発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-298
10)バングラデシュ、インド、ネパールを歩き終わって見て
始めのインド
非常に人間的な国であると思う。いろいろな種類の人間がいて、彼らを見て俺はずいぶん悩んだ。
その欲望だけで生きている人に腹が立ち怒った。しかし、怒ったとて何もならなかった。
それより自分でその気持ちに耐える方が、自分にどれだけプラスになるか分からないと思うのである。
それでもついケンカをしてしまったことがあった。まだまだ人間が出来ていない証拠である。
そんなことで俺は一生歩いて旅をしても立派な人間になれないように思われる。
とにかく、このインドは俺のいい人生勉強になったと思う。
ネパール
この国は山が美しく、大変いい感じで歩けた。
また、良い経験をした。それは現地人と同じ様にゴムソウリで歩いたり、裸足で歩いたりしたことである。
これらは俺が歩く靴を手に入れられなくて、仕方なくしたことであったが、それは貴重な経験であった。
本当に人間は体を鍛えれば足の裏が、登山靴の底のゴムより固くなれるのである。
それには俺が関心をし、彼ら現地人にはとてもかなわないと脱帽した。
また、山を見ながらいい休養が出来た。
ポカラではメインの荷物を置き、簡単な荷物だけでアンナプルナB.C.までのトレッキングコースをポカラから乗り物を使わず4日間で歩いて来た。
通常の歩く日程よりかは半分以下で歩いたことになる。
その歩いたコースはとても綺麗で忘れられないものであった。
アンナプルナB・Cからアンナプルナを見たところ
ネパール人は顔が日本人に似ていて親近感を持てる。
だから、俺はインドからこの国に入って来て安心した。そしてネパールの人々も俺を見てあまり違和感を感じないようだ。
ところが、よく見てみると本当のネパール人の考え方は日本人よりか西洋人に近いように思われる。
例えば、自分の専門の仕事以外はネパール人はただ見ているだけで、その仕事が簡単であっても手伝おうとはしない。
それで、俺が一回手伝ってあげたことで、いつの間にか俺がその専門だと思われたのか、継続してやらされてしまった。
だから、俺が他のことをしていても、呼びに来て「してくれないか」と言うのであった
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筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。
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