暑いようである。
 明日の午前中は親の通院の付き添い。午後は退職者会のイベントのひとつ、花見である。鶴見の三ッ池公園で開催とのこと。

 


読了「ゴッホは星空に何を見たか」

2025年03月27日 13時51分33秒 | 読書

   

 昨日上野駅からの帰宅時に、電車の中で「ゴッホは星空に何を見たか」(谷口義明、光文社新書)を読み終えた。
 天体物理学者である著者の論述は、優しく書かれている啓蒙書であるが、分析的である。よく整理された仮説と、それら一つ一つの検証の仕方は、私の頭にはすんなりと入ってくる。
 綿密な踏査の上に立つ大胆な仮説と論理展開も好きで、そのような書物や著者が好きではある。同時にこの書物のように丁寧に仮説を整理し、検証を繰り返す論理展開にも惹かれる。仮説の立て方には帰納的な方法と、演繹的な方法がある。二つの方法の間で読書と論理展開を愉しんでいる私がいる。

 科学者が、画家ゴッホや詩人宮沢賢治という芸術家が、「感じたもの」「見たもの」の科学的な分析を通して、作品に迫ろうとする。その論理展開を楽しみながら読み終えた。

 次に読む予定の本は、この読み終えた「ゴッホは星空に何を見たか」にも紹介されている「天気でよみとく名画」(長谷部愛、中公新書ラクレ)。


ミロ展(東京都美術館)

2025年03月26日 20時46分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日は薄手のジャンバーを着て外に出たが、失敗であった。あまりの暑さにジャンパーをリュックに詰め、そのまま上着なしで上野の東京都美術館に出向いて「ミロ展」を見てきた。

   

 上野駅の公園口は人でごった返していた。ほとんどの人は花見のために文化会館を左に曲がり桜並木の方面に行くが、それには目もくれずに東京都美術館に直行。動物園の手前でさらに人の流れから外れて美術館に向かう人はわずか。
 入場券売り場には人の列はなかった。展示室はそれなりの人出であったが、昼前ということもあり、ゆっくりと見て回ることが出来た。2時間ほどたっぷりと見学。
 懐かしい作品、図版でしか見たことのなかった初期の作品、そして1970年代後半以降のポスターなどの諸作品などははじめて目にした。またまとめてみたかった「星座シリーズ」の内3点を見ることが出来た。できれば「星座シリーズ」の23点はまとめて観たいものであるが、今回も適わなかった。
 ミロの諸作品は、描かれているものの解釈のためには、欧米の言語や文化的な背景を知らないとわからないことも確かだが、それがわからなくとも、色彩や描かれたさまざまなものの配置のリズムと形態だけでも充分に楽しい。たくさんの作品を見て回ると、その独特のリズムに気分や体内時計が同調してくるのがわかる。気分が軽くなったり、沈んだり、不思議な体験をする。それが楽しい。
 私の子どもがごく小さい頃、カンディンスキーとミロの絵画を見ながら、独り言を言い、物語りを紡いでいたのを思い出していた。
 作品の解説では、1940年、フランコ政権のスペインに戻ってからのミロについて、第3章では「逃避と詩情」と表現している。また「彼が取った選択は、現実からの完全な逃避だった。人物たちは身体的な質感を失い、再生の魔法を感じさせる要素を持った、想像力に訴えかけたる絵画へと変化」と記している。
 私はこの表現の「完全な逃避」が何をさし示すのかも理解できない。1940年以降の「星座シリーズ」や1970年以降のフランコ政権との対峙などの諸作品をあらためて復習したいと感じた。「逃避」とは言えない印象が私には強い。

 国立西洋美術館の前を帰りにも通り過ぎたが、「西洋絵画、どこから見るか?」展は疲れて見る気が失せてしまい、そのまま帰宅した。


ウグイスの初鳴きと春雷

2025年03月25日 09時14分09秒 | 天気と自然災害

 昨日妻がウグイスの初鳴きを聴いたという。私もベランダに出てみたが、聴くことはできなかった。東京近辺ではウグイスの初鳴きは3月初旬といわれているので、今年は少し遅いのか、あるいは既に鳴いていたのに聴き洩らしいたのか、定かではない。いづれにしろ春の風物詩のひとつである。

 しかし昨晩21時過ぎの突然の雨と雷に驚いた。一部の天気予報では傘のマークはあったが、市域の南部を中心に80ミリ前後の強い雨の区域が雷を伴って通過していくとは想像していなかった。私の住む地域も30ミリを超す雨の区域が通過していった。
 ちょうど夜のウォーキングに出たときにポツポツと降り始め、20分後には本降りとなり、雷が遠くで絶え間なくなりはじめた。帰宅後雨音がいっそう強まり、バリバリという雷の音が室内まで聞こえてきた。近づいて通り過ぎていった消防車のサイレンと相俟って、雷と雨の音はそぞろに不安な気分にするものである。
 都内では竜巻注意情報も出ていた。横浜市内では23時には雨の区域も抜け、雷の音も聴こえなくなり、静かな夜に戻った。

