徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-761

2015-03-26 07:03:18 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -382

13)イランを歩く

日記から-36

12月26日(水曜日) 曇り、霧雨

 一日中重い雲があった一日である。嫌な感じの日である。
そんな日はやはりついていない様である。朝のうちにカフェを通り過ぎたら、その後夜になるまでなかった。
今日は朝のチーズだけで、ナンは食べることなく夜までに至る。
この様に腹が減っているのにもかかわらず、腹が下って何回もクソをする。下痢である。
だから、力が出ず、歩くのが遅く一日かかって40km歩いたくらいであろう。

 夜というより、日が沈む頃(今日は曇りで日が何時沈んだかは分からない。)カフェに着く。
ここでは不思議と皆が俺を知っている。ここにはバスが止まっていて、彼らは俺を見て「ザヘダンから歩いている人だろ。」と言っているようだ。
カフェの人も感じがよく、気持ちが良かった。

 この後、歩き続けると暗い中ではあるが検問所に行き着き、そこで呼び止められる。
ここでは今までにないほど厳しいチェックである。特に荷物のチェックである。
これほど荷物を厳しくチェックされたのは始めてである。一体何のためのチェックなのだろうか?
何とかチェックが終わり、歩き続けることが出来た。

 外は暗く、霧雨なので早く歩き終えたい。
その検問所から1kmぐらいの所に道路の下の水路(水はない)と交差している所でテントを張る。
(橋とは呼べないのでこの様に書いた。)

 今日はまた道路で札を拾った。それは100リアル札である。
今まで2回は200リアル札であり、今日で3回目である。札など拾うこと自体が本当に少ないことである。
前にも書いたが、アジアでこの様にお金が落ちている国はなかった。
この国は本当にお金に対して気を使っていないというか、お金持ちの国なのであろう。

出費は500リアル、拾ったものが100リアル

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筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-760

2015-03-25 08:16:14 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -381

13)イランを歩く

日記から-35

12月25日(火曜日) 曇り、夜に少し雪

 昨日はクリスマスイブで今日はクリスマスである。しかし、今日も休むことなく歩き続ける。
もっとも、ここはイスラム教の国であり、俺も考えてみるとキリスト教徒ではないのである。

 今日は曇りで、昨日降った雪が道路に残り、それが解け、その水がズボンに跳びズボンが濡れる。
せっかく昨日、洗濯したのに今日は泥だらけである。
それでも今日は歩いている間は雪が降らず、だんだん道路の状態は良くなっては来た。

 今日はナンが手に入らず、夜まで歩き続ける。その時に雪が降り出した。
不思議なことに今日はカフェでナンを売ってくれないのである。ナンぐらいは売ってくれても良いのにと思うのである。

 それで今日は今までのイランとは違うような感じがする。
俺に親切な人はすごく親切だが、そうでない人は俺を極端に嫌いなようだ。
今日のカフェではそこの人が俺を見るなりに、ここに来るなと言われた。
警察は警察でヒツコク俺を調べる。とにかく、今日はナンを売ってくれないカフェが2軒あった。
非常に参ったが、これが普通である。今までがあまりにも親切であったのだろう。

 この様なことで今日はナンが手に入らなかったし、雪まで降ってきたが、気持ちを切り替えたのであまり気にしなかった。
水だけを手に入れてテントを張ることにした。幸いなことに今日はあまり寒くないのも助かる。
今日の夕食は昨日のタマネギと本当に少ない米、後はパニール(チーズ)などでスープを作り食べる。
食べてもまだ足りないような気がする。腹減った!

 腹といえば、昨日から再び回虫の薬を飲みだした。
それでか昨日食べたパニールとかピスタシオ、レーズンなど消化に悪い物が多かったので、腹が下っていた。
とにかく、今年中には腹の中の回虫を追い出したいものである。

出費 90リアル

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-759

2015-03-24 08:15:59 | 世界徒歩旅行

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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -380

13)イランを歩く

日記から-34

12月24日(月曜日) 曇りのち雪

 昨夜は雪が降ると思っていたのに、朝はラッキーなことに雪も降っておらず、あまり寒いとは思わなかった。
歩き出したら、今にも雪か雨が降りそうな上に寒くなって来る。
その後も一向に温度が上がらず、昼ごろから雪がついに降り出す。見る見る銀世界に変わる。
このイランでこんなに良く雪が降るとは思わなかった。
乾燥した砂漠地帯であるから降っても少しであろうと思っていたが、そうでもなく今日は結構雪が降る。

 その雪が降り始めた時にはKashanという所に入る前の検問所にいたのだが、雪が止むのを待つ。
結局、2時間ぐらいそこにいた。
そこでは長くいたので、昼食までご馳走になった。その後も雪は止まず、その後歩いてその町に入る。

 今日はKashanでホテルに泊まる予定であったので、早速ホテルを探す。
見つけた所は1200リアルの所であるが、あまり良い所ではない。Mainのホテルを思い出す。
あそこでは1320リアルで吹き抜けの2階建てのホテルの部屋であった。本当にあれは良かった
ところで、このホテルに入ってくる時、雪が降っていた為に黄色いポンチョを着ていた。
その時は外で雪を払い入って行ったのだが、ホテルのフロントに人は「何者が来たのだ。」と思ったようだ。
始めは泊めてやろうという気がなかったようであった。パスポートを見てしばらく調べてから、ようやく泊めてくれることになった。

