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一昨日の夜から聴いたベートーベンのヴァイオリン協奏曲の演奏が今ひとつ私の好みから遠かったので、昨晩遅くなってから、シュロモ・ミンツのヴァイオリン、フィルハーモニア管弦楽団、指揮ジュゼッペ・シノーポリのCDを聴いて「耳直し」をした。録音は1986年。同梱のロマンス2曲は1987年の録音である。
演奏は私の持っているヨゼフ・スークの演奏よりも遅く感じるくらいである。特に第1楽章は1分も遅い。それだけたっぷりとヴァイオリンの音色を楽しませてくれる。ただ私の好みから言えばスークの方がまだ音の厚み、豊かさがあって私には好ましい。ユックリした演奏の分、メロディの扱いが空回りしている、という評価があるかもしれない。これはあくまでも私の好みの問題であるが‥。
オーケストラの方は弦楽器の刻みの部分が明確で、メリハリは聴いている。ソロもオーケストラもともに情感たっぷりに演奏してしまっては、甘くなる。オーケストラが伴奏となる個所ではキチンと律儀にリズムを刻む方がソロは情感たっぷりに演奏ができる。ソロ楽器の旋律の自由度、伸び縮みの幅が広がると私は思っている。基礎がしっかりしているほうが元に戻りやすく、応用も聴くのである。
そんなことを思わせてくれる演奏だと思った。
具体的にいうと、第1楽章の出だしのティンパニーの4つの音、このCDでは聴きようによってはそっけない4つの音である。ところがその直後に奏でられる木管楽器と弦楽器が奏でる旋律は、ソロヴァイオリンが登場するまで実に細やかな表情を見せてくれる。この部分の美しさは特筆に値するのではないか。そして翻って出だしの4つのティンパニーの音が頭の中に生き返ってくる。これはベートーベンの作曲法の優れた点を強調しているような演奏なのかもしれない。
一転してソロヴァイオリンが登場するとオーケストラの音色や表情が一変する。先ほど述べたように刻みの音が正確に明瞭に生き生きとした表情に変わる。ソロとオーケストラの息が合っている、ということの意味が分かるような気がする。
ミンツというヴァイオリニスト、線が細そうではあるが実に美しい音を紡いでくれる。細かな音も丁寧に弾いているようだ。第2楽章で特にそれを感じた。
しかしこの第2楽章、これより遅くなるとおかしくなる。その限界に近いテンポだと思う。そして第2楽章の最後の場面から第3楽章に移行するまで、弓を弾き絞るように貯めた力で一気に第3楽章になだれ込む場面、ソロヴァイオリンの力量が問われる場面があるが、私の思いからするとソロヴァイオリンの低音にもっと厚みと力強さが欲しいと思った。
その思いは第3楽章全体をとおしていえることであった。
シュロモ・ミンツは1957年生まれというから、この録音の時は30歳になるかならないかの年である。いくら優れた演奏家として有名であっても、円熟期の優れた大家の演奏のようにすべてを求めるのは、私のような年寄りの欲張りなのかもしれない。