 起床すると太陽が顔を出し、昨晩の雷雨が信じられない朝となっていた。

 


横浜緋桜開花、雪柳の白い舞い

2025年03月24日 19時30分15秒 | 近くの自然

      

 昨日よりも5.4℃も気温が低くなったとはいえ、4月中旬並みの18.7℃にもなった横浜市域。
 横浜駅近くのフラワー緑道のヨコハマヒザクラが開花した。開花したばかりでまだまだ寂しい。旺盛な緋色の樹形になるにはあと数日はかかりそうである。
 ソメイヨシノの開花宣言は明日25日の予報のままであるが、ヨコハマヒザクラはわずか1日だけ早く咲いた。例年ならば1週間は早く咲き始めるのだが、ことしはかなり遅れている。
 横浜駅から昔の東横線のトンネルを抜けたあたりに、ユキヤナギがのびのびと白い枝を伸ばしているところがある。春の風をため込むユキヤナギの枝は、生き物のように振舞う。久しぶりにユキヤナギの旺盛な生命力を見た気がした。
 ユキヤナギの枝は個人の家や小さな公園では伸びすぎて、邪魔もの扱いをされるので最近は花の咲く前に剪定してしまう傾向がある。寂しい限りである。

 


横浜緋桜、開花直前

2025年03月23日 20時14分57秒 | 近くの自然

      

 ヨコハマヒザクラの開花は赤味がさらに増し、明日にも開花しそうである。今年はソメイヨシノの開花時期と重なった。
 カワヅザクラの葉の新芽は花と同様に赤味が強い。緑も明るい。花の色との対比が美しく、それが人気の秘密のひとつなのかもしれない。
 フラワー緑道のコブシは満開になり、他の場所ではユキヤナギも満開を迎え、風にそよいでいた。どうも花の咲く順番も例年とは違っている。ユキヤナギはもう少し早めに咲くのではなかったか。

 私はいつものとおり、横浜駅近くのオフィス街まで歩き、いつもの喫茶店で読書タイム。「ゴッホは星空に何を見たか」を読み進めた。第4章「糸杉と星の見える道」を読み終わった。

 


順応

2025年03月23日 11時43分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

      

 昨日の温かさでヨコハマヒザクラの蕾はさらに赤味を増して自ら綻びを待っている。
 コブシの花の愕の裏には薄緑色の一枚葉がそっと添えられるように張り付いている。
 カワヅザクラの葉の新芽が太陽光を透かして赤い葉脈が力を溜めている。



 本日はさらに気温が上昇し、夏日になるかもしれないとの予報である。横浜市域の予想最高気温は24℃。昨日・本日と初夏の陽気。絶え間なく横浜駅を発着する電車が、明るさに色を添える。

 しかしここ数年の異常気象・天候不順はすっかり季節感を人間からも植物からも奪っている。
 
 さて、牽強付会ではあるが、「識者」なる人々は季節が四季から二季に変わったと訳知り顔に解説している。戦前から「モンスーン地帯の風土論」をかざして「世界に誇るべき日本の風土は優れた日本文化を生んできた」と繰り返していた「識者」は何の反省もない。彼らの言が正しかったならば、二季制の弧状列島はきっと文明が尻すぼみに劣化していく運命なのである。日本文化の盛衰と、四季のあるなしに相関関係があるならば、戦後日本の劣化は気候変動が要因で衰退の道をたどるだけなのだろうか。衰退の要因は別に求めたほうが良いと思うのは私だけだろうか。
 人間は不思議である。異常な気象のことは1年も経つと忘却してしまう。果たしてこれが順応ということなのか。順応してしまうことが、思想の無節操に繋がっている。これはさらに恐ろしい気がする。


ヨコハマヒザクラの開花も間近

2025年03月21日 22時19分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は12週間ぶりに横浜市立市民病院での採血と診察の日。早起き(といっても8時起床)をして、朝食抜きで9時に家を出て市民病院へ。本日の受けつけは割と空いていたが、診察室の前では既に多くの人が椅子に座って順番待ちをしていた。お昼までかかるかと覚悟をしていたら、予約時間を10分ほど過ぎたときに呼ばれてホッとした。他の診療科が混雑していたようだ。
 これまで12週間に一回の採血・診察であったが、次回は16週間後となった。数値が安定しているので、間隔をあけても問題ない、とのことであった。
 病院内の喫茶店で朝・昼兼用の食事をしながら若干の読書タイム。
 かかりつけ医の近くのいつもの薬局が混雑していたので、歩いて横浜駅へ。書店で時間を潰して、同じ道を再び歩いて薬局に戻ると待合室はガラガラ。すぐに薬を処方してもらった。
 温かい陽射しのもと、気持ちよく歩いた。帰宅してみると1万2千歩。先ほど夜のウォーキングで2千5百歩ほど。先週の感染性胃腸炎発症以来、1万5千歩も歩いたのは11日ぶり。足に傷みや疲労はなく、ホッとしている。



