発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -382
13)イランを歩く
日記から-36
12月26日(水曜日) 曇り、霧雨
一日中重い雲があった一日である。嫌な感じの日である。
そんな日はやはりついていない様である。朝のうちにカフェを通り過ぎたら、その後夜になるまでなかった。
今日は朝のチーズだけで、ナンは食べることなく夜までに至る。
この様に腹が減っているのにもかかわらず、腹が下って何回もクソをする。下痢である。
だから、力が出ず、歩くのが遅く一日かかって40km歩いたくらいであろう。
夜というより、日が沈む頃(今日は曇りで日が何時沈んだかは分からない。)カフェに着く。
ここでは不思議と皆が俺を知っている。ここにはバスが止まっていて、彼らは俺を見て「ザヘダンから歩いている人だろ。」と言っているようだ。
カフェの人も感じがよく、気持ちが良かった。
この後、歩き続けると暗い中ではあるが検問所に行き着き、そこで呼び止められる。
ここでは今までにないほど厳しいチェックである。特に荷物のチェックである。
これほど荷物を厳しくチェックされたのは始めてである。一体何のためのチェックなのだろうか?
何とかチェックが終わり、歩き続けることが出来た。
外は暗く、霧雨なので早く歩き終えたい。
その検問所から1kmぐらいの所に道路の下の水路(水はない)と交差している所でテントを張る。
(橋とは呼べないのでこの様に書いた。)
今日はまた道路で札を拾った。それは100リアル札である。
今まで2回は200リアル札であり、今日で3回目である。札など拾うこと自体が本当に少ないことである。
前にも書いたが、アジアでこの様にお金が落ちている国はなかった。
この国は本当にお金に対して気を使っていないというか、お金持ちの国なのであろう。
出費は500リアル、拾ったものが100リアル
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筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。
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