 このKashanの市場に行く。
前に通ったKermanの様な古い中東の市場である。そこには良い人々が多いが、たまに変な人がいる。
その変な人とは人として認めたくないような種類の人である。
それはお菓子屋で先客にいたアフガニスタン人か何人か分からない人に対して店の人は客として相手にしないのである。
それだけではなく、怒っていたのである。
そこを出て歩いていると俺を見て何人だかに思ったのか馬鹿にするのである。
それは子供の時のように俺の帽子を奪い取って馬鹿にするのである。
一体どうして人間が人間を馬鹿に出来るのであろうか?
同じ馬鹿な人間同士でどちらが上ということでもないであろう。滑稽でしょうがない。
イランにおいて今まで歩いてきた田舎では皆が親切であったのに、この様な小さな町にもこの様な人がいるのだ。

出費 2570リアル

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-758

2015-03-23 08:38:51 | 世界徒歩旅行

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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -379

13)イランを歩く

日記から-33

12月23日(日曜日) 快晴のち曇りのち雪

 今朝はまたカフェで朝食まで出してくれた。
俺は彼らに何も出来ないから、せめて写真でもとって送ろう。
丁度、アキパールに送る為にテヘランでプリントをしようと思っている同じフィルムであるから丁度良い。

iran-26.jpg
カフェで働いている親切な人

 そう言えば、2年前の今日はオーストラリアの砂漠で暑さの為にノックダウンした日であったことを思い出す。
あの時は人々に正確な情報を聞かず、地図の名前を頼りに行ったのだが、そこには村も家もなく精神的にもショックを受け参ったことを思い出す。
それはある一人に「この地図に名前のあるこの村には食糧、水を手に入れられるのか?」と聞いたのだが、彼は「ある」と言った。だがそこには人家さえもなかった。
やはり、人々に聞くには最低3人ぐらいに聞いて行かなくてはいけないと思ったものであった。
さて、今日はその暑くて死にそうな気候ではなく、反対に夕方からは雪である。
しかし、思ったほど寒くない。不思議である。昨日の方がもっと寒かったように思う。
感覚的には少し山から下りて来たようで、標高は昨日よりも低いからだ思うのである。

 昼はまた国道沿いのカフェで昼食を取ったが、すごく感じが良い所である。
おじさんとその子供がいて、そこでは食事と多くのチャーイを飲み、ガンド(紅茶の時の氷砂糖)を買う。

 それにしても今日はよく車が止まった。
止まって話す度にいろいろなことを訪ねられるが、その後でみかんなどをもらう。
人々は本当に親切で優しい。こんなことで良いのであろうか?このまま、親切だけを受けていて良いのであろうか?

 大事なことを忘れていた。
一台のトラックが止まったのだが、セーターとマフラーをくれるというのである。
彼の話ではこれから先はもっと寒くなるから、これでも着ろと言うのである。
彼は俺が道路を歩いているところを何回も見て来て、俺が本当に歩いてイラン横断していることを見てこの後寒くなるから、心配してくれているのだ。
彼のその親切な心に本当にありがとうと言いたい。大事に使います。

 今日は岩陰にテントを張ることが出来た。
風は少し遮ることが出来るが、心配なのは雪である。この後雪が積もらなければいいのだが、、、、、、

出費 300リアル

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-757

2015-03-22 07:26:10 | 世界徒歩旅行

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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -378

13)イランを歩く

日記から-32

12月22日(土曜日) 快晴

 今日はNatanzに泊まるつもりで朝から張り切って歩く。
しかし、今日は何だか、ついていないような予感がする。原因は俺が悪いからだと思う。
それは歩くのを優先して人に対しての話し方が悪いからであろう。
だから、それを人々は感じ取っているのか、人々が俺を相手にしてくれないように思うのである。
そのNatanzに着き、ホテルを探したのだが、そこには1つだけホテルがあり、そこの宿泊代が1700リアルである。
俺は何だかそれが高く感じて泊まる気がしなくなり、他を探すが、やはり他のホテルはない。

 仕方なく、その後15kmほど歩き続ける。
そうすると国道にポツンと一つだけカフェ(ドライブイン)があり、どういう訳かそこで泊まらせてくれることになる。
そこの名前はAbbas Abad Restoran(イランの人が書いてくれたスペルはそのままである。)というそうだ。
そこで働いているウェーターが非常に親切である。

 夕食もこのカフェの人が奢ってくれた。
それだけではなく控え室で寝かせてくれるというのである。
今日は寒くストーブに当たりながら、寝るまでの時間を過ごすことができ、寝る時は屋根がある部屋で寝かしてくれるとは本当に助かる。
ありがとう。
このカフェには若い人が多い。
不思議とこの家の部屋の中を排水のために大きな穴を掘っている所がある。

 昼のことで思い出したことは今日は歩いている時に2台の車が止まってくれたことである。
一台は2日前にも会っている鉄を運んでいるトラックであった。
彼は俺に挨拶をしてくれて励ましてくれた。彼とはまた会いそうである。

出費 0リアル

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