Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

久しぶりの横浜西洋館 -庭との距離のとり方-

2009年11月05日 23時40分09秒 | 山行・旅行・散策
 本日は久しぶりに横浜の山手本通りの西洋館を見て歩いた。今から約10年前に友人の西洋館の彩色きり絵に私のつたない文書をつけた小さなパンフを作成したときに、幾度か訪れた。ところがもう記憶がおぼろ。人を案内しながら、記憶力の頼りなさをあらためて実感した。
 特に記憶がもつれたのがブラフ18番館。外交官の家からすぐの案内板を見ても思い出さなかった。建物をみても‥。入り口を入って二階に上がる階段の下の部分を見て思い出した。会談手すりの黒光りするカーブ、これは当時見学に訪れたときたまたま天気がくずれて一時的に強い雨と雷が鳴ったのだった。雷光に手すりがひかり、踏み板の端に置かれたガラスの小さな花器と、かすかな不思議な光のやり取りが印象に残った。外の光に微妙に反応する木目に、「住んでみたい」という思いが湧いてきた。
 日本の家屋とはまた違う感じで、外気や周囲の木々との対話の仕方をしている開港当時の木造の家、一年間この家から外を眺めてみたいと心底思った。
 西洋館といっても、石造りと木造ととても異なる。石造りの建物は外から見るものだ。木造の家は、内部から外を見る視線と、外から周りの景色の中に調和するものとして眺める視線と、両方の視線に耐えている。当然のことながら木造の家は、日本の建築とは違った明るい生活の臭いがする。石造りの家はやはり、内部の人工的な照明の力を借りないと人は利用できないし、くつろぐには石の重みが身に迫ってくる。おどろおどろしい機能性と緊張感を強いてくる。
 木造の家にはもう一つ不思議な感触がある。庭との仕切りの仕方だ。西洋風建物といってもやはり日本的な変容なのだろうか、日本の木造の居住家屋は「縁側」というものを介して庭との心的な距離を保っているが、6角形などのサンルームの構造、それも庭への出入り口を持ったり、窓の下辺の位置を地面に近づけたりしたような工夫(?)があるような気がする。きっとこれまでの西洋の建物よりも庭に出やすく、庭との心的な距離が近づいた構造なのではないだろうか?あくまでも私の思い付きではあるが、こんなアプローチもあるのではないか。
 西洋風の建物には芝生と薔薇、というのが定番だが、このように建物の内部空間と庭との心的な距離が「純粋な西洋の家」(こんな概念があるとして)よりも和風に近くなるとすると、西洋館の庭に似合う花々、木々ももっと和風のものがあうのかもしれない。
 たとえば芝生を思い切り省いたら、あやめや小菊、ヤマブキやレンギョウ、そしてひょっとしたらススキも合うのかも知れない。
 そして晴れた日ではなく、雨の日、特に梅雨の時に内部から眺める庭は、新しい西洋館の魅力に思い至るかもしれない。