 途中のフラワー緑道でヨコハマヒザクラの蕾の撮影に再度挑戦。先日よりはうまく撮れたが、それでもピントは合っていない。

 友人からヨコハマヒザクラとはどんなものか、と聞かれた。専門家ではないのでネットで調べると次のような解説に出くわした。一応半分は知っていたが、半分ははじめての知識である。
由来

・1972(昭和47)年頃、横浜市港北区在住の園芸家により、カンヒザクラと、オオシマザクラとタカネザクラの交雑種のケンロクエンクマガイ(兼六園熊谷)とを交配して作られた。1985年種苗法に基づき観賞樹として品種登録された。カンヒザクラの特徴的な緋色と、ケンロクエンクマガイの花形の良さを兼ねる。品種名は出生地である横浜と、花の色の特徴である緋色から名づけられた。
・1996(平成8)年に、横浜公園開園120周年を記念して同園内に植樹、1997年中区の区制70周年を記念して本牧山頂公園に原木が寄贈。
・花弁はソメイヨシノに比べ色が濃く鮮やかで、一重の平開咲。やや下向きの大輪の花を付ける。葉の形が倒卵状楕円形であること、花序の形状が散房状であること、花弁が楕円形であること、花が紫ピンクの大輪の花であることなどからカンヒザクラと区別できる。
・ソメイヨシノと同様に、葉が出る前に花が咲く。花の形状は同様で開花時期が異なる3つの品種があり、育成地である横浜では早咲きは概ね3月20日頃、遅咲きは4月10日頃から咲きはじめる。学校の入学式の時期に満開を迎えたいケースでは、中間咲きの品種が選ばれる。開花時期を調整できる特徴から、ソメイヨシノの前後に咲くようにヨコハマヒザクラを植えることにより長期間花見を楽しむことができる。     【以上、Wikipediaの要約】

 また病気などにも強い品種であるといわれているようだ。私がはじめてこのヨコハマヒザクラの存在を知ったのは30年以上前であるが、当時はそれほど有名ではなかった。職場の傍の幹線道路の街路樹として数本植樹されたのを見てからである。植えられた幹は、植樹桝からすぐに幹が数本に分かれ、街路樹としてはあまり良い性質ではないかと思えたが、見栄えもよく、地元では評判が良かったようだ。青空に良く映える色である。

 本日のフラワー緑道の一番横浜駅川の植えられた2本のヨコハマヒザクラの蕾はかなり赤くなっていた。例年はソメイヨシノよりも1週間程度早く咲くのだが、今年はあと数日。ソメイヨシノとほぼ同時に開花しそうである。
 


「星月夜」

2025年03月21日 20時37分39秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 本日より読み始めたのは、「ゴッホは星空に何を見たか」(谷口義明、光文社新書)。ゴッホの5つの作品に描かれた星空はどんな星空であったか、という解説。すでに第1章《夜のカフェテラス》については触れた。
 本日は第2章《ローヌ川の星月夜》、第3章《星月夜》を読んだ。

 さて、本の中身ではなく、「星月夜」という季語について。思いつくままに。
 本日は春分の日であり、時期は違うのだが、もともと「星月夜」は秋の季語で「星の光が月のように明るい夜、星明かりの夜」を指す言葉。
 秋のすんだ大気の向こうに光る星の輝きが印象的な季語である。あくまでも星ばかりの夜のことである。月は出ていないのが前提。

★星月夜旅の記憶を繰返す      稲畑汀子
★天上にまさる湖上の星月夜     鷹羽狩行
★その蟇に手触れてかなし星月夜   水原秋櫻子
★わが暗渠時に音して星月夜     佐藤鬼房
★星月夜こころ漂ふ藻のごとし    飯田龍太

 


「4つの即興曲」(シューベルト)

2025年03月20日 22時20分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日はシューベルトの「4つの即興曲」(D.899、D.935)を聴きたくなった。特に理由はないが、ピアノのソロのあまり激しくない曲が聴きたかった。演奏はラドゥ・ルプーのピアノ、1982年の録音。



 昼間に妻と昼食と買い物に出かけた。三つのスーパーで若干の食材の買い物をして、生鮮食品以外の重いものを私のリュックに詰めて、私は喫茶店に残り、読書。妻はもう一軒のスーパーに寄り帰宅。私は途中でカワヅザクラを昨日に続いてもう一度見てから帰宅。しかし感染性胃腸炎が治ってから、無性に眠い。だいぶ体力を消耗したためであろうか。
 


読了「芸術原論」

2025年03月20日 21時22分22秒 | 読書

   

 ようやく「芸術原論」(赤瀬川原平、岩波現代文庫)を読み終えた。利休に言及した部分は、私の理解がまだまだ行き届かないので、保留してある。

路上観察学は、都市の無意識、人類の無意識と深い関りがあると思うからである。シュールレアリズムという言葉はあまり聞かれなくなった。これは芸術表現のあるスタイルとしてすり変わり、ダリやキリコやエルンストの絵画スタイルの老化とともに消えていった。シュールレアリスムの探索物は、人体的な無意識であったと思う。・・・施主や管理者の意志の外側で出来てしまっている物件である。かつてのシュールレアリスムが人体的な無意識を見ていたのに対して、路上観察学は都市的意識を見ていると、強く思うのである。」(Ⅳ「路の感覚」から「植物的無意識の採集」)

いまと昔とでは経済のあり方が違うのである。同じ予算で同じものを造ったとしても、いまは経済がすべてに張り付いているので、、計上された予算の数字を上回るものはビタ一文も付加されぬ。・・・むかしの職人の意志とかケジメとか、あるいは腕の見せどころといったものを金に換算したら大変なものになる。経済の陰に隠れて造作物にそそぎこまれているのだから、いま造るものとははるかに出来が違うのである。・・・どうもいまの経済社会は経済の本質がわかっていない。」(Ⅳ「路の感覚」から「「正解波」ととのすれ違い」)

路上観察のいちばんの要点は、ここで得るおもしろさの価値が創造ではなく観察によるものだということである。下手人はいるが作者は見えず、観察者の力ではじめてその価値が生れ、作者の肩代わりをすることになる。この見えない作者は、在来の作者のように私人個体の域にとどまらずに、世の中、社会、人類、といった集団の類の網の目に支えられて、不定形にこの世に漂流している。従って作者の力のありかは、類の力=自然の力、ということになろうかと思われる。」(Ⅴ「芸術原論」から「芸術原論」)


カワヅザクラとコブシ

2025年03月19日 21時05分15秒 | 近くの自然

 久しぶりに家と喫茶店で「芸術原論」を読み進めた。もう少しで読み終わるところまでたどり着いた。

      

      

 午後になって雨が上がり陽射しが戻ってきたので、フラワー緑道の横浜駅寄りにあるカワヅザクラとコブシ、ならびにヨコハマヒザクラを見て回った。
 カワヅザクラは今が満開といったところか、散り始めている。コブシが開花していた。蕾がこの一週間で急激に大きくなっていた。ヨコハマヒザクラは花芽がかなり赤くなっていた。しかしスマホではピントが合わず、撮影は断念。

 スマホでは小さな一点にピントを合わせるのは困難である。幾枚か撮影してたまたまピントのあったものを選ぶしかない。今回撮影したヨコハマヒザクラは5枚ともピントがズレていた。

 


久しぶりに横浜美術館

2025年03月18日 21時53分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日は、組合の会館で所用を済ませたのち、桜木町駅で下車して、リニューアルした横浜美術館に寄ってみた。30分程度しか時間がなかったので、コレクション展を足早に三部屋ほど見て回っただけであったが、それなりに楽しく見ることが出来た。思ったよりも空いていた。
 年間パスポート制度がなくなったのが残念であったが、年間4000円のパスポート券を販売していた。コレクション展は何回でも見ることが出来、企画展も年3回見ることができるという。これまでの年間パスポート制度は5000円でコレクション展と企画展は何回でも見ることが出来た。それに比べても特に遜色もないし、企画展を3回以上見ることはあまりなかったので、充分有効活用できると判断した。躊躇いなくこれを購入。
 問題はどのような企画展がこれから用意されるか、である。
 本日のコレクション展、まずはマグリットの「王様の美術館」ほか数点、森村泰昌扮するフリーダ・カーロ、奈良美智など見慣れてはいてもいつもその作品に吸いよせられる不思議な世界を久しぶりに垣間見た。



 はじめて記憶に残った作品として吉澤美香の「は-9」と「は-10」という1990年の作品。これは面白く眺めていた。
 中には認知症の母親を題材として作品など顔を背けたくなる作品もあったが、総じてもう一度見に行きたいと思う現代美術のコレクションは期待している。
 今年の夏から年末にかけてはNHKのピタゴラスイッチを手がけている佐藤雅彦展、年末から年度末にかけては日韓現代美術展(仮称)が予定されていることをはじめて知った。年間パスポートを充分活用できる。