発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-296
9)再びインドを歩く
日記から-78
9月23日(日曜日)~26日(水曜日) 晴れ
この期間はニューデリーに戻り、再度 外務省に行きパキスタンとの国境を通り抜ける許可が出るか聞いたり、パキスタンにに行く飛行機を予約したりした。
ニューデリーは暑い。ここに着いた時にウワサで国境が開いたと言う話が流れた。
そんなはずはない。俺が昨日その国境にいたからである。
それでも、すぐに外務省に行き確認をしたが、やはりウワサだけであった。
国境越えが無理だと分かると、ここ、ニューデリーに長居をしたくないので、すぐにパキスタンに飛ぶ予約をした。
一番早くパキスタンに入ることが出来るのはラホールではなく、カラチである。
ラホールは多くの旅行者が予約をしていて、そこには1ヶ月以上待たなくてはいけないと言うのである。
何てこった! 昨日見た国境の向こうの地200~300mだけ行くのに1ヶ月以上待たなければならないなんて!
パンジャブ州の騒動が始まったのがほんの2~3ヶ月前だと言う。3ヶ月前であれば難なく通れたのに残念だ。
しかも、パキスタンの方では国境を閉めていないようなのである。インド側が問題でインドでは何かと最後まで苦しめられた。
とにかく、インドで俺は今まで体を治すために長い時間を使ったので、そんなに長く待ちたくない。だから、早く行けるカラチに行くことにした。
そのパキスタンのカラチとラホールの距離は1200kmぐらいあるのである。
だから、カラチに着いてからも、ラホールまで乗り物を使って移動し、ラホールから国境までもバスを使い移動しなければならない。
飛行機代は(ニューデリー~カラチ)1,148ルピー
ニューデリーでのこの4日間の生活費は分からない。
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筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。
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