「萬葉集に歴史を読む」(森浩一、ちくま学芸文庫)
万葉集の歌を味わうのは久しぶりだ。著者の森浩一氏は、もっと久しぶりに読む。
森浩一氏ももう80歳を超えている。それでこの著作を出版である。
森浩一氏が地域史のフィールドワークをかなりこなしていることがよく推察される著作である。特に東国の古代史の着眼点はなかなか魅力に満ちている。
私の印象は「第6章 天平8年の遣新羅使関係の歌」が中心をなすと感じた。ページ数からももっとも多い。万葉集の巻第15である。
ここで取り上げられている歌は、普通万葉集の評論や秀歌選などではあまり扱われない。私もむろん初めての歌ばかりであった。
著者の主眼はあくまでも「歴史を読む」であり、万葉集の歌の鑑賞ではない。だからこそかえって細かな字面に右往左往しながら悩むこともなく大意を、文章の流れから汲むことができ、理解しやすかった。これをもとに万葉集の巻第15を読んでみたいと思った。
ここで取り上げられた「遣新羅使」、大使は安倍継麻呂。この大使の歌を筆頭にした一連の歌群は宴席でのものであろうが、「娘子」として女性の歌があるが、私の持つ万葉集の解説も含めてこの種の歌などを作れる特殊な「遊行遊女」の類とするが、この著作では地域(郷)の長クラスの縁者とみる。私もその説に惹かれる。
ついつい私たちは古代の人々の教養を低く見がちだが、はたしてどうだろうか。今で言えば市区町村長クラスの地位の人の縁者ともなれば、古代であっても、いや古代だからこそかなりの教養と文化程度を身に着けていたと見るべきだし、一般庶民も決して教養は低くはなかったと思うがどうだろうか。
ただ著書では遣新羅使は新羅から入国を断られ、残された短歌から大使の継麻呂は責任をとって自死したとなっているが、こればかりはちょっと飛躍しすぎあるいは深読みしすぎかな、と感じた。
『(3700)あしひきの山下光る黄葉の散りの乱ひは今日にもあるかも』がその自死の決意だと言うことだが、同じ歌群の
『(3706)玉敷ける清き渚を潮満てば飽かず我れ行く帰るさに見む』
もおなじ大使の歌であるから、3700が辞世の歌とはならないと私は感ずる。
しかしこのような大胆な仮説とある種の飛躍がこの著者の魅力でもある。
そういえば網野善彦氏との対談もあったが、まだ目を通していない。これを機会に早めのこの対談も手に入れて読んでみたいものだ。
万葉集の歌を味わうのは久しぶりだ。著者の森浩一氏は、もっと久しぶりに読む。
森浩一氏ももう80歳を超えている。それでこの著作を出版である。
森浩一氏が地域史のフィールドワークをかなりこなしていることがよく推察される著作である。特に東国の古代史の着眼点はなかなか魅力に満ちている。
私の印象は「第6章 天平8年の遣新羅使関係の歌」が中心をなすと感じた。ページ数からももっとも多い。万葉集の巻第15である。
ここで取り上げられている歌は、普通万葉集の評論や秀歌選などではあまり扱われない。私もむろん初めての歌ばかりであった。
著者の主眼はあくまでも「歴史を読む」であり、万葉集の歌の鑑賞ではない。だからこそかえって細かな字面に右往左往しながら悩むこともなく大意を、文章の流れから汲むことができ、理解しやすかった。これをもとに万葉集の巻第15を読んでみたいと思った。
ここで取り上げられた「遣新羅使」、大使は安倍継麻呂。この大使の歌を筆頭にした一連の歌群は宴席でのものであろうが、「娘子」として女性の歌があるが、私の持つ万葉集の解説も含めてこの種の歌などを作れる特殊な「遊行遊女」の類とするが、この著作では地域(郷)の長クラスの縁者とみる。私もその説に惹かれる。
ついつい私たちは古代の人々の教養を低く見がちだが、はたしてどうだろうか。今で言えば市区町村長クラスの地位の人の縁者ともなれば、古代であっても、いや古代だからこそかなりの教養と文化程度を身に着けていたと見るべきだし、一般庶民も決して教養は低くはなかったと思うがどうだろうか。
ただ著書では遣新羅使は新羅から入国を断られ、残された短歌から大使の継麻呂は責任をとって自死したとなっているが、こればかりはちょっと飛躍しすぎあるいは深読みしすぎかな、と感じた。
『(3700)あしひきの山下光る黄葉の散りの乱ひは今日にもあるかも』がその自死の決意だと言うことだが、同じ歌群の
『(3706)玉敷ける清き渚を潮満てば飽かず我れ行く帰るさに見む』
もおなじ大使の歌であるから、3700が辞世の歌とはならないと私は感ずる。
しかしこのような大胆な仮説とある種の飛躍がこの著者の魅力でもある。
そういえば網野善彦氏との対談もあったが、まだ目を通していない。これを機会に早めのこの対談も手に入れて読んでみたいものだ。