午後は喫茶店には入らず、神奈川大学の生協の前の路上にあるテーブルとイスに座り、自動販売機の100円の缶コーヒーを飲みながら30分ほどの読書。
「方丈記私記」の第3章「羽なければ、空をも飛ぶべからず」という短い章を読み終えた。1945年3月10日の大空襲で全てが焼け野原になった深川近辺の惨状を一週間後に見ているうちに、たまたま昭和天皇の視察を目撃した印象というか衝撃を記している。
「(すっかり焼けて建物もなくなった富岡八幡の境内に集められた被災者が)本当に土下座をして、涙を流しながら、陛下、私たちの努力が足りませんでしたので、むざむざと焼いてしまいました、まことに申訳ない次第でございます、生命をささげまして、といったことを口々に小声で呟いていたのだ。‥責任は、原因を作った方にはなくて、結果を、つまりは焼かれてしまい、身内の多くを殺されてしまった者の方にあることになる! そんな法外なことがどこにある! こういう奇怪な逆転がどうしていったい起り得るのか! ‥人は、生きている間はひたすら生きるためのものなのであって、死ぬために生きているのではない。なぜいったい、死が生の中軸でなければならないようなふうに政治は事を運ぶのか?」
私の頭の中では、同じようなことが繰り返していないかという問いと、特に日本の特異的な現象ではないかという問いとが、出口のない問いとしてこの50年繰り返されていたことをあらためて思い起こした。この「方丈記私記」が書かれたころの問いを、2020年の現在までも引きづっている。