Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

台風と蝋燭の炎

2018年07月28日 19時43分08秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日はウォーキングも取りやめ、買い物にも出かけず、団地内を所用で1500歩ほど歩いただけである。
 その上、15時過ぎにベッドで読書をしようとよこになったら、そのままぐっすりと寝てしまった。

★颱風の心支ふべき灯を点ず     加藤楸邨

 台風の句の中では私はこの句がいちばん惹かれる。

 幼い時、木造の平屋に住んでいたが、台風が来るというのでラジオをつけたままにして昼間から雨戸を閉めて用心をしたことを記憶している。何回もそんなことをしたのではないと思うが、昼なのに暗い部屋は子ども心に怖かった。夜には停電になり、蝋燭をつけたのも覚えている。
 昼間に用心のために仏壇に供える蝋燭よりももっと太く長いものが用意していたようだ。箪笥の上部の棚から太い蝋燭が出て来た時にはわくわくしたものである。子どもにとっては花火でも期待するようなものだ。どんなに明るいのか、興味があった。そしてずっとその蝋燭の炎を眺めていた。ときどき揺れる炎の形や、青・黄・橙の複雑にもかかわらず整然とした炎の芯に近い部分にみとれていた。
 そしてもうひとつ印象に残っているのは、この蝋燭の光に照らされる畳の上に置かれた金盥や金属製のバケツ、或いは陶器の丼の輝きである。天井からの雨漏りを受ける大事な防災用具でもあった。蝋燭の炎の揺らめきに合わせてそれらの器もなんとなく動いて見えた。

 今から思えば明るくはない蝋燭の光は、風と雨の音に対する恐怖や、暗さに対する怖れをいったものを忘れさせてくれた。家の外の暴風雨の怖い大きな音と、金盥にボタンボタンと落ちる小さな音が、同じ大きさに聞こえた。外の荒れた世界と、木造の家の中、光があることでかろうじて拮抗していた。

 これほど戦後の世の中では台風というものは怖いものであった。いまでこそ木造住宅も頑丈になり、雨漏りもほとんどなくなった。今やマンションなどの高層の建物に住む人の方が多いのではないかと錯覚するほどにマンションなどがおおくなった。
 それでもやはり台風は人の力を超えた巨大な力を見せつけて通り過ぎて行く。

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2 コメント

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おお、ふた昔も前の台風の描写が‥ (通りがかり人)
2018-07-29 05:41:57
ものすごく懐かしいです。太いろうそくに照らされる周囲。不安と期待の子供の眼。氏の心の中に、私にもある似たような記憶が、重なるときはうれしいものです。

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通りがかり人様 (Fs)
2018-07-29 10:06:29
共通の体験、といわれて嬉しかったです。

もう60年も昔のことです。歳をとっても子どもの頃の感覚、感情は大切にしたいもの。年寄りは昔話ばかり、といわれようと自分の原点は手放したくないものです。何をそこから引き出すか、何を生かすか、こだわり続けるのが生き様かな